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第五章.ゲオルグと薔薇の君

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52.大雨の行方

 雨が本降りになる中、ずぶ濡れでディアナは宿屋へ到着した。


 エントランスの執事が荷物を受け取り、イルザがメイドを伴ってやって来る。


「あらまぁ大変!ジェシカ、ディアナに新しい服を持って来て!」


 メイドが慌てて引き返して行く。ディアナは執事からタオルを受け取ると、濡れそぼった全身をごしごしと拭いた。


「……貴族のお嬢様方は?」

「ああ、大雨で来られないみたいだわ。何でも、近くの川が氾濫して橋が流されたんですって」


 ディアナは驚いた。そんなことになっているとは、初耳だったのだ。


「ここはそんなことないのに」

「そうなのよ。山沿いはこのところずーっと大雨だそうで、それが近くの川にも流れ込んで来ているらしいわ。この宿は少し高台にあるから変化を感じないけど、もっと低地の町は今朝、もう家の床上にまで川が浸水して来たんですって」


 リップス村は小高い土地だが、パブスト村は低地だった。レオンの山小屋はそれこそ山にあるので浸水とは無縁だが、気になるのはバラ園の位置だった。


「大丈夫かしら。レオンは歩いて山小屋に帰ると言ってたけど」

「あら、ディアナがレギーナに乗って来ちゃったのね。使いの者を向かわせましょうか」

「そうしてくれると助かるけど、その使いの者だって大変じゃない?」

「……困ったわね。無事を祈るしかないのかしら」


 ディアナは湯に浸からせてもらい、新しい服に着替えた。こういう時、姉と同じ体形で助かったとディアナは思う。


 再び姉に会おうとエントランスへと下りて行った、その時だった。


「……ディアナ!」


 聞き覚えのある声が飛んで来る。


 前方を眺め、ディアナはハッと息を呑んだ。


 ゲオルグがいる。


「!あなたがどうしてここに……」

「小麦を搬入して帰ろうとしたら、宿屋の主人に止められたんだ。パブスト村が浸水して来ているから、水が引くまで泊まって行けと」


 ディアナは青ざめた。


「な、何ですって……?」

「毎日小雨だと思って油断していた。山の方では毎日休む間もなく大雨だったらしい」

「そんな」

「ディアナも、水が引いてから帰ったらどうだ」

「でも、バラ園が……」

「ああ。あそこは随分低地だからな……」


 二人に、それぞれ大切な人への思いが去来した。


 レオン。


 ラウラ。


「多分、大丈夫だとは思うが……」


 自身を落ち着かせるようにゲオルグが呟く。


 その時だった。


 扉がどんどんと複数人によって叩かれる。


 執事が様子をうかがいながら開けると、そこにはバラ園の面々が揃って待っていた。


 ディアナはたまらず駆け出した。


「レオン!」


 ずぶ濡れになったレオンがふらりとエントランスに足を踏み入れ、そこへ飛んで来たディアナが抱きつく。


 レオンは衆目の手前、苦笑いで妻を抱き締めた。


「し、心配してたんだから……!」

「ごめんディアナ。お互い無事でよかった」


 ゲオルグの目が、ふわふわと所在なく動く。


 はたとキートンの顔に視線を飛ばしてみたが、キートンはまるで子供のようにゲオルグから顔を背けるだけだった。


「……ラウラは……」


 ゲオルグの声に、ディアナは顔を上げる。


「ラウラはいないのか?」


 ディアナはレオンから体を離すと、キートンに尋ねた。


「キートンさん、今日もラウラさんはバラ園で配膳に出てらしたのよね?今、どこに……」


 するとようやく、キートンは雨にかじかむ唇で答えた。


「それが……ラウラを、小雨の内に森の自宅へ先に帰してしまって」


 ディアナは唖然とする。


「そ、そんな。だってあの森は川に近くて……」


 その刹那。


 ゲオルグは飛んで行って、ダニエルに詰め寄った。


「おい、お前」


 ダニエルの方はゲオルグに面識がなかったらしく、急に詰め寄られて目を瞬いている。


「早くラウラを助けに行くんだ。お前、ラウラを愛しているんだろう」


 ダニエルは驚きつつもゲオルグの胸を腕でぐいと押し、互いの間に距離を取ると答えた。


「ああ、それなら使いの者を行かせたから大丈夫だ」


 あ、とディアナが声を出す。


 ゲオルグの眉間に怒りのスイッチが入った。


「き、貴様……!自分の手でラウラを助けたいとは思わないのか!」


 ダニエルはぽかんとゲオルグを見つめる。


「そりゃ、そうしたいのはやまやまだよ。しかし、私にはベルツ商会の長としての責務があるんだ」


 ゲオルグは予想だにしなかった相手の答えに目を見開く。


「今、私が死ぬわけには行──」

「貴様あああ!ラウラの命と自分の命、どっちが大事だ!言え!!」


 大雨の音にも負けないゲオルグの怒号が宿屋の壁を震わせた。


 胸倉を掴まれたダニエルは、恐怖に目を白黒させている。


 それ以上何も答えられない彼を、ゲオルグは苛立たし気に突き放した。


「くそっ……貴様なんぞに期待した俺が馬鹿だった」


 ダニエルは腰が抜けたようになって、へたりと床に尻もちをつく。


「おい、ディアナ」


 問われたディアナは「はい」と素直に答える。


「お前の馬は……水を怖がらないか?」


 ディアナはごくりと喉を鳴らし、何度か頷いた。


「はい。私の馬、レギーナは……泳ぐ訓練を受けていますから」


 ゆっくりとこちらを振り返ったゲオルグは、灰色の瞳に覚悟の色を乗せて頷く。


「そのレギーナとやらを貸してくれ。今からラウラを助けに行く」


 雨音はより激しさを増している。


 しかしその確固たる決意の表情に、誰も彼を止める者は出て来なかった。

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