番外編 魑魅魍魎04
「……やっぱり弱いね、こいつ」
地面に転がる大きなイノシシの頭を見下ろしながら、思わず呟いた。
思えば、これまでいろいろな連中と戦ってきたよね、俺も。
一番最初のドラゴンに始まり、最近では人の姿へと至った「害虫」とかさ。
そんな連中に比べたら、このイノシシはまあ……強い方じゃないよね。
特殊な能力もなく、ただ宙に浮いて何かしゃべっているだけだったし。首だけになっても動いていたのは、特殊能力と言えなくもないかもしれないけど。
でも、所詮はそれだけ。
もちろん、それは俺が強いわけではなく聖剣が強いからだ。うん、そこはきちんと心得ていますとも。
俺自身は、ただの小市民だし。
それはともかく、このイノシシ、本当に魍魎の主なんだろうか?
そりゃ、ダイカクさんがそう言うのなら、きっとそうなんだろう。実際、妙に偉そうだったし。
でも、これで都までの旅が少しは安全になったんじゃないかな? ねえ、そうですよね、ダイカクさん?
ん?
あれ?
そのダイカクさんはと言えば、なぜかぽかんとした表情で俺を見つめているけど、どうしたんだろう?
◇ ◆ ◇ ◆
葛城の御山に棲むと言われる、魍魎の主。
その主らしき存在を、シゲキ殿はいとも簡単に屠ってしまった。
その光景を前に、僕は呆然とするばかり。
「茂樹さんじゃないけど、戦いやすい相手でしたね」
「あまり動き回ることもありませんでしたし、攻撃しやすい相手でしたわ」
「その割には、悲鳴みたいな声を上げていたけどね、ミレーニアは」
「ひ、悲鳴ではありません! あれは鬨の声というやつです!」
魍魎の主に恐れる様子もなく、二体の式神たちは実に楽し気に言葉を交わしている。主同様、式神たちもあの大イノシシを恐れてなどいないようだ。
「さて、ダイカクさん。何か変な邪魔が入りましたけど、改めて都へ向けて移動しましょうか」
魍魎の主が出現したというのに、何事もなかったかのように言い切るシゲキ殿。
普通であれば、今頃僕たちは生きてはいないか、魍魎に取り憑かれているであろうに。
このことを、誰かに話したとしても、おそらく信じてもらえはしないだろう。
魍魎の主をいとも簡単に討ち取り、その後は何事もなかったかのように振る舞うなど、信じろと言う方が無理な話だ。
そんなシゲキ殿と配下の式神たちを連れ、僕は都へ向けて歩き出す。
その道中、いろいろなことをシゲキ殿と話した。彼は実に様々なことを知っていた。これまで聞いたことのない異国のことさえ知っていたのだ。
一体、彼は何者なのだろう。改めて、そんな思いが湧き上がってくる。
不動明王の利剣を携え、空を駆け、鬼神のごとき二体の式神を使役する。
彼は神仏の遣いか、それとも神仏そのものか。
そんなことを胸中の片隅に抱えつつ、日暮れまで彼らと一緒に旅をした。
「ほう、それではその剣の銘は……」
「はい、カーリオンと言います」
シゲキ殿が腰に下げた神剣に手を添えながら答えてくれた。
あれほどの神剣であれば、間違いなく有名な剣であると思って尋ねたのだが、僕にはその銘に心当たりはなかった。
しかし、剣の銘が「狩り鬼」とは。まさにシゲキ殿が所持する神剣は、神仏の敵たる鬼や魍魎を屠るために授けられた剣なのであろう。
などなど、様々なことを話しながら、僕たちは歩き続けた。そして、やがて空が赤く染まり始める。
今日はここいらで枯葉を枕に一夜を明かそうか。そうシゲキ殿に進言しようとした時。
気づけば、彼の姿はなかった。従える式神たちと共に。
「し、シゲキ殿……? い、いずこに行かれたか……?」
周囲に声をかけてみるが、返答はない。
徐々に暗くなり始めた辺りには、静寂が広がっているばかり。時折、遠くから獣か鳥、もしくは虫の声が聞こえるばかりで、シゲキ殿と式神たちの姿は全く見えなかった。
「も、もしや……僕は狐狸妖怪の類に化かされたのか……?」
思わずそう考えるも、すぐにそれを否定する。
仮に本当に化かされていたとしたら、狐狸妖怪たちの長である魍魎の主を討つわけがない。
僕は懐から、とある物を取り出して眺める。
それは、あの大イノシシから切り取った牙だ。大イノシシの巨体に見合った大きな牙は、今も確かに僕の手の中に存在する。
それは、今日起こったことが決して夢などではないという証。
間違いなくシゲキ殿たちは存在し、魍魎の主たる大イノシシを討ったのだ。
たとえ誰も信じなかろうと。僕は信じる。一人の男と二体の式神が、魍魎の主を討ったという事実を。
同時に、一つのことを僕は決意する。
いつか、今日の出来事を我が子に伝えよう。
いつか、僕に子ができたとき、今日の出来事をありのままに我が子に伝えよう。
神仏の利剣を手にし、鬼神のごとき二体の式神を従え、宙を自在に駆けた男のことを。
そのことを、昇り始めた新円の月を見上げながら、僕は孔雀明王に誓うのだった。
◇ ◆ ◇ ◆
討たれた。
討たれた。
我らが主が討たれた。
知らせろ。
知らせろ。
我らが主が討たれたことを。
ニンゲンに主が討たれたことを。
広めろ。
広めろ。
同胞たちに。
我らが主さえ屠った、恐るべき剣のことを。
分からぬ。
分からぬ。
あのような恐ろしい剣はいくらもあるのか?
ニンゲンたちは、法力以外にも我らを討つ術を持っているのか?
あのような剣の使い手が、他にも存在しているのか?
どうする?
どうする?
どうすれば、我らは滅ぼされぬ?
ニンゲンなど、我らにとって単なる餌ではなかったのか?
我らを傷つける術を持たぬニンゲンなど、貪るだけの存在ではなかったのか?
分からぬ。
分からぬ。
我らには分からぬ。
我らはニンゲンを知らなさすぎる。
ニンゲンを単なる餌としか考えていなかった我らは、ニンゲンを知らなさすぎる。
気をつければいい。
気をつければいい。
我らを傷つける刃に気を付ければいい。
分からぬ。
分からぬ。
ニンゲンが持つどの刃が我らを傷つける力を持つのか。
逃げればいい。
逃げればいい。
我らを傷つける刃を持つニンゲンからは逃げればいい。
ニンゲンが持つ全ての刃から逃げればいい。
どうする?
どうする?
今後ニンゲンを貪るには、どうすればいい?
貪ればいい。
貪ればいい。
我らを傷つける刃を持たないニンゲンを貪ればいい。
刃を持たぬニンゲンだけを貪ればいい。
よかろう。
よかろう。
刃を持たぬニンゲンを貪ればよかろう。
そして、刃を持つ全てのニンゲンから逃げればいい。
妙案なり。
妙案なり。
刃を持たぬニンゲンを貪り、刃を持つニンゲンから逃げる。
妙案なり。
実に妙案なり。
広げろ。
広げろ。
全ての同胞に広げろ。
刃を持たぬニンゲンと刃を持つニンゲン。
それを見極めろと、広く同胞に伝えるのだ。
広げろ。
広げろ。
広げろ。
広げろ。
広げろ。
広げろ。
広げろ。
◇ ◆ ◇ ◆
「あ、瑞樹さん!」
バイトの休憩時間。バックヤードに戻った私に、香住がにこやかに声をかけてきた。
「この前友達と図書館へ行く機会があって、そこでこんな本を見つけたんですよ!」
そう言って彼女が差し出したのは、一冊の本。
それなりに厚みがある上に、結構古そうな本だ。
「なにこれ? 役小角について書かれた本?」
役小角。
実在した人物らしいが、逸話にいくつもの尾鰭がつきすぎて、どこまでが本当のことなのかよく分からない人物だっけ?
空を飛んだとか、山と山の間に橋をかけたとか、鬼を使役したとか、島流しになりながらも、海の上を歩いて富士山に向かったとか。
他にも、いくつもの逸話があるらしいけど、私が知っているのはそれぐらいかな。
「で、その役小角がどうかしたの?」
「この本に書かれている小角は、〈鬼〉……昔は〈魍魎〉って呼ばれていたそうですけど、その〈魍魎〉を不動明王より授けられた神剣で何体も斬ったって書かれているんですよ」
「それって、よくある設定じゃないの?」
人類の天敵ともいうべき〈鬼〉。その〈鬼〉を斬ることのできる剣。その伝説は世界各地に存在している。
かつて、この世界に君臨した〈鬼王〉と、その〈鬼王〉を討った剣士とその剣士が所持していた〈狩鬼の太刀〉の伝説。
その剣は今もこの世のどこかに存在していて、その剣があるからこそ、〈鬼〉は刃物を恐れる……なんて話も聞いたことある。
そういや、例の〈鬼王〉を倒したのが役小角である、なんて説もあるそうだ。
まあ、それらの説が真実かどうかはともかく。
香住が持っている本も、きっとその辺りの設定を活かした物語なのだろう。
「物語の形式としては、役小角の父親である役大角が語り手となって、息子である役小角の活躍を説明していくんですけど……それでちょっと気になったところがあるんですよ」
「気になったところ?」
香住の話によると、作中に登場する役小角は不思議な力で以て各地で様々な活躍をするらしい。
その中で、葛城山に棲む恐ろしい〈鬼〉を、役小角が使役する二体の式神と共に退治する話が気になると香住は言う。
「役小角は孔雀明王より授かった青く輝く衣を着て、不動明王の利剣を手に空を舞いながら〈鬼〉と戦っているんですけど、青く輝く衣と剣と聞いて…………何か思い当たりませんか?」
青く輝く衣と剣、ねぇ。
それって、茂樹が現れる時の格好よね?
確かに、茂樹は近未来世界で手に入れたらしいブルーメタリックの結構派手な服を着ている。何でも、防弾防刃性能に優れた近未来世界の戦闘服なのだとか。
それに、茂樹の代名詞ともいうべき例の聖剣。あれだって結構派手な作りをしているし、かなり印象的ではある。
だけど。
「偶然の一致じゃない? それとも、香住は役小角と茂樹が同一人物だとでも言いたいの?」
「さすがに茂樹さんと役小角が同一人物だとまでは思いませんけど、でも、偶然にしては結構似ているなーって」
香住はそう言うが、それでもやっぱり偶然だろう。そもそも、役小角と茂樹が同一人物だなんて馬鹿げている。
「でも、小角の父親が大角って、随分と安直よね」
「あ、役大角は実際に小角の父親らしいですよ? ちょっとネットで調べたんですけど、どこかのサイトでそんなことが書かれていました。他のサイトでは、『おおづぬ』ではなく『だいかく』と読む場合もある、なんて書かれていましたけど」
へえ、役小角は有名だけど、その父親の名前までは知らなかったわ。そりゃ役小角が実在の人物だったのなら、父親がいるのは当然だけど。
「うーん、私は『狩鬼の太刀』と茂樹さんの聖剣とは、絶対に何か関係があると思うんですけど」
どうやら、香住はそのことが気になっているらしい。だから、図書館へ行った時に「狩鬼の太刀」について改めて調べたのだろう。そして、この本を見つけたわけだ。
茂樹の聖剣が本当に伝説の「狩鬼の太刀」だったとしたら……それはそれで確かにおもしろいと私も思う。
実際、茂樹の聖剣は〈鬼〉を斬ることができるし。
だけど、それはこじつけが過ぎるというものではないだろうか。
そもそも、茂樹も彼の聖剣も私たちとは文字通りに住む世界が違うのだ。
あの聖剣にまつわる伝説がこの世界、それも千年以上も昔の時代に残されているとは思えない。
「あと、この本によると昔は〈鬼〉に対して効果のある手段があったそうですね。いわゆる、霊力とか法力とか言ったものらしいですけど、〈鬼〉が刃物を恐れるようになったから、それらの手段も徐々に廃れてしまったとか」
ああ、その話なら私もどこかで聞いたことがある。大昔は実際に霊力や法力などを操れる人たちがいたとか。
いわゆる、修験者とか陰陽師とかいう人たちのことだ。
彼らが厳しい修行を積んだのは、全て〈鬼〉と戦うためだったらしい。だけど、いつの頃からか〈鬼〉が刃物を恐れるようになったため、次第にそれらの技術は必要なくなったそうだ。
必要のない技術はやがて廃れてしまった。今の時代に霊力や法力などといった技術が残っていないのは、それが主な原因らしい。
「どっちにしろ、この本の内容と茂樹とあの聖剣は関係ないと思うわ」
と、私はその本を香住へと返すのだった。
以上を持ちまして、今章は終了です。
次章はいよいよ最終章の予定。実は今章が最終章のつもりだったけど、予想外に長くなったので分けた、なんてことは決してありません。ええ。
その次章は、ちょっとだけお休みしてから再開します。再開は2月17日(水)の予定です。
では改めてまして、引き続きこれからもよろしくお願いします。




