雇用契約
「ご安心ください。雇用契約がなされた今、私はご主人様の奴隷のようなものです」
ちっとも安心できない発言に声を上げた。
「執事と雇用契約したのになんて奴隷!」
焦る私とは逆にナーガラージャさんはどこまでも冷静だ。
「守秘義務を怠った場合、不利益を及ぼす命令違反をした場合、私は神の罰を受けることになります」
「大げさすぎない?」
「最高難度の雇用契約をさせていただきましたので、結果的に奴隷のようなものになってしまいました」
最高はわかるけど、なぜ難度という言葉が出てくるのかさっぱりわからない。
クラスじゃなくて難度……。
「雇用契約がなくなったら、私の情報、しゃべっちゃうの?」
「いいえ。それを含めての契約です。前の主人とはそういった契約を結んでおりませんので、恥ずかしい過去から最新の愚かな行いまですべてお話しできますが、ご主人様の場合、雇用契約が解消されてもそれは継続されます」
「どうしてそこまで……」
「貴女様がどこのだれで何者であろうとも、私の命を救っていただいたことには変わりありません。私の本気をあなたに知っていただきたかったのです」
そういってナーガラージャは深々と私にお辞儀をした。
こういう時だけ真摯な態度って卑怯だと思う。
彼の覚悟に何も言えなくなってしまった。
「ナギ、どうしたらいいの?」
『そいつの言ったことは事実だ。お前の正体を話しても、お間の許可なく他者にそれを知らせることは契約上、できない』
ナギの言葉に私は首をかしげる。
「ナギはどうして彼を私に勧めるの?」
『……俺は人族とは違う理で生きている。今は人族である静香に合わせているが、それは人のいない世界だからできることだ』
「意味が分からないよ、ナギ」
『ここでは俺とお前は一緒に眠れるし、食事もとれる。しかし人の世界に戻ったらそれは叶わぬ。俺はベッドは使わないしカトラリーも使わない』
言いたいことが分かった。
聖獣で崇拝される立場でもあるけれど、生活スタイルは獣だ。
服を着てイスに座ってカトラリーを使って食事をし、ベッドで眠ることはしない。
そばにいることはできるけど、それだけしかできなくなるのだ。
「ナギ……ありがとう」
先の事を見越して、彼は私と同じ人の味方をつけたいと思ったのだろう。
自分の行けない場所にも一緒にいける存在を。
『あれはお前に恩義を感じている。あれを味方にできるということは、使い方次第で世界を敵に回しても生き残ることは可能だ』
どんだけ優秀で恐ろしい存在なんだよ……。
『それができるからこそ権力者になればなるほどかの一族を味方に欲しくなる。しかしそれをかの者達は駒になるのを望まない』
「意味が分からない。執事って駒じゃないの」
『執事は兵器でも戦の道具でもない。主の身の回りの世話をし、主が動きやすいように補佐する存在だ。主を守るために戦う事はあっても、兵士のように国や領民を守るために戦う事はしない』
なんだかわかるような気がした。
彼らなりに執事という仕事に誇りがあるのだろう。
「私の事、話した?」
『俺を見損なうな』
「ゴメン。なんていうか、私にとってナーガラージャは都合のいい存在だったから不安になったの」
「都合がよいのなら好きなように使えばよいのに、なぜ不安になるのか聞いてもよろしいでしょうか?」
不思議そうにナーガラージャが質問してきた。
「だって詐欺にあっているみたいで。ただより高い物はないって格言があってね」
無料という言葉につられるとあとで高くつくという意味を説明すると、ナーガラージャは笑みをこぼした。
「なるほど。言いえて妙でございますね。面白い」
「甘い言葉で近づくのは詐欺師の常套手段だし、家を持たない女を騙して売るとかありえそうな話だし、不安になるってそういう意味」
「危機管理がしっかりなさっているのですね」
騙されると思っていたと話したら、なぜか褒められた。
「ご主人様は私にどう呼ばれたいですか?主様、ご主人様、静香様、お嬢様……」
「普通に静香さんで」
「かしこまりました、お嬢様」
人の話を聞いてないな、こいつ。
「それでは私の趣味で仕事上はお嬢様、プライベートは静香様と呼ばせていただきます」
無人の状態で無駄に公私を分けてどうするのだろうか。
「私の事は名前を呼び捨てにしてくださってけっこうです」
「……物は相談なのですが、ナーガ、と呼んでもいいですか?」
「かまいませんよ。敬語もなくてかまいません」
それはちょっと無理かな。
体育会系の人間なんで、人生の先輩は敬語。
そして社会人なら敬語。
このご時世、自分より年下でも社長がいるからね。
若造がと思っていたら取引相手のおぼっちゃまだったりとか、大学卒業とともに起業しちゃいましたとか、人生の落とし穴に足を取られないためにも敬語は必須。
「愛称で呼ばれるとは、いつぶりでしょうか」
なんかホクホクしている。
ナーガラージャって長いしいいにくいのはもちろん、地球では神様の一人、いや、一柱だ。
神様の名を呼んで命令って、気持ち的に無理だよ。
罰当たりな気がして無理だ。
崇拝者に殺される……いや、異世界だからそれはないけど。
「なんなりとご命令を、お嬢様。貴方の願いを叶えることこそが私の私情の喜び」
ん?なんかいま、至上じゃなくて私情って脳内で変換されたぞ。
ナーガは右手を胸に当てながら頭を少し下げる。
うん、年季が入っていますなぁ。
様になっているを通り越してこれが当たり前なような気になるから不思議だ。




