025
「なんつーか、ぬしら、頭に毒針でも刺さっとるのではないかの」
ロゼの声がした。そちらを見ると、部屋の入り口でドン引きしていた。いたのか。
「苗の民も頭おかしいが、赤マフラーも躊躇なさすぎじゃろ。鬼畜かぬしら」
「わ、わたしは、その、つまり……。えっと、変かな?」
「表情は見えんかったから評価は保留じゃ」
ロゼが俺とフィーナさんに近づいた。しゃがみ込んで、フィーナさんの腕の傷と、俺の左腕を見る。
「……一応聞くが、この腕はどうするつもりじゃ? 黒いのはそろそろ血が足らんのではないか? 頭くらくらせんか?」
「あー、言われてみればちょっと、ぼーっとしてきたかも」
頭に血が上っていたから気付かなかったが、全身がだるいし、なんか頭の中もまとまらない。もやがかかっているみたいな感覚だ。疲れた時とはちょっと違う、なんというか、考える機能が欠損した、みたいな感じ。
「服もじゃな。しかたないの。わしが助けてやろう。ほれ」
気軽に言って、ロゼがフィーナさんの腕に触れた。ドロシーのナイフでぐずぐずにされた傷跡が、瞬く間に再生する。なんだこれ。グロいよ。
そのまま、俺の左腕を治療して、フィーナさんのローブも修復してくれた。手で振れただけで治癒や修復ができるって、どういう魔法だ。
「ほれ、黒いのは血も戻してやろう」
そう言ってロゼが俺の胸元、心臓の辺りに触れる。体や頭がじんわりと暖まるのが分かった。いつの間にか体温が下がっていたみたいだ。
「他におかしいところはないかの?」
「い、いや。大丈夫。ありがとう」
「うむ。貸し一つじゃからな」
まだふらついているフィーナさんを立たせる。ローブは焼けこげていた部分も切り裂かれた部分も元通りになっていた。ただし、表情だけは酷く陰鬱だった。
「フィーナさん、大丈夫ですか? どこか気分が悪いとか……」
「気分は最悪よ」
フィーナさんが即答する。
「コースケごときに騙された屈辱……」
……うん、うんまあ。そうだね。
◇ ◆ ◇
闘技場に戻ると、死屍累々だった。
俺たちがもたもたしている間に現れたのであろう、真鍮色の鎧を纏った騎士団。それから、ランパルトの獣達。それらが闘技場に倒れていた。人間だけは生きているようで、近くに転がっている者たちは微かに呼吸をしていることが分かる。
ザインとシアラだけが闘技場で戦っていた。ただ、かなり余力を残しているザインに比べて、シアラは動きがおかしい。相当体力を消耗しているみたいだ。
これ、全員一人で倒したのかよ。シアラをあしらいながら。化け物か。
「フィーナ、近づいたらだめよ」
「これは……。《トレアスの鱗粉》? 精神汚染の毒……初めて見るわ」
通路にまで伸びている赤いひび割れの手前で立ち止まって、フィーナさんが口元を抑えた。
「《レティシアの抗毒薬》はないの?」
「今は無いのう。わしにはあの魔法は効かぬのでな。持ち歩いておらんのじゃよ」
シアラが膝をついた。体力の限界だ。駆け寄って、シアラを抱き起こす。呼吸が荒く、体が震えていた。顔色も悪く、目が血走っている。抱き起こした俺の肩を借りて、起き上がろうとする。
「ぐ、うぅ……」
「シアラ、落ち着け。もう大丈夫だから」
落ち着けないことは分かりつつ、思わずそう言ってしまう。シアラの目はまっすぐにザインを睨んでいた。親の敵にでも見えているんだろうか。シアラならばあり得そうだ。
「コースケ、そのまま捕まえてろ。絶対俺に近寄るな」
ザインが短く言って、俺たちから距離を取る。地面に広がっていた赤いひび割れと、周囲に舞っていた赤い鱗粉がザインの体に集まる。身にまとった黒いコートのような服の表面にまとわりついたそれらは、浮かび上がった血管のようにも見えた。
シアラが力なく項垂れる。《回復の呪文》をかけてやると、少しだけ呼吸が落ち着いた。目を瞑って、荒い呼吸を繰り返す。シアラを置いていったのは失敗だったと思ってしまう。
ザインの鱗粉の魔法といい、フィーナさんの白い花の魔法といい、感情に働きかける魔法は本当に質が悪いな。
ザインが黒い、禍々しいオーラのようなものを纏う。眼帯で覆われていない目が赤く光り、黒い服装ながらに見えていた陰影が覆われる。ロゼが言っていた、魔法の副作用ってやつか。
ザインがゆっくりと頭を振って、俺たちを見る。距離がかなり開いているにも関わらず、剣を構えた。禍々しい気配を感じて、俺は思わずシアラを抱きしめる。肌がびりびりとする。魔法を解くと暴走するというのは、そのまま、理性を失って手当たり次第に暴れるということなのだろうか。だとしたら、どうすればいい?
踏み込み。一歩でこちらとの距離が半分詰まった。想像以上の速度だ。
瞬きさえできない一瞬の後に、目の前にロゼが現れた。俺たちに背中を向けて、両腕を広げて、ザインを抱きとめようとでもするように。白い髪が揺れる。
小柄なロゼがザインを止められるはずが無い。黒塗りの両手剣が、小さな体を斜めに両断する。
「——ッ!」
息を飲んだのが自分だったのか、シアラだったのかは分からない。
まっ二つになったロゼの体から血液と内蔵が吹き出す。両手剣から吹き出すように黒いオーラがまき散らされて、ロゼの体にまとわりつく。肉が解け、骨が変色して、バラバラに飛び散った。粘性の液体をぶちまけたような水音。ロゼだった肉体は紫の固形物と赤黒い液体に変貌した。一瞬で。
「——コースケ、無事だな」
ザインが言った。いつの間にか、黒いオーラは消えていて、赤く光っていた目も元通りになっている。今のは何だったんだ? ザインがロゼを殺した? どうして?
「ざ、ザインは——」
とにかく何か口に出さなければと思った。
「——仲間を殺せるのか?」
どうしてそんなことを聞いたのかはよくわからない。もっと他に聞くべきことがあるような気もする。けど、目の前の光景が唐突過ぎて、混乱していた。
ザインは少し考えるそぶりをする。
「そうだな……。仲間を殺したことはある。何度もな。他の仲間のために見捨てたことも、仕事のために切り捨てたことも、俺の采配のミスで殺したことも、俺が負けたから守れなかったことも、ある」
ザインの顔に後悔や苦痛は感じられない。割り切ってしまっているのか。
「殺したくて殺したことはないが、仕方なく殺したことは何度もある。今ではもう、仲間なんていないがな」
「……ロゼは? ロゼは仲間じゃないのか?」
「そうだな、仲間というより、共犯者か」
共犯者、という言葉の意味が分からずに戸惑っていると、微かな笑い声が聞こえた。水音がして、そちらをみると、上半身だけのロゼが這い上がろうとしていた。
「く、くっくっく……。共犯者、というには、まず罪人であらねば、ならんぞ」
「なッ——なんで!?」
喉が引きつりそうになる。腕に抱いているシアラが小さな悲鳴を上げた。血溜まりの中から這い出したロゼの上半身は、少しずつ再生を続ける。やがて腰が蘇り、足が生え、身にまとっていた白いワンピースも再生される。
立ち上がったロゼが、体の調子を確認するように手足を動かす。体操でもしているみたいだった。そして、一通りその作業を終えると、俺に向かってピースしてみせる。
「いったじゃろ、わしの命は軽いとな」
——なるほど。
時間の流れが遅い異界。欠損や血液を蘇らせる回復魔法。フィーナさんのローブを元通りにする修復魔法。そして、今の自己蘇生。
「ロゼは、時間の魔法を使えるのか?」
「正解じゃよ、黒いの。くふふ、昔わしをころそうと躍起になっておった魔術師が、《目覚め続ける時計》とか呼んでおったのじゃよ。それで、ロゼじゃ。随分古い話じゃがな」
「じゃあ、事後処理済ますか。騎士団を拘束して、団長殿を叩き起こして、報酬もらってさっさと街を出るぞ、ロゼ」
ザインが面倒そうにそう言った。
次回で4章も終わりです。




