020
「ザインに魔法を解いてもらうのは?」
「まあ不可能ではないが、オススメはせんよ。あれは《トレアスの鱗粉》という魔法なのじゃがな、解くと今度は術者が正気を失って暴れだすんじゃ」
「なんて魔法使ってんだ……ッ!」
思わず頭を抱えた。……けど、ザインの魔法によって、ルドルフさんも俺も戦場にいながら安全地帯にいる。その意味で、彼の判断は間違ってなかったんだろう。ていうかこの魔法、実際に戦場で使ったら相当やばいよな。
「もちろん対処法もあるが、薬飲めばどうこうってわけでもないのじゃよ。せめて獣共の数が減るまでは難しいのう。あと……十五匹くらいか? 体力あるのう、あやつら」
ロゼが獣たちを見ながら嘆息する。《呪文の王》で俺も獣たちを見る。どいつもこいつも、中々にバリエーションに富んだ能力を持っていた。けど、飛び抜けて危険そうなやつはいない。
「ま、この場はザインがなんとかするじゃろ。むしろこの場を確実に抑え込むために、ザインが動いとるようなもんじゃしな。獣どもを皆殺しにして、騎士二人が動けないくらいまで疲弊させるならば、朝飯前じゃ。雷獣と応援の騎士団だけ、わしらでなんとかすれば良い」
シアラさえ正気なら逃げても良いんだけどなぁ……。いや、でもガレスさんとルドルフさんには生き残ってもらわないと、俺が決闘に買った事を証明する第三者がいないのか。ザインは一応、決闘に関してはこちらの身内みたいなもんだ。
だとしたら、ロゼの言う通りにするしかない。ああ、フィーナさんがいれば知恵を借りられるのに……。あの人、いつも肝心な時にいないよな。今日もあんまり興味がないとか、よくわからん理由でどこかに行ったし。
『息子……いや、ランパルトは……私宅の地下室に向った筈だ。探し出して、雷獣を止めてくれ。騎士団の方はまだ本格的に動き出してはいないことは、協力者によって確認できている』
協力者——? 妙な言い回しだ。この件について、外部の人間を雇ったということだろうか。彼自身の従者なら、協力者なんて言い回しはしない——と思う。
『恐らく、コーデックが何らかの合図を送る手筈だったのだろうと推測するが、それが叶わなかったのだろう。動けていないのならば、ひとまずは無視して良いと考えている』
「なるほど……えっと、それじゃあ、頑張ってみますけど——」
「ルドルフ・オゲイン卿。雷獣の討伐は、コースケへの依頼ですか? それとも、まだ手続きの終わっていない養子縁組の、親としての立場を傘に着た請願ですか?」
ドロシーが俺の言葉にかぶせるように、話に割り込んだ。一瞬の間を置いて、ルドルフ卿が応じる。
『……依頼だ。ドロシー・ドロセリアを含む二人に対して。当然、報酬は支払おう』
「ありがとうございます。それでは、相応の額を期待しておきます」
ドロシーが澄まし顔で金を引き出しやがった。流石本職……。細かい金額は、終わってから納得のいく話し合いをってところか。今値段交渉する時間はないしな。
「あ、面白そうじゃからわしも付いてくぞ」
「……良いけど、ロゼ、戦えるの?」
「無理じゃが、死にはせん!」
ドヤ顔で胸を張るロゼ。その自信はどっから来るんだよ……。けど、この場に置いておくのも不安といえば不安だ。いや、ルドルフ卿のところに帰らせれば良いんじゃないのか?
「ロゼ、やっぱ何かあったらザインに殺されそうだから、ここで大人しくしてて」
「はぁ? ぬし、本気で言っておるのか? 男の子じゃろう? いった今”良い”と言っておきながら即座に前言を翻すとは、呆れたもんじゃの」
「……いえ、やっぱいいです」
なんかぼろくそに言われた。
ロゼとドロシーを連れて、闘技場を出る。中央の戦闘用のスペースから外周の建物の中、つまり観客席への階段や出入り口、そして他の建物に接続されている渡り廊下に繋がる通路に入った。目指すのは俺たちが決闘の前に入ってきた入り口の反対側、他の建物に繋がる渡り廊下だ。
この闘技場はルドルフさんの敷地の端にある。そして、ランパルトが向ったという離れは渡り廊下から堅い木の床材で整備された通路の先に、目的の離れがあった。
「あれ、フィーナさんの魔法?」
「多分そうじゃないの? 大方、この展開も予想して、最初から手を打っておいた、とかね」
あの人ならあり得そうなのが困る……。けど、一体何を予想したら、こんな事態にあらかじめ手が打てるっていうんだ。
その建物は、小さな館だった。恐らくランパルト個人に割り当てられたのだろう、二階建ての建物で、少し離れた場所に見えるより大きな館に比べると迫力に欠ける。規模としては、前の世界の一般的な一戸建てといった感じだろうか。建物の様式は全く異なっていて、この街の建物としては華美に感じられた。
そして、窓という窓から、這い出しているのか入り込んでいるのかわからないが、とにかく大量の植物が出入りしている。地面も緑に覆われ、生茂った草がまるで建物そのものを封印しているようにも見えた。
侵入者を拒むようにか、あるいは何かを封じ込めるように。周囲に人影は見られない。異変を感じた使用人か誰かが現れそうなもんだけどな……。
近づいてみると、建物の出入り口は使えそうだった。扉は閉ざされている。《呪文の王》の権能で見るが、特に変わった事は無い。
「なあドロシー、雷獣って結局どんなやつ?」
「私も、噂でしか聞いたことないのよね。魔法生物って基本的に数が少ないから。小型の生き物で、高すぎる攻撃力に注意すれば討伐は易しい、とは聞いた事があるけれど、正直、情報不足が否めないわよね」
「なに、遭遇すれば分かるじゃろ。事前に特性が割れても面白くないしの」
ドロシーとロゼの意見が真逆だった。個人的には、面白さとか求めてないので、できればもうちょっと事前情報がほしいところではある。
建物の中に入る。外と同じく植物だらけだったが、けど異変にはすぐ気付いた。エントランスから一つ奥の部屋、そこから何かが焼けこげるような音と匂いが立ちこめている。
「何、この匂い。火事……?」
そちら側の部屋の扉は少しだけ開いていて、そこから植物が這い出し、今まさに蠢いていた。《呪文の王》を発動したまま、慎重にそちらに近づく。
黒く焦げた植物の残骸と、何かを抑え込むように蠢く無数の茎や枝葉。植物たちは床板を捲り、窓を破り、まるで地下から這い出しているようにも見える。植物の奥、部屋奥まった場所に下り階段があり、地下に続いているみたいだった。そこからも植物は這い出しているが、けれど人が通れるくらいの空間を保ったままにされている。
はじける音と、焼ける匂い。激しい光によって植物たちが焼き払われ、そしてその植物の檻の中から、鬱陶しそうに白い獣が這い出した。
小さな、猫程の大きさの、狼のような姿の、黒い目の獣。それが首を振って、植物たちを弾き飛ばしながら、這い出してくる。
「…………」「…………」
思わず無言になる俺とドロシー。
「お、おおお! 可愛いの、こいつ!」
ロゼがテンション上がっていた。
白い獣は俺たちを認識し、周囲の植物を雷を発して焼き焦がしながら、俺たちに対峙する。
《呪文の王》が、雷獣に施された呪文の片割れを見せる。……命を、回収する? あるいは受け入れるような構造の呪文。これ、魔法器官じゃない、のか? 随分乱雑な呪文に思えた。あるいは、欠損がある……?
そんな悠長な思考は、次の一瞬で消し飛んだ。
何かが破れたような奇妙な音がして、横倒しに突き飛ばされていた。
床に倒れた俺の上に、ドロシーとロゼが覆い被さる。爆音。全身が痺れるほどの圧力を持った音と共に、扉の辺りが丸ごと吹っ飛んで、強烈な光が飛び散った。視界の半分が残像で真っ暗になっている。
「な、な、なあああ!?」
「い、今のは……?」
ドロシーが困惑する。雷獣の攻撃に驚いているのではない。それが全く見えなかった事と、ロゼにいつの間にか突き飛ばされたことに、驚いている。俺だって同じだ。
気付いた時には横に突き飛ばされていた。コマ送りにでもされたみたいに。
小柄な獣が瓦礫を押しのけて、ゆっくりと部屋に戻ってくる。植物は一瞬で消し飛んでいたが、懲りずに再びうぞうぞと這い出してきた。雷獣がその身から紫電を散らして、周囲を覆おうとする植物たちを焼き払いながら、ゆっくりとこちらを向く。
「ふん、攻撃力が高かろうと、命中しなければ一緒、ということじゃな」
立ち上がったロゼがそう言う。けど、いや、ええ……? 状況が全く読めない。今、何があったんだ……?
頭の中は混乱していたが、けどいつまでも倒れているわけにはいかない。俺とドロシーも立ち上がった。剣を抜く。けど、こいつ相手に剣が通じるのか……?
「《術式解放、雷火》」
詠唱によって、瞬時に加速する知覚。雷獣が前足に力を入れたのが見えて、即座に、本能的に、ドロシーを引っ張って左に飛んだ。ロゼには手が届かない——。
次の瞬間、右側の空間が光になった。雷獣の体が前に膨らんだように見えたそれは、雷撃の奔流。光によって、その部分が黒く見える。残像現象だっけか。半分使い物にならなくなった視界で、即座に振り返る。
部屋の中は溶けて焼けていた。瓦礫と土煙の中から、雷獣がふるふると首を振りながら現れる。仕草だけは可愛らしい。
「ありがと、タイミング掴めたから、もう離して大丈夫」
言われて、ドロシーの手を離す。
「了解。で、どうする?」
「隙を見て《千の火剣》を打ち込む。それで終わり」
「くるぞ!」
ロゼがそう叫ぶと、雷獣が再び前足に力を込めた。そこまでしか見えない。その瞬間から、あとは光だけ。雷撃そのものを身にまとった体当たり。魔法器官を持たない規格外の生物。なるほど確かに、《呪文の王》で見えるのは不確かな、恐らく後から施されたであろう呪文だけだ。
雷にまつわる魔法器官を持っているのではない。存在そのものが魔法である生物。
横に飛んで回避する。そして、呪文を唱える。
「《我が右目、無明の異界、踊る明滅の道をたどる蛍火、交差の巫女よ心意に従い扉でない扉、窓でない窓を開き、世界との接点は切り繋がれ、また解け結われる》」
魂を見る《命視の呪文》。それを右目にだけ施す。これで、雷獣の生死を確実に知る事ができる。ドロシーの攻撃で殺せたかどうか、できるだけ早く知れるようにと思ってのことだけれど、その目に見えたのは些細な違和感。
微かな、けれど確かにある青白い魂の灯火が見えた。
……なんだ、これ。小さい? そんなことって、あるのか?
「《千の火剣》!」
ドロシーの声と、室内が灼熱に包まれるのは同時だった。雷獣の雷とドロシーの炎の剣によって、部屋を覆い尽くしていた植物たちが黒い炭と煙に変わっていく。
「おお、これは《巨兵殺しの大筒》の応用魔法か! 図抜けておるのう!」
ロゼが感嘆の声を漏らす。どんだけマイペースだよ。
部屋はボロボロで、壁には穴が空き、床は捲れて、窓ガラスは割れ、調度品は見る影も無い。扉も雷獣の攻撃によってふっとんでいて、どこがどうなっているのかよくわからない有様だった。
ぐるりと、調子でも確認するように無数の炎の剣がドロシーの周囲を巡った。そして、次の瞬間、矢のように雷獣のいる辺り全域に打ち込まれる。爆発音と破壊音。連続して響くそれらは、雷獣の命を奪った。
右目に見えていた小さな魂の灯が、消失する。尚も打ち込まれ続ける炎の剣。全てが打ち終わるまで、それは数秒続いた。
「ドロシー、死んだみたい」
「……ん、思ったより呆気なかったわね。けど、室内だったのが良かったのかしら。外だったら狙えなかったかも」
ドロシーが嘆息しつつ、そんな感想を漏らした。
だが、次の瞬間。
消えた筈の魂の灯が、再び点いた。どこかから細い光が繋がって、雷獣のいるであろう場所に、先ほどと同じ微かな魂の灯が現れる。
「そ、蘇生——ッ! まずい、また来るッ!」
叫び、俺は反射的に、真横に飛んだ。
描写ムズイ。




