56.ディアナ嬢にまつわるジンクス
山小屋を貸してほしいと言われ、ディアナは目が点になった。
「うちの……山小屋を?」
「あ、あの。イルザ様とグスタフ様は、それでこじれた関係が直ったんですよね?」
若い貴族の娘に問われ、ディアナはぽかんと斜め上を仰ぎ見る。なるほど、彼女の聞いた噂とは、姉夫婦の仲にまつわることらしい。
確かに、そう言われればそうかもしれないが。
「ええ、まあ」
「その……勿論賃料はお払いしますわ。ですから、是非小屋を貸して下さい」
突然のことにディアナの頭はまとまらない。子女はもじもじと手をすり合わせ、更に言う。
「突然ごめんなさい。でも、私も夫をそこに連れて行ってみたいのです」
ディアナは迷いながらも、彼女の真剣な眼差しに根負けする。
「ちょっと待って下さいね。少し夫に相談してみます」
すると、背後の貴族の子女らが黄色い歓声を上げた。
一体、彼女たちの間で何が起こっているのだろうか。ディアナには見当もつかない。
宿の裏庭の剪定中のレオンを探し出し、ディアナはアイアンチェアに彼を引っ張って行く。
「おいおい、何だよ。まだ作業が途中だぞ」
「ちょっと相談があるのよ。私達の山小屋に宿泊させてくれっていう貴族の娘さんが現れたの」
レオンは鼻白む。
「何でだ?もう近隣の宿が満室なのか?」
「それが、違うみたいなの。何でもイルザとグスタフの仲が、あの山小屋のおかげで直ったのを聞きつけてやって来たらしいわ」
「は?え?どういうこと?何のジンクスだよ、それ」
「さあ……」
「まさか、噂になってるのか?」
レオンはじーっと腕組みをし、地面を睨んだ。
「……つまり、あの小屋で過ごせば二人の関係が良い方に変わるという希望を持って来たわけだ」
「そうみたいね」
「でも、現実、そんなに上手く行くとは限らない。それに俺たちはそいつらが泊まっているその間、どこで暮らせばいいんだ?」
「うーん……」
「あれはディアナの親族だから泊めてあげただけだぞ。大体その貴族のお嬢さんとその旦那は、牛や馬の世話が出来るのか?畑を耕せるかすら怪しいもんだぞ」
「確かにそうね」
「俺は気が乗らないな。大体あのベッドにディアナと俺以外が寝ること自体、正直気持ち悪い。イルザ様やそのご家族なら信頼関係もあるし、まだ我慢出来るけど」
「……そうなるわよねぇ」
ディアナが少ししょぼくれ始めたので、レオンも少し黙った。
彼は再び地面に目を落としてから、ふと顔を上げる。
「まあ、何だ。小屋に泊まらないなら、何をしてもいいけど」
ディアナも顔を上げて夫を眺めた。
「……どういうこと?」
「牛や馬の世話をする分には構わないってことさ。本題はそれだろ?イルザ様夫妻だって宿泊で仲が良くなったんじゃなくて、共に農作業をしたから仲良くなれたんだ。だから泊まらずとも仲は良くなるかもしれないぞ」
「……つまり、農業体験をさせようっていうこと?」
「ま、そうなるな」
ディアナの視界が少し開けた。
「……確かに、その手があった」
「……ディアナ?」
「王族だって、自分の城内に菜園を持っていたわ。気晴らしのための」
「おーい……」
「農作業してもらって更にお金を取れるとなれば、仕事も減ってお金も増えて、全員勝ちって奴じゃないの!?」
「始まったぞ……ディアナお嬢様の金の亡者モードが」
「ちょっと、相手と相談してみるわ。あなたは最高の伴侶よ!私に最高のアイデアを与えてくれる……!」
「俺は別に、ディアナにアイデアを与えるために結婚したわけじゃないけど」
「行ってくる!」
「あーもう、待てって。俺も行くよ……」
二人は宿へと戻って行く。
食堂ではディアナの持って来た百合のティンクチャーを嗅ぎながら、ご夫人達が待ち構えていた。
ディアナは先程の、若き夫人を探し出す。
「ええっと……まだお名前をうかがっておりませんでしたね」
ディアナの呼びかけに立ち上がると、頬を固くしながら彼女は言った。
「私はソフィアと言います。ソフィア・フォン・マクガレン。領地経営をするマクガレン公爵の妻でございます」
マクガレン公爵は隣国の小さな領地を経営する、大変由緒ある古い貴族だ。細かいことは忘れたが、隣国で一番古い城に住んでいることはディアナも知っていた。
「まあ、マクガレン公爵と言えば大層伝統ある御家柄で」
「そんなことありませんわ。貧乏公爵ですもの」
「またまたご謙遜を……あ、それでですね」
百合の香り漂う女の園に、ふらりと野良着のレオンが入って来る。
「……こちらが夫のレオンです」
ソフィアは彼を上から下まで眺めると、少し赤くなって膝を小さく折って挨拶をする。
「あ、はい。この度は……不躾なお願いをどうかお許し下さいませ」
「こんにちは。とりあえず、一度お話をと思いまして」
レオンが食堂の椅子に座ると、貴族の女性たちは少しギラついた視線をレオンに浴びせる。
筋肉質の若い精悍な男性は、その存在だけで目の保養になるのだろう──ディアナはかつての自分を思い出していた。レオンは女たちの視線の奇妙な熱を感じ取り、少し決まり悪そうに周囲を見渡すと、隣にディアナが座ったタイミングで話し出す。
曲がりなりにも彼はディアナの夫。
彼を通してというていで話を進めた方が、了承するにも断るにも、都合がいいとディアナは考えたのだ。
単刀直入にレオンは告げた。
「お話はうかがいました。小屋を貸すというのは、こちらも仕事がある手前、難しいです。けれど、農作業をする分には構いません。こちらもフォローしますし、何なら宿までの送迎も致します。それで良ければ、農作業をして行っても構いませんが──」
ソフィアはレオンとディアナを交互に見比べると、ふーっと悩まし気なため息を吐いた。
ディアナとレオンは不穏な空気に顔を見合わせる。
ソフィアは急にこんなことを尋ねた。
「……夫婦って、何なのでしょう?」
彼女の奇妙な質問に、食堂内は水を打ったように静かになる。
「私は豊かな生活を保障すると約束されて結婚しました。それだけが望みでしたのに、この戦乱でそれも叶わなくなって……もう、二人でいる意味なんて見出せません」
急に感情の吐露が始まって、ディアナはおろか、ソフィア自身もその吐露の闇深さに振り回されているようだった。




