22.救いようのない馬鹿ども
その晩、温泉宿ではグスタフを交えての夕食会が催された。
ディアナは食事に手をつけず、ぼうっと宴席を見つめて動かない。
「ディアナ」
相変わらず太りまわったグスタフが、その低い声で問う。
「調子が悪いのか?」
イルザも心配そうな視線を送る。
「あの子、ずっとあの調子なんです」
「戦乱から逃げて来たのだ。目の前で親も失っているというし、今になって緊張が切れ、疲れが出て来てもおかしくない。食べられるものだけつまんで、あとは残してもいいからな、ディアナ」
ディアナは糸が切れたように動かない。
グスタフが執事を呼び出し、そっと耳打ちをする。
ディアナは食堂から連れ出されて行った。
イルザはそれを見送ってから、やけつくようなため息を吐く。
「イルザ」
グスタフが告げる。
「今晩は私の部屋へ来い」
イルザは歯噛みする。
美しく結った髪、エステで磨き上げた肢体、美貌。今となっては、自分の美点全てが忌まわしい。
(ああ、早く老婆になりたい)
彼女は本気でそう思っていた。
(そうしたら、夜の務めから解放されるのに)
「そうだ、イルザ。以前からディアナを是非迎えたいと言っている美術商がいるんだけどね……」
グスタフの持って来た妹の縁談話に、イルザは顔を上げた。
「は、はい。美術商……」
「戦火が落ち着いてからでいいんだ。少し花嫁修業でもさせたいんだが、どうだろう」
イルザは曖昧に微笑んでから、急に虚無感に襲われてうつむいた。
(あの子も私と同じ道を辿るのかしら)
妹の部屋からまた泣き声が聞こえた気がした。イルザはそっと耳を塞ぐ。
一方その頃──
夕闇迫る荒地の山小屋をドンドンとノックする音がして、レオンは扉を開けた。
ゲオルグが立っている。
レオンはすぐさま扉を閉めようとしたが、足を隙間に引っ掛けられてしまった。
レオンは舌打ちする。
「何の用だ」
「お前に関わった人間は全員不幸になるな」
兄の突然の言葉に末弟は困惑する。
「……は?」
「お前さえいなくなれば全員平和に暮らせたんだがな」
「またそれかよ。大昔に聞き飽きた。帰れよ」
ゲオルグは少し間を置いてから、何かを言い淀んだ。
レオンは何かの予感に気づく。
「だから、何しに来て……」
「お前は決して俺みたいになるな」
「……」
「ディアナはリップス村の温泉宿にいる」
レオンはぽかんとゲオルグを見つめた。
「隠しても無駄だ。女房を追い出したんだろ」
「……!そ、それは」
「何だ」
「……ディアナはこんなところにいても幸せになんかなれないから……」
「よくわきまえているようだな、自分の立場を」
ゲオルグの灰色の瞳がいつもと違う光を内包している。
レオンはそれを眺め、呆気に取られた。
「ゲオルグ。何を知っている?」
「……」
「何を企んでいる」
ゲオルグは弟の困惑の表情を見つめるとこう告げた。
「ディアナ、泣いてたぞ」
言うなりゲオルグは踵を返し馬に飛び乗る。そして馬上から弟に罵声を浴びせた。
「お前は救いようのない馬鹿だ」
「……」
「一度死んだ方がいい」
「……」
「お前の考える幸福は底が浅い」
「……うるせー」
「馬鹿だからな」
「うるせー馬鹿!」
「死ね」
「死ぬ前に絶対お前を殺してやる!」
「……ははっ」
「笑うな!」
互いに罵声を浴びせ合いつつも、何かが彼らの内側に共通して芽生え始めていたのだ。
それはきっと、ディアナが植え付けた種。
ゲオルグは振り返ることなく手を振った。
レオンはゲオルグの姿が消えたのを見届けると、開け放たれた扉を、一歩出る。
夕闇に白く浮かび上がったレギーナが、じっと澄んだ目をしてこちらを見つめていた。
「くそっ……何なんだよ」
レオンは馬へと歩きながら唇を震わせる。
「ディアナめ……何でよりによってあのクソ兄貴の前なんかで泣いたんだよ」
レギーナが鼻先をレオンの額に近づける。
「何を話して……」
レオンはレギーナの首を引き寄せた。
「……ディアナ」
その名に反応して、レギーナが微かにいなないた。
「……ダメだ」
レオンは意を決して、レギーナに飛び乗る。思い切り腹を足蹴にされると、レギーナは全速力で駆け出した。
「ダメだダメだダメだ……」
レギーナに吹き飛ばされそうになるのを堪え、レオンは馬上で姿勢を低くする。
「今更……ダメなんだって……!」
ゲオルグの乗った馬を、レオンを乗せたレギーナが全速力で抜き去って行く。
ゲオルグは末弟の遠ざかって行く背中を眺め、ふんとどこか得意げに鼻を鳴らした。




