55.燃え上がる商魂
久々の晴れた日に、ダニエルは宿の裏庭でラウラと対峙していた。
〝そういうことなら、致し方ない……〟
ダニエルはラウラからゲオルグの話を聞き、意外にも取りすがることなく彼女と別れる決意をしていた。
〝正直、ゲオルグが宿から飛び出して行った瞬間、負けたと思ったんだ。自分で助けに行くという考えが浮かばなかった時点で、俺なんかはお呼びでなかったのだと〟
ラウラは椅子に座ったまま、怯えるようにうなだれる。
「……ごめんなさい」
「謝らないでくれ。余計みじめだ」
ダニエルはラウラの耳が聞こえないことをいいことにそう呟いてから、
〝お幸せに〟
とだけ書いて寄越した。ラウラは頷くと、振り切るように椅子を立つ。
遠くなる黒髪の美女の後ろ姿を見送ってから
「……ディアナ」
とダニエルは呟いた。
ラウラと入れ替わるようにして、ディアナがこちらにやって来たのだ。
ダニエルは鼻を鳴らし、目をすがめる。
「ふん。立ち聞きとは良いご趣味だな」
「あ、あの」
「……何だ」
「これからの商品開発についてなんですが」
ダニエルは気が抜けるようにため息を吐いた。
「あのね、少しは余韻に浸らせてくれよ」
「剪定したバラを譲って欲しいのですが、お値段はいかほど」
「……君はもう令嬢としての矜持を失くしてしまったようだね?」
「うふふ。だってダニエル。感傷に浸っていても、ひとっつも儲かりませんわよ?」
ダニエルはにやりと笑った。
「……懐かしいな。ラトギプ市街地にいた時は、皆、合言葉のようにそんなことを言っていたっけ」
「ええ。一時も商売から頭を離すな、と父は呪文のように申しておりました」
「アウレール様か。懐かしいな……」
「私も、あと少しで家を建てられそうですから色々と焦っておりますの」
「へえ。そんな事情が……」
ダニエルは久々に笑って椅子の背にもたれる。
「家か……どんなのを建てる気だ?」
「レオンと話し合って、二階建てにしようかと」
「その辺に建っている、平均的な家だな?」
「ええ。これからもしかしたら人数が増えるかもしれませんし」
「いいないいなー」
「ふふふ。失恋のショックでおかしくなりましたか?」
「いや、偽らざる本音だ。恋愛で頭が浮かれている時ほど幸福なことはないからな。私も、また新しい恋を探すことにしよう」
ダニエルは感傷を隠すようにそう言って、前髪を撫でつけて見せた。
ここは浸水を免れたとはいえ、パブスト村はほぼ浸水していた。そういうわけで、しばらくは彼もゲオルグやラウラとこの宿で顔を合わせなければならない。
ディアナは今、ダニエルにちょっと同情している。ディアナにラウラ、立て続けに結婚話が頓挫して、神に見放されたような不運が続いているからだ。
とはいえこの村で伴侶と出会うのは、実質不可能だ。
この村には、若い女はほとんど残っていない。
チャンスと言えばバラ園くらいのものだが、ここに来る貴族の女は皆誰かのご夫人だ。ディアナは胸に手を当ててこう申し出た。
「私でよければ、ダニエルのお嫁さん探しに協力しますわ」
「そうか。同情してくれているんだね」
「はい!」
「君は正直すぎる……」
「ところでバラの話なんですが」
「ああ、剪定した分は好きに持って行くがいい。こちらとしてはゴミ捨てする手間が省ける」
「ありがとうございます!」
ダニエルはそう言って立ち去るディアナの背を見送って、にやりと笑った。
「……君を生涯のパートナーには出来なかったが──商売のパートナーには出来たようだ」
令嬢から農民に身分を落としたからこその、不満や焦り。
そこをくすぐってやれば、きっとそのくすぶった商売魂に更に火がつくことであろう。
「花のキャンディ、エディブルフラワーのリゾット、野花のティンクチャーにバラのシロップ………」
ダニエルは指折り数える。
「実に惜しい。ひとところにまとめて売れば、店を構えられるほどの珍品揃いなのにな」
ディアナが宿に戻って来ると、何やらラウラが待ち構えていて「しっ」と指を唇に押し当てていた。
二人でこっそり食堂を覗く。
そこではグスタフとゲオルグが差し向かいになって話し合っていた。
「君がその気になってくれたなら、ある程度のところまでは私が文字を教えよう」
どうやらようやくゲオルグは字に向き合う覚悟が出来たらしい。
「教師を呼んでやってもいいのだが、あいにくこの戦乱で音信不通なのだよ。それまでは私が見よう見まねで教える。何、やり方は寄宿学校で見ていたから大丈夫だ」
それを聞くと、ゲオルグはゆっくりと頭を下げた。
「……よろしく頼む」
「これから頑張って遅れを取り返そう。私も頑張るから」
ディアナはラウラと顔を見合わせてうんうんと頷き合った。
その一週間後の、何もかもが順調に転がり出した夏の晴れた日。
川の水が引いたので再び貴族の若き夫人達がリップス村の宿にやって来るという話を姉から聞きつけ、ディアナは再び宿に来ていた。
樹々の剪定に呼ばれたレオンと裏庭にいたところ、喧噪に気づいて彼女はエントランスに足を向ける。
エントランスにディアナを見つけると、ひとりの夫人がこう言った。
「あの……先日は来られなくてごめんなさい」
他の夫人達はその後ろで何やらこそこそと内緒話を始めている。
「?どうかなさいました?」
ディアナが声をかけると、彼女はそうっとこちらに進み出た。
金髪碧眼の、透き通るような肌をした、どこか浮世離れした空気をまとった若き夫人。
「噂で聞いたんですが」
彼女は困ったような顔でこう囁いた。
「私達夫婦にも……あなたの住む小屋を貸してはいただけないでしょうか……?」
ディアナは怪訝な顔で彼女を眺める。
夫人は青ざめた顔を、更に青くして手で覆った。




