60.ディアナのお店
「……お店?」
「ええ。いつもは持って来ていただいてたけど、たまにはそちらに行ってみるのもいいかと思いまして」
ディアナとレオンは顔を見合わせた。
「あの……申し訳ありませんが、私は店舗を所有していないのです」
彼女の言葉に、ソフィアの方が面食らう番だった。
「え?店舗、ないんですか?」
「はい。家で作ったものを、そのまま持って行っているだけで」
「……それってなんだか勿体ないわ。在庫を並べれば、花の色と香りに包まれて壮観でしょうに」
その瞬間。
ディアナの目の前が、ふわと花開いたような気がした。
「お店……」
レオンの方も何かに勘づいて、じっとディアナの方を見つめている。
ソフィアは構わずに話を続ける。
「私は貴族ですから、今までは何でも馴染みのお店から持って来ていただいたんです。けれど戦争が始まって、このように商店まで足を運んで来るようになったら……お店の魅力に憑りつかれてしまったんです。ものが並んでいるって、とてもいい眺めなんですね。あと、そのお店独特の香りやディスプレイなんかがあったりして、本当に胸が高まります。お店って、思った以上に刺激的で心が安らぐものなんだわ」
ディアナは高鳴る胸を抑えた。
店舗。
そんなこと、考えたこともなかった。
「そうですか、お店はないんですね?また素敵なティンクチャーが出来たら是非見せに来て欲しいわ。百合のティンクチャーは早速バスタイムに使ってます。今度はバラのティンクチャーも考えておいて下さいますか?」
ディアナが上の空でこくこくと頷いていると、
「あなたと話が出来て良かったです。お礼に、お代は私が全部払っておきますわね」
とソフィアは立ち上がり、メイドを伴って店を出て行った。
嵐のように通り過ぎて行った変わり者のソフィアだったが、彼女はディアナに大いなる助言を与えて去って行ったのであった。
レギーナに乗って、帰る道すがら。
「店、か」
意外にも先に口火を切ったのは、レオンであった。
「あんな山の上に店なんか作って、人が来るもんかね?」
ディアナはおっかなびっくりレオンを見上げる。
「びっくりしたぁ」
「何が?」
「レオンがお店の話をし出すなんて、意外だったから」
レオンは手綱を引きながら、静かにこう言った。
「もし、山の上にディアナが店を構えたら、それでみんなが来てくれるようになったら……ディアナは山の上から動かないでいられる」
ディアナは彼の鈍色の瞳を見て、頬を赤くする。
「ディアナが忙しいのは不特定多数の誰かの所へ行っているからだって、さっき気づいたんだ。もしその誰かがこちらに来るようになったら、ディアナは無駄に動かずに済む。そうだろ?」
ディアナは目を輝かせた。
「え、レオン。じゃあ……」
「家を建てるついでに、店についても考えてみないか」
「えええ、いいの!?」
「ああ。移動時間をもっと違うことに充てれば、もっといいものが出来るかもしれないしな。それに……」
レオンはディアナの耳元で囁く。
「店舗があれば、身籠っていても子供が小さくても、ディアナは継続してやって行けるだろ」
そうだった。
働くのが楽しすぎて盲点だった。妊娠出産のような、身動きの取れない時期がこの先にあるかもしれないのだ。
そうなれば、移動販売の道が妊娠出産のたびに絶たれるだろう。
店舗運営は、その解決の一手だったのだ。
まさか解決策を夫から先回りして伝えられるとは、考えもしなかった。ディアナはぶるぶると身震いする。家を建てる前に気づけてよかった。店舗兼自宅。なんといういいアイデアだろう。
「でもそのためには、客に山まで来てもらう必要があるな」
戒めるようにレオンは呟いた。
「店舗が出来るまでに周知させて顧客を増やしておかないと、店を出しても気づかれないぞ。宣伝をしておかないとな。商品の数も増やすべきか」
「……私、頑張るわ、レオン」
「ま、ほどほどにな」
「家の設計を考え直さないとね」
「そんなに肩ひじ張るなよ。カウンターさえ置いておけば、それっぽくはなるだろ」
ディアナは振り返ると、レオンの顎をなぞってそうっとキスをする。
「私、レオンと結婚してよかった」
レオンはくすぐったそうに笑った。
「何だよ急に」
「いつも私のこと、考えていてくれるのね」
「当たり前だろ。新婚で、妻のこと考えない奴なんかいるかよ」
彼がそう口に出した途端、二人同時にソフィアの顔が浮かんだ。
「……まあ、いるっちゃいるか。それにしても、あれはなかなかのイカレ具合だったな。やっぱり戦争のせいか?それとも浮気性の夫のせいか?人間として大事な部分が欠落しちまってたな」
ディアナは首を振った。
「イルザもそうだったけど、ものが溢れると何かが手に余るのよ。更に夫の目もないとなると、買い物に歯止めが効かなくなるんだわ。はっきりとは言えないけど、そうね……誰しも労力に見合ってないものに囲まれていると、深く考えることをやめてしまうみたい。何かが上滑りになるというか」
「ああ、何か分かるな。やっぱり自分で金を稼いだり、何かを作ったりして暮らさないと、地に足つかないよな」
ディアナは疎開して来た貴族の生活に思いをはせる。
いつまでもモノに執着する彼らの性質は、きっと何かを何かで埋め合わそうと必死なのだろう。愛情が不足していると言ってしまえば楽なのだろうが、そんな陳腐な一言で片づけられるものではないような気がする。ことはもっと複雑で、彼女たちが「モノ」扱いされた経験が大きく影を落としているのだ。
ディアナは、ソフィアが夢見たような、花に囲まれた店舗を想像する。
そこに来た、貴族の娘たちの顔を想像する。
彼女たちはきっと、安らかに笑って見せるだろう。
ふとディアナは気づく。
その店はきっと、商店街ではなく、山に作らなければならないものだ。
山にまで来て、買わなければならないものを並べるべきだ。
彼女たちに新しい価値観の場所を提供するために。
ディアナの心は決まった。




