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郷に入っては



『お~い!』


 ナギが戻ってきた。

 沼地を走り回っていたのに毛皮は一点の染みもないのが解せぬ。

 さすが神獣というべきか、神獣のくせにというべきか。


「ナギ、どうだった?」

『湿地たちを抜けた森の中。洞窟を使っている。子供は四人。大人は十人。うち二人が出入り口をみはっている』

「すごいね……」


 そこまでよく調べてきたな。


「カーリーは洞窟から逃げてきたの?」

「はい、その通りです!私は子供達とは別の場所に監禁されていたので中の様子はわかりません」


 それからカーリーは逃げ出すのが遅かったら今ごろは奴らの性奴隷になっていただろうと体をぶるりと震わせた。

 なるほど、だから子供達とは別室だったのか。


「話を聞けば鬼畜も同然。皆殺しでよろしいのではないですか?」

「同感だ。下種な輩のために骨を折る手間が惜しい」


 ナーガとウルバルはクールに恐ろしいことを口にする。

 骨はおらずにばっさりと叩き切る手間は必要なのか……。


「で、でも殺すのは……」

「捕まれば死罪は確定の行状のようです」

「し、司法が……」

「貴族でなければ裁判なんて面倒なことはしない。現場の作った書類を見て裁判官が罪人に会って直接罪状を決める」


 公平な裁判なんてもんは存在しないという。

 じゃあ何のために裁判が行われるのかと聞けば、悪役が誰かをはっきりさせるためだけの茶番劇だというなんとも世知辛い答えが返ってきたので、もう司法云々言うだけ無駄なのだとわかった。

 悪者ではなく、悪役ってあたりがもう、ねぇ、大人の裏事情ってやつですよね。

 どの国もだいたいそんな感じだそうで、モラルはどうなっているのだろうかと首をかしげる。


 金と権力で善悪をひっくり返す輩はだいたいが上にいて、普通の裁判官や兵士はそれなりに善人だそうだ。

 もちろん賄賂で態度を変える奴もいるらしいけれど、それはほんの一握りの人間だけで、たいていは良識のある大人だそうだ。

 どの裁判官に裁かれるかはその時にならないとわからないという話が一番怖かったけどね。

 弁護士という職業はなく、法律家という肩書を持つ人がギルドの仲裁部門や裁判官になるそうだ。


「名の通った悪人ならともかく、指名手配もないような悪党は捕まえるだけ税金の無駄ですから」


 人権団体が聞いたら発狂しそうなセリフだが、ここでは当たり前の事。

 働かざる者食うべからずは働かないなら死ねという考え方で。

 ……自称自宅警備員はこの世界だとどうなるのかな。

 ニートになれるって恵まれているんだなぁと思考が横道にそれたところで現実に目を向けた。


「そうですね。だいたいこの魔の森をなんで悪人を守りながら抜けなくてはいけないんですか?」


 カーリーもひどいことをいっているがこれがこの世界の常識なのだ。

 いくら悪いことをしたからといって云々、人権がどうのこうの、それよりもまずは自分の身を守るほうが優先させるのだ。

 ひどいかもしれないけれど、カーリーの言葉は私の中にすとんと落ちた。

 悪人は自分の命を懸けてまで助けるべきものじゃない。

 そういった考えが馴染んでしまうほどに私はこの世界に慣れてしまったのだと寂しく思えた。


「……カーリーは逃げる時、誰かを殺したりしなかったの?」

「しません。残った奴らが生意気にも仇討だとほざいて執念深く私をつけ狙う可能性が高くなるので」


 人道的な理由でなかったことに口元が引きつるのが自分でもわかった。

 悪人にも変なメンツがあるらしく、仲間が殺されたままにしておくと他の組織に舐められる(弱者の集まりだと思われる)ので、仲間を殺すとかえって意地になって追いかけてくるらしい。

 ただ逃げただけならどこかで鉢合わせしない限りはわざわざ追いかけてきたりしないそうだ。

 裏社会のメンツの在り方を一つ知ってしまった。

 今後、役に立たない知識であることを祈ろう。


「お嬢様。ああいう手合いは一匹逃がすと増殖して戻ってまいります」

「ぞ、増殖って……」

「……手を汚したくないのはわかるが、覚悟を決めたほうがいい」


 ウルバルが淡々とした口調で私に選択を迫る。


「仮に子供達だけを助けて奴らは放置する。奴らのとる手段は二つ。一つ目は隠れ里の連中を皆殺し。二つ目は我々の後を追いかけてきて我々を殺して子供達を強奪」

「なんで隠れ里の人たちを?」

「奴らはこう思うだろう。隠れ里の連中が冒険者を雇って子供達を奪還した。次は人質がいなくなった俺達を殺しに来る。やられる前にやれ、だ」


 短絡的だが、いかにも悪党の考えそうなことだ。

 里の人たちは関係ないと言っても、奴らには関係のない話だ。

 蹂躙された原因を作るのは私。


「二つ目だったらどんな問題が?」

「魔物がいつ襲ってくるかわからない。それは奴らに襲われている時かもしれない。その時、君は奴らからも魔物からも子供達を守り抜ける自信はあるのか?」


 言葉に詰まる。

 はっきり言って自信はない。

 ウルバルとカーリーの実力はよくわからないけれど、ナーガとナギならできるだろう。

 だけど、無傷でいられるかは保証できない。

 そして彼らがケガをしたり最悪の事態が起こった場合、私は私を許せなくなるだろう。

 子供達に八つ当たりをするかもしれない。

 改めて、法治国家にいるわけではないのだと感じた。


「……わかった。覚悟を決める」


 彼らの怒りを里に向けさせてはいけない。

 子供を心配する里の人たちの顔を思い出す。

 人を殺すことが良とされる場合がある世界なのだ。


 郷に入っては郷に従えとはいうものの、殺意とは無縁の世界で育ってきた私にとっては人殺しというワードは画面や紙面の中の話で、現実的ではない。

 食べ物さえ殺すことがなかった世界から来た私だが、ようやく食べられるものを殺す行為に慣れてきたというのに、次のステージがあるとは。

 この期に及んでもなお、一段上に上がりたくない。


「ためらえば、やられるのはお嬢さんのほうだぞ」


 ウルバルの声は相変わらず淡々としたが、感情をはさまないようにしているのだろう。

 人殺しを推奨されれば拒否感が勝るってわかっているのかもしれない。


「それでも……」


 やる、と言えなかった。

 声が出てこなかった。


「お嬢様は最初から生き物を殺すことにためらいを覚えていましたね。愚かで傲慢なお嬢様に相応しい心遣いに失笑と憐みを覚えました事はまだ記憶に新しいです」


 愚かで傲慢……その通りだ。

 生き物を殺すのを嫌がるくせに肉食だし。


「割り切ることができずにいるお嬢様は本当に箱入り娘だと思わずにはいられません」


 脳内でナーガの後頭部をバットで殴ることはできても、現実で実現可能な行為はせいぜいハリセン止まりだ。

 そして箱入りという点では誰よりも箱入りだったと自慢できると思う。

 日本にいて殺されて死ぬなんてまずありえない事態だし。


「お嬢様は手を下す必要はありません。命令するだけでいいんですよ。汚れ仕事は下の者の仕事ですから」


 素晴らしい笑顔でそんな薄ら寒い事を言われても、どう反応していいのかわからない。

 カーリーはウルバルとナーガと睨みつけた。


「料理人がいるように、人を殺すのが生業の者もおります。お嬢様はご命令をする覚悟をもてばよいのです。処罰せよ、と」

「ええっと……」


 いかん、眩暈がしそうだ。

 つまりそれは、人に命令して間接的にだが殺す覚悟をもてということか?

 それとも自分の手を汚さず口だけで他者の手を汚させるという罪悪感に対して覚悟をもてという事か?


 何が正しくて何が悪いのか。

 ここには明確な線引きがない。

 日本には法律という線引きがあった。

 人を殺したとしても、正当防衛ならばたいていは許される。

 殺すという意思があったら裁かれる。

 わかりやすいという事は、考える必要がないという事でもある。

 善悪は個人の気持ちであって法律ではないのがこの世界の在り方なのだろう。


「そうそう、言い忘れておりましたが、私、職業が暗殺者です」


 カーリーの屈託のない笑みからとんでもない発言に私は思わず空を見上げた。

 ……神様は私に何をさせたいのだろう?


「一応、確認しておきたいのだけれど」

「はい、なんでしょうか?」

「人を殺して楽しい?」

「精神異常者じゃないので楽しいとは思いませんけど」

「けど?」

「仕事ですので、楽しめたらいいとは思います」

 

 仕事に対する姿勢は至極まっとうな感じだ。

 人を殺す仕事でなければ私もうそうだね、と共感できる。

 カーリーは何かに気が付いたように私を見て微笑んだ。


「仕事以外で人を殺すことに喜びを覚えたことはありませんよ」


 ……仕事中なら、あるんだね。


「暗殺者あるあるなんですが、その点を誤解する人は結構いるんですよね」


 あるある……暗殺者の集いでそんな話題で盛り上がったりするのだろうか。


「狩人だってむやみやたらに獲物を狩ったりしません。木こりだって仕事以外で木を切り倒したりしません。料理人の男が家で母親や妻の料理を食べるのと一緒です」


 カーリーはこてっと首をかしげた。


「暗殺者も同じです。依頼人がいるから殺すのです」


 可愛く言われても困る。

 そして横でうむうむ、さもありなんと言いたげな顔でうなずくナーガとウルバル。

 何が怖いって、カーリーの精神状態はどう見ても正常だって事だ。

 健全な考え方の基準が違いすぎてどうしていいのかわかりません。

 健全な精神は健康な肉体に宿るって言葉があったよなぁ……。

 思考回路がそろそろショートしそう。


「お嬢様はご自身を狙う暗殺者ですら殺すなとおっしゃいますか?」


 ナーガの問いかけに私は身動きできなくなった。


「そうだね。これから先、そんなこともあるかもしれないね。考えたこともなかったけれど」


 考えたことはあっても、自分に置き換えて考えたことはなかった。

 あくまでも小説やドラマのように第三者のようにとらえていたのは否めない。

 おそらく、たぶん、いや、絶対に。


 ナーガはそれをわかっていて私に現実を突きつけようとしている。

 いつか来る現実のために、私に心の準備をさせるために、なるべく私が罪悪感をもたないように罪人を使って。

 そう考えるとこれから殲滅する悪党どもが気の毒になった。

 お人好しで能天気な女に現実を教えるための教材として死んでいくのだから。

 彼らのご冥福を祈りながら、私は日本人としての価値観を壊すために、この世界に染まるために、一つの決断をした。








 悪党どもの巣窟へ行く間に、私は一つ気が付いた。

 殺すことに覚悟を持つ事に、結局は誘導されたのでは?

 言いくるめられた気分は否めない。

 もちろんこの世界ではそれが当然で、私の立場ではやらなきゃやられる。

 常識人だと思っていたウルバルでさえ、悪党は裁きなしにその場で殺してよいという。

 そもそも偵察のはずが、どうして殲滅活動になったのか?

 覚悟を決めたからそれはまぁいいんだけど、もやっとしたものが残るのはなぜか。

 わかっていても、まだ私の中で納得しきれていないからだろう。


 日本に帰れないんだから、こっちの世界の理に従うのは当たり前。

 だけど、でも。


 それをしちゃって日本での倫理観を塗り替えちゃったら、日本人であるアイデンティティがなくなりそうで怖いのだ。

 戻れないんだから、日本に帰ったら人殺しを良しとした自分がどう思われるかなんて考える必要はないのに、おかしいね。


 物語のように悪い人たちをばっさばっさと薙ぎ倒し、特大魔法をばんばん打ち込んで。

 ああ、私は、数多の主人公のように強くなれそうもない。

 決意したくせに、もう迷っている。

 揺らぎまくって、この期に及んでも逃げ道をさがしている。


『大丈夫か?』

「後でモフらせてくれるなら」


 びくっと硬直した後、ナギは断腸の思いで頷いたように見えた。

 ええ~っ、そんなに嫌なのか?

 ショックを受ける私をよそにナーガとウルバルはカーリーからもらった情報をもとに簡単な見取り図を地面に描いてどう突入するか打ち合わせに入っている。

 あれ?私は参加してないんだけど、なんかみんなだけでサクサク進めて……。


「ではお嬢様、逝きましょう」


 ナーガがいつもの口調で私に声をかけてきたけれど、何か違和感があった。


「なんか違う響きに聞こえたんだけど?」

「気のせいでございます」

「絶対に今、天に召される方向だったよね?」


 ナーガが可哀そうな物を見るような眼差しを私によこす。


「実戦を前に、荒ぶっておられるのですね。大丈夫でございますよ」


 絶対にわざとだよねこの人!

 脳内バカ息子が肯定するようにこくりと頷いたような気がした。



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