37.とりかへばや、貧民と金持ち
リップス村の温泉宿に着くと、事の顛末を見ていた御者が執事に何やら説明する。
ディアナとレオンには宿のスイートが与えられた。
部屋にはキングサイズのベッドがある。ディアナはそこに飛び込んで寝っ転がった。
「ああ~久しぶりの広いベッドだわ!」
「金持ちはこんなベッドに寝てるのかよ……スゲー」
レオンが貧民らしい感想を述べると、ディアナはくすくすと笑った。
「食事が出て来たら、その豪華さにきっとびっくりするわ」
「ハインツ邸で食事を与えられて来たから、そうでもないよ」
「そうなの?お父様はレオンたちに何を食べさせていたのかしら」
「賄いだよ」
「一皿?」
「まあそうだな」
「ここの料理は、コースで出て来るわよ」
「……コースって何?」
「前菜っていうお野菜から始まって、メインディッシュまでにどんどんお食事が追加されて行く食事スタイルのことよ。食べ終わったら、そのタイミングで次のお皿が運ばれて来る。食後にはデザートも出るのよ」
「へー。いっぱい食べられそうだな」
「そうよ。だからグスタフったらあんなに太るのよ。農作業も力仕事もしないわけだし……さあ、温泉にでも入りましょう。この部屋には専用のお風呂があるの」
「ええええ……そりゃすごい」
「案内するわ。ついて来て」
二人はスイートの奥の、温泉水を引き込んだバスルームに入る。大きな湯船に並々と張られた温泉に、二人で肩までゆったりと入った。
「ふーん。パブスト村の温泉小屋とあんまり変わらないな」
「そうね。でも、独占出来る楽しさがあるわ」
「そういや、ディアナと一緒に風呂に入るのは初めてだな」
「そうだったわね。ふふふ」
湯船から上がると、二人はそれぞれ自らの体に石鹸を滑らせた。
「何だこの石鹸!?すげーいい匂いだし、めちゃくちゃ泡立つんだけど!」
「これは外国製ね。ヴェンデルス王国では普通、手に入らないわ。きっとイシュタル商会の持ち物ね」
「……金持ちって凄いな」
「その感想、なかなかに極まってるわね」
「もうそれしか言えないよ。っていうかディアナ」
「何?」
「こんな贅沢をし尽くして、俺の嫁になったわけか?」
「そうね」
「信じられん……俺がディアナだったら絶対俺の嫁になんかならないぞ」
風呂から上がると、今度は食堂で食事をする。
執事やメイドが決められた皿を淡々と運ぶ。今日の前菜はサワークリームのカペリーニ。スープは生クリームと空豆の冷製ポタージュ、続いてエビのハニーマスタードソース和えがやって来る。合間に口直しのクランベリーのシャーベット、肉料理にはケーキを模したミートローフ。ラストにはプチチーズスフレとエスプレッソが待っていた。
レオンは次々になだれ込んで来た高級料理に膨れた腹を撫でつつ、持ち去られる皿とそれを運ぶ執事にいちいち目礼をしていた。
ディアナはその慣れない様子にクスクスと笑う。
夜になると二人は燭台の明かりの中、ベッドに寝転がって静かに語らった。
「……こんな生活をずっと続けてたら、体がなまるな」
ディアナはリネンシーツのひんやりしたベッドを這って行って、温かなレオンの肩に身を委ねる。
「だからお兄様は太るのよ」
「それに意外と刺激がないな。何て言うんだろう、達成感というか」
「とてもよく分かるわ。自分ですべきことがないのよ。お金持ちは口と目を動かしているだけで一日が終るの」
「こんなんじゃ会話の種なんてすぐに尽きそうだ」
「そうね。私達、あの小屋でずっと今日と明日の仕事の話をしていたものね」
「どの花が咲いたとか、いくら手に入ったとか」
「どこにどんな動物が出たとか、牛の乳が詰まったとか」
「忙しいのも辛いと思ってたけど、暇も辛いものなんだな」
「……本当に、そうね」
ディアナはベッドサイドの燭台をそっと吹き消した。
「……レオン」
「何だ、ディアナ」
「このベッドに寝ると、もっと大きいベッドが欲しくなるわね」
「……それを置くなら増築か、新築しないとな」
「いくらあれば出来るの?」
「増築なら金貨五枚、新築なら金貨十枚だ」
「あら。じゃあもう増築は出来るじゃない。お姉様から貰ったから」
「うーん、でもあと五枚足せば新築が買えるんだぞ?」
「そっか……悩みどころね」
「そうだよ、俺は最後まで二人きりで生活するつもりなんかないからな。子どもも産まれるだろうから、家は広ければ広いほどいい」
「……そっか。そうよね」
「何人ぐらい増やすおつもりで?お嬢様」
「……もう、レオンったら」
二人はくすぐったく笑いながら就寝のキスを交わす。互いの首筋から外国製の石鹸のいい香りを嗅ぎ取り、少しぎこちない手つきでレオンはディアナの寝巻きのボタンを外して行く。
一方その頃。
グスタフとイルザの間は膠着していた。グスタフが、言わばイルザを欺くような形で勝手にディアナらを小屋から追い出したのだから、彼女が怒るのも当然といえよう。
しかしどちらにせよ、腹が減るのはお互いにとって耐え難いことだった。
夜が更け、グスタフは燭台に火をともす。
「……何か、食べるか」
彼は独り言のように呟く。イルザはベッドに腰掛けたまま、動かなかった。
グスタフが小屋を漁る。
牛乳とじゃがいもが見つかった。
グスタフは炭に火を落とす。なかなかに時間がかかったが、火種が保たれたのを確認して、炭が赤く光り出すのをじっと待つ。
イルザはその炭を物珍しそうに見つめた。
グスタフは炭火の中に、豪快にじゃがいもを投げ入れた。
「ちょ、ちょっとグスタフ」
「大丈夫だ。じゃがいもなら焦げた周辺を取り除けば、中はマッシュして食べられる」
本当に空腹を凌ぐだけらしい。イルザは冷や汗をかいた。
「そうだわ。ここに、薄くのばしたラザニア麺が」
イルザは井戸水を沸かし、少し乾き始めた麺を茹でる。
茹でながら、ソースらしきものが何もないことに気がついた。
ふとグスタフが言う。
「小麦と牛乳でクリームソースが出来るぞ」
イルザは目を丸くした。
「そんなもの、私、作ったことないですわ」
「私は作り方を知っている。学校で習ったからな」
「え?学校?」
「そうだ。少年時代は寄宿学校で暮らしていたからな。大体の家事はやらされた」
「初耳だわ。寄宿学校?」
「ダニエルは、そこの後輩だ。同じ部屋だった……」
グスタフがフライパンで小麦粉を手際よく炒め始める。
イルザは隣でそれを珍しそうに眺めた。
「手元……見える?」
「いや。暗くて色がよく分からない」
「燭台をお持ちしますわ」
イルザは夫の手元を上方から照らした。白い小麦粉が色づき始めている。
イルザが牛乳を少しずつ回し入れると、次第にそれはクリーム状に泡立って来た。
塩を入れ、グスタフが味見をする。
「まあ、いいだろう」
イルザがそれをラザニアに回しかけ、食卓に並べる。グスタフが炭火から黒焦げになったじゃがいもを取り出して割ると、白いほくほくの断面が現れた。
「これにもクリームソースをかけよう」
マッシュポテトにもクリームソースを回しかける。
ようやく完成した二品。そこにワインを加え、小さな食卓が完成した。
イルザは恐る恐るそれを口へと運ぶ。
「あら、美味しい」
グスタフは得意げに鼻を鳴らした。
「クリームソースはよく作ったものだ。料理は下級生の仕事だったからな」
「……料理人は雇っていなかったのですか?」
「作って貰えるのは、朝と夜だけだった。昼は己で用意する習わしだったんだ。外で買い食いするやつも多かったが、他の連中は話し合って当番で作っていた」
「……他には何が作れますの?」
「サンドイッチなら大体作れる。卵のマッシュ、魚のフライ、タルタルソースに……ジャムもよく作ったな」
「まあすごい」
「クリームソースは万能だったから何度も作った。お勧めはカボチャと混ぜ合わせてのシチューだ」
「じゃあ今日の食卓は、寄宿学校の教育の賜物ですわね」
「そういうことになるな。意外な時に役立った」
イルザはすっかり喧嘩していたのを忘れ去っていたようだった。
夜は、グスタフが床に、イルザはベッドに横になって眠った。
最近あまり眠れぬ夜を過ごしていた二人だったが、この時ばかりは疲れ果ててあっという間に眠りに落ちて行った。




