26.謎の青い花
目を開けるとすぐそこに、レオンの筋肉質の裸体が横たわっている。
ディアナはそれを惚れ惚れと鑑賞してから、するりとベッドから抜け出し牛舎へ向かった。
「卵、卵、卵が食べたいなぁ」
火をおこし、鶏からいただいた卵を目玉焼きにする。
三男から頂戴した赤ワインをフランベし、香草とビネガー、砂糖、塩をはらはらと入れて、キャラメル色になるまで煮詰める。
目玉焼きにさらさらとその少し高級な手作りソースをかけ、昨夜姉からもらったパンを火であぶる。
「レーオーン!」
ディアナはレオンをぐらぐらと揺さぶった。
「起きて!朝ごはんが冷めるわよっ」
レオンはうっすら目を開けると、ディアナをベッドに引き込んだ。
「な、何?」
「もっかい」
「しないわよ!ほら、早く」
レオンは寝ぼけ眼で床に落ちていたズボンを履き、大きく欠伸をした。
少し豪勢な朝食。
レオンは食卓に座ると、静かに瞳を輝かせた。
「どうしたの?レオン」
「いや……朝からこんな食事、男ひとりだとなかなか出来なくてさ」
「そう?今日から毎日作ってあげるわ」
卵の黄身をほぐし、ワインソースと絡めて白身を齧る。空腹に任せて、パンで黄身とワインソースの混ざり合った皿を隅々まで拭いて完食した。
「あー、美味い……」
「あの温泉宿で見たの。うちにあるもので真似出来そうなもの、これから沢山作ってあげる」
「ディアナは本当に、いいお嫁さんだ」
「何?もう一回言って!」
「ディアナはいいお嫁さんだよ」
「あああ……こういうのをやりたかったのよ……」
ディアナはうっとりと小屋を眺めた。
「どんな豪勢なコース料理より、愛する人との差し向かいの食事。楽しい音楽より楽しい会話。全部、好きなもので囲まれた生活。私の目指した人生が今、ここに完成したのよ!」
「……大げさだな」
「本当よ?今までレオンの手前声に出していなかっただけで、ずっと私、心の中でそう叫び続けてたんだから」
「……そうなの?」
「今度からは声に出すわね。うるさかったらごめんね」
「いいけど、小屋の中で頼む。外でそんなこと言ってたら変人だ」
ディアナは悶えるように自分を抱き締めると、何度も頷いた。
「あ、そうだ」
ふとレオンが何かを思い出す。
「もう、藤の季節が終ったんだよ」
ディアナは窓から山を眺めた。
「あら本当」
「でさ、藤の花のシロップも、おばさん達に売り切っちゃったんだ」
「そうなの」
「他の花でシロップって出来るか?」
ディアナは首を傾げた。
「そうね。あと見たことがあるのは、薔薇のシロップね。でも、赤い薔薇じゃないと面白味がないの」
「そっか。白い薔薇じゃあ、ただの透明なシロップだもんなぁ」
「色付きっていうのと、香りが強いっていうのが、売れるポイントなのよ。藤の花のシロップは紫色をして華やかだったから、それで売れたわけ」
「ん?ディアナ……」
レオンは妻を興味深そうに覗き込んだ。
「何だかアウレール様が憑依したようだな」
ディアナはきょとんと夫の顔を眺めた。
「お父様が……?」
「ああ。王家にどの花を売り込むか考えている時のあの顔と一緒だ」
「そんな時期もあったわね。懐かしいなぁ……」
それでディアナは思い出した。
「そうだわ。お父様が言っていた、食べられる花ってどうなったかしら?」
野良着に着替えて小屋を出ると、ディアナは一直線に花壇に向かった。
ディアナは目を見張る。
そこには青い花がいくつか咲いていた。
「さ、咲いたわ……!」
「本当だ。ディアナ、スケッチしておいた方がいいんじゃないか?」
ディアナはスケッチしながら一輪手折り、それを手近な本に挟んで押し花にする。
ふとディアナは気がついた。
「……ん?この本」
「ああ、俺の本だよ」
「レオンって農民なのに本読めるんだ?」
「おいおい……馬鹿にするなよ。農閑期になると街から先生が来て、青空教室をしてくれるんだ。村の子供たちはその時字や計算を習う」
「へー、知らなかった」
「で、これは詩集」
「詩……」
「詩は農作業の時に口ずさめるからいいんだ」
ディアナはそのぼろぼろの詩集を見て、何だかこみ上げて来るものがあった。
「いい本との付き合い方ね。素敵……」
「そうか?ここらへんの農民は割にそうしてるぞ」
「そうなの……」
「先生も言っていた。詩はどこにでも持ち出せるものなんだって。作業してても、泳いでても」
「ふふっ。確かに泳ぎながら小説は読めないわね」
「けど、詩なら覚えていればいつでも詠める」
その時ディアナは思った。
彼らは物質的には貧しいかもしれないが、何と豊かな生活をしているのだろう、と。
「私も何か覚えようかな」
「……いいんじゃないか?」
本の間に挟まれた花が、少し香ばしい匂いを周囲に漂わせ始めた。
ディアナはそれに気がつき、青い花をもうひとつ畑からつまんで齧ってみた。
ふわりと花の香りが鼻に抜けた後、辛味がやってくる。不思議な味だった。
「辛くていい匂いの花か……」
ディアナは記憶を総動員した。
その時脳裏によみがえったのは、子供の頃にもらった外国製の小さな飴のこと。
「そうだ。この花の味、ちょっとハッカに似てるんだわ」
ディアナは花をくるくると風車のように回しながら、じっと思案した。




