019
俺より速く——いや、その闘技場にいた誰より速くザインに襲いかかったのは、シアラだった。
「があぁぁぁああ——ッ!」
獣のような咆哮と共に、ザインに両腕の爪を振るう。その爪をザインが禍々しい剣で受けて払い、シアラの胸元に蹴りを放つ。体重の乗った一撃でシアラが踏鞴を踏むが、けれどその間合いにザインを収めたままだ。
両腕でザインの脚を掴み、そのまま振り回そうとするシアラ。ザインが、掴まれた脚を起点にぐるりと、曲芸のように回転して二撃目の蹴りを放つ。顔面を穿たれたシアラは、思わずザインの脚から手を離した。
走る俺の隣を狼が走り抜ける。最初に襲いかかってきた二匹の生き残りだ。怯むシアラの脇を通り抜けて、ザインに牙を剥いた。
「威勢がいいなァ——イヌ無勢がッ!」
ザインの禍々しい柄の両手剣は、黒い金属で作られた刃をしていた。下から斜め上に振り抜く斬撃。狼はとっさに反応して、牙でそれを受けるが、吹き飛ばされてしまう。別のところから襲いかかった豹も、鷹も、その剣に反撃され、大きなダメージを負ったものはいなかったが、全てあしらわれていた。
だめだ、殺さなければならない。獣達にできないなら、俺がやらなければ。俺と同時に、ガレスさんとコーデックもザインに襲いかかる。右腕に力を込め、タイミングを合わせて剣を振り上げる。三方向からの同時攻撃。
その瞬間だった。赤い鱗粉のようなもので侵された俺の視界に、ドロシーが割り込んできた。
「——ッ!?」
思わず剣を止めようと、筋肉に変な力を入れてしまう。痛みが走る。その一瞬の隙に、ドロシーに密着され、柄を抑えられた。そして、ぐるりと視界が回る。
「かッ——は」
背中を打ち付けて肺から空気が抜ける。平衡感覚が歪み、自分の状況が分からなくなった。
空が青い。ドロシーが俺に馬乗りになると視界が遮られて、代わりに俺を見る青い目が見えた。良く知る目だ。あれ、俺、なんでこうなってるんだっけ?
「んむ」
混乱してたら、キスされた。柔らかい。ぬるりと、ドロシーの舌が割り込んでくる。あ、噛んだら痛いから口開けないとダメだ。いや違う。なんで!? なんでキスされた!?
テンパっていたら、どろりと、ドロシーの舌を伝って液体が注がれた。絵の具みたいな味の、粘性の液体。ドロシーの唾液じゃないことは確かだ。口の奥に流し込まれたそれを、思わず飲み込む。
頭が冷えた。
なんで俺、ザインに攻撃したんだ——?
ドロシーの唇が離れる。唾液が糸を引いてエロかった。
「意識、はっきりした?」
「あ、ああ。えっと、なんだったんだよ、あれ」
「さあ……詳しくは知らないけど、敵意とか憎悪を煽って、自分に向けさせる魔法らしいわよ。今飲ませたのはその魔法に対する抗毒薬。飲めば魔法が効かなくなる。まあ数日しか効果がないらしいけど。私もさっき飲んだ」
「あ、なるほど。それで動けるのか」
ドロシーに腕を引かれておき上がる。シアラもコーデックもガレスさんもザインに襲いかかっているが、それらを器用に捌いて、獣だけに傷を負わせていた。様子を見る限り、ザインの体力の問題を考えなければ、数十分もすれば獣は全滅だろう。
ザインを中心に嵐のような乱闘が巻き起こり、けれどドロシーに投げ飛ばされて距離を取ったこの場所は、安全地帯だった。ザインが俺たちから離れるように、乱闘の中心地を移動したのかもしれない。
恐ろしく強引に安全地帯を作る魔法だった。
「オゲイン卿がザインを雇ったのよ。ランパルトが最後に、オゲイン卿も狙えって宣言したでしょ? その時に。それで、あの場にいた私とロゼは、ザインからこの薬をもらったの。コースケの分もって余分に渡されたけど、……えっと、その、アレしか手段なかったから」
ちょっと顔が赤いドロシー。かわいい。
「うん、役得だったよ。また今度しよう」
「死ねッ!」
蹴られた。痛い。
「それで、どうする? ランパルトを追いかける? オゲイン卿曰く、向った先は邸宅の地下室だって。そこで飼ってるとっておきを連れてくるつもりだろうって言ってたけど」
「あー、何そいつ。ていうか、そいつは召喚できなかったのかな」
「さあ……。何か事情があるんじゃないの。私の知ったことじゃないけど。それで、どうする? ザインに全部任せる?」
「それは無理じゃろ」
背後から声がして、振り返るとそこに立っていたのはロゼだった。こちらはどうやら、観客席から階段を使って下りてきたらしい。
「えっと、無理って?」
「簡単な話じゃな。あの小僧といけ好かん騎士は、グルじゃったのじゃよ。細かい話は面倒じゃから省くが、小僧は万が一負けたときの保険が欲しかったんじゃろうな。そして、騎士のほうは派閥争いじゃ。ガレスじゃったか、あの偉いのは。あやつを殺して、全部うやむやにする。そのために選ばれたのが、この私設闘技場というわけじゃ」
「ん、まあ、納得はできるわね。けど、根拠が薄い」
「その辺りはジジイから直接聞くが良いぞ。ほれ」
そう言って投げ渡されたのは、小さなパネルのようなものだった。金属製で、掌に収まる長方形くらいのサイズ。《呪文の王》の権能で見れば、それが対応するパネルとの間で声を届ける魔法具だと分かる。
これ、そこそこに複雑な魔法式を手のひらに収まるサイズまで圧縮して刻んでるな。作るのは骨が折れそうだ……。
『聞こえるかね?』
「はい、聞こえます。えっと、あなたは?」
剣撃の音と修羅ってる四人と獣の声がうるさいので、ランパルトが出て行った方に移動しながら、パネルの声に応じる。
『ルドルフ・オゲインだよ。ランパルトの父親だ』
ああ、そういう……。観客席の方を見ると、優雅そうなおっさんがそれっぽい仕草をしていた。手のひらに向って話かけているっぽいのが分かる。
ドロシーとロゼと一緒に、闘技場の出入り口から外周にある通用路に入る。一応、ここからでも闘技場で暴れている連中は見ることができた。シアラが空飛んだり火を吹いてるのがヤバい。
火を吹く魔法って、上手くやれる時とやれない時があるって前に言ってたような気がするけど、見たところ極普通に使ってる。感情の高ぶりは魔法の成功率を上げるんだろうか。
「えっと、はじめまして、コースケ・ムスミです」
『知っているよ。手続きが終われば私の息子、ということになるな』
……なんか、やり辛いな。一応、息子の人生を奪った、ってことになるのか。俺が。
「それで、ランパルトが何を考えてるのか、ルドルフさんは知ってるんですか?」
『委細に渡るまで説明するには時間が惜しい故、簡潔に言おう』
その言い回しが簡潔じゃねえよ。
『あの息子は私の失脚を狙っておる。そのために私を事故死させるのが目的だ』
「事故死……それは、この状況で可能なんですか? あなたが今死んでも、何があったのか勘ぐられるのでは?」
『この決闘の結末を知っているのは、この場に立ち会った人間のみ。故に、皆殺しにすればなんとでもなるとあの馬鹿息子は考えてるのだろうな。愚かなことだ』
……なるほど、つまり、この決闘の場は、いわば情報が隔絶された場でもあるわけだ。
決闘を観戦できるのは決闘に関わる者のみを原則とする。そして、決闘の場は端的に言って殺し合いだ。どんな戦いになるか分からない以上、観客が巻き込まれる可能性がゼロとは言い切れないだろう。ならば、決闘の場は事故率が高くそして人の少ない閉鎖空間。
その場の全員を殺せば、そこで何が起きたのかを知る人間はいなくなる。
ただ、ルドルフさんがこの考えを愚かと評した以上は、何か対策が施されているということだろうけれど……。そもそも、この私設闘技場を用意したのは、厳密にはランパルトじゃなくてルドルフさんというわけだしな。
『息子のことは既に愛想が尽きておる。親子の情が無いとは言えんが、しかし自ら招いた破滅だ。受け入れなければならん』
「……厳格なんですね、あなたは」
『これは厳格などと言う程のことではない。それより、重要なのは息子の目的ではないだろう、コースケ殿——いや、もうコースケと呼び捨てるべきか?』
「お好きにどうぞ」
呼び方はワリと、どうでも良い。……ああ、えっと、ランパルトが立場を賭けていたということは、俺はこの人の息子ってことになるのか? 養子縁組みたいな? なんかますます距離感が分からなくなってきた。
『ならばコースケ、良く聞け。障害は二つだ。第一に、あの息子は雷獣を手懐けておる。そして第二に、反ガレス派の騎士がもうすぐここに現れるだろう』
「雷獣……それが本当なら、恐ろしいわね。ザインでも勝てないし、私でもせいぜい逃げ回るのが限度かしら」
「くはは、なるほどの。小僧といけ好かん騎士もまた、一枚岩ではないということか」
ルドルフさんの言葉の意味が分からなかった俺と違って、ドロシーとロゼはその意図するところを把握したらしい。
「えっと、ごめん。説明してほしいんだけど……」
「雷獣ってのは、魔法生物——つまり、魔法によって生まれた生物よ。自然物への信仰とか、土地への信仰がそのまま生き物として顕現したもの。魔法そのものによって生まれたから、普通の生物が持つとされる魔法器官の限界という枷を持たないわ」
……ドロシーの言葉が、《呪文の王》によって無数の知識を与えられた俺には理解できる。
根本的に、イメージを具現化する魔法と、組み立てた事しか実行できない呪文とでは、その応用の範囲が大きく異なる。簡単に言ってしまえば、魔法は呪文より扱いが難しい分、その限界はない。想像力、精神力さえ許せば、世界だって作り上げられるのは、ロゼの門の六界で証明済みだ。
以前遭遇した魔造生物。あれが、呪文によって体を組み立てて生み出された生物。だとしたら、魔法によって——おそらくは、そう言った生物が実在するという信仰——無数の人々の想像の集合によって、生物を生み出す魔法が発動してしまうことも、あるだろう。
「騎士団の方は簡単じゃの。小僧が目撃者全員を亡き者にしたいのならば、騎士団は自分達以外の全員を亡き者にしたいのじゃ。反ガレス派、つまり今のリーダーには付いていけんという連中が主導なのじゃろう。小僧の誘いに乗った形での、派閥争いじゃの。くは、俗物は愚かじゃのお。コースケ、お前、負けとったらコーデックに殺されとったぞ」
まじかよ……怖えな。けど、そう言われるとコーデックがあの騎士を斬り殺して、ガレスさんに剣を向けたのも頷ける。恐らく、もう一人いたあの騎士はガレス派——というのがあるかはわからないが、とにかく普通の騎士だったのだろう。コーデックの味方ではなかったから、厄介者として殺された。
なんで俺とランパルトの決闘でこんなに面倒くさい事が起こってるのか、さっぱりだ……。
「ああ、くそ! つまり、雷獣ってのをなんとかして、騎士団もなんとかしないと、全員死ぬってのかよ。同士討ちしてる場合じゃねえんだけど……シアラだけでも正気に戻せねえかなぁ」
「竜人の小娘か? ん、そうじゃのぉ……」
ロゼが乱戦エリアを見遣る。しばらく眺めて、首を横に振った。
「すまん、わしにもちょっと厳しい」
「私も無理かな。接近戦じゃシアラを無力化できない」
「ですよねぇ」
ザインに襲いかかる獣の速度と、騎士の洗練された剣術。その両方を合わせたような動きで、しかも空まで飛んでる。あの子、どうやって空飛んでんだろうなぁ……。翼とか無いのに。魔法でそういう事もできるって、前言ってたっけか。
ちなみに、4章のキャラクターを単純な強さ順に並べると
ザイン:人類の至高クラス
シアラ:パワーだけなら最強クラス(種族特性のため)
ドロシー・ガレス・コーデック:超優秀(三国無双で武将扱いくらい)
ランパルト・コースケ:戦える人(三国無双だとモブくらい)
ロゼ・フィーナ:非体術系の人(三国無双だとなんか守られるイベントキャラ)
コースケは呪文の剣があればランパルトより遥かに上で、ドロシーには届かない程度ですかね。《呪文の王》も検討するなら状況次第でザインも下せる感じ。
シアラは力が突出してるのでドロシー達より上扱いですが、技量まで総合的に考えると相性や戦いの流れによっては負けることもあります。あと、アテアグニ族としてめちゃくちゃ強いわけではないので、同族の戦士には力でも劣ります。まだ若いし。
ザインは今後出てくるキャラクター含めても多分最強クラス。ただ破壊力のある魔法を使えないので、遠距離だとドロシーの《千の火剣》の狙撃でけっこう痛い思いをするかもしれない。




