018
壁に施していた結界の呪文を解く。それから、ガレスさんに肩を借りて、ランパルトから距離を取る。
「念のため、離れておいてください。改めて宣言する! この決闘、コースケ・ムスミ殿の勝利である!」
観客席にいたドロシーが胸を撫で下ろした。ロゼがはしゃいで、シアラが大慌てで闘技場の壁から飛び降りてくる。俺のところまで駆け寄ってきて、ガレスさんから俺を受け取った。俺は受け渡された。モノかよ。
体力が尽きていて、あんまり動きたくない感じだから、良いんだけどさ。
「兄さん! 兄さん、兄さん。ああ、こんなに沢山血が出てます! は、早く治療しないと……ッ!」
「落ち着け、シアラ。致命傷じゃない、から」
致命傷じゃないと言っても、放置してれば失血死するだろう。壁際まで連れられて座らされると、シアラがおろおろとしはじめる。
「に、兄さん。ごめんなさい、私じゃ包帯を巻いてあげることもできません……」
ああ、そうか。腕か。それは、仕方ないことだけど……。シアラの手では、器用に道具を扱うことはできない。精々が、ものを持つとか、そういった程度だ。そのことで泣き出しそうな顔をしているシアラをみて、頭を撫でてやる。
「気にするなよ。シアラにしかできないこともあるだろ」
「……私、兄さんの脚を引っ張ってばかりです。この決闘だって、私のことが知られなければ、兄さんが応じることもなかったです」
「それは、そうかもしれないけどさ。シアラは自分でお金を稼げるし、俺よりずっと戦えるじゃん」
「…………」
実際、シアラは俺たち三人の中で一番戦う力がある。商人の戦闘力が高いというのは不思議な話だが、事実なので仕方ない。ドロシーとシアラが一対一で戦うなら、普通の間合いならシアラの方が勝つらしい。遠距離戦ならドロシーにも分がある、とか言ってたか。
「コーデック! トラディス! ランパルト殿に隷属紋を施せ!」
「かしこまりました!」
いつの間にか下りてきていた二人の騎士が、ランパルトの両脇に立ち、彼を押さえ込んでいる。ガレスさんが離れた場所にいる二人の騎士に指示を飛ばすと、あちらからも大きな声で返事が返ってきた。ガレスさんが俺から離れて、そちらに歩いていく。
ランパルトの両脇に立っている騎士が手に持っているのは、巻物……? 食堂で柄の悪い振る舞いをしていたコーデックという騎士ではなく、もう一人の騎士がそれを開き、両腕を掴まれて項垂れているランパルトの背に乗せる。鎧の上からでも効果があるのだろう。
《呪文の王》を使ってそれを見る。……ちょっと、情報量が多いが、そのほとんどは打ち消しの作用や解除のための呪文を退ける、いわばセキュリティのような仕掛けだった。
これが《隷属呪文》か。本質は、感情のコントロール。反抗的な感情を押さえ込み、思考能力を奪う呪文だ。法律で制限されるのも頷ける。こんなものが出回ったらヤバい。ブラック企業量産し放題になるし、殺人マシーンみたいな兵士だって作れそうだ。
ただ、呪文だけで作られているわけじゃなかった。魔法的要素も結構多いので、再現は骨が折れそうだ。……いや、使わないけどさ。
「ま、あっちは大丈夫そうだな……。しかし、疲れた。鎧外して、止血しよう」
「あ、はい。手伝うこと、ありますか?」
「大丈夫だよ。ありがとう」
もう一度頭を撫でて、左腕の鎧を外す作業に入る。狼の牙で変形した薄い金属の鎧は思ったより簡単に外れたが、血でべったりとしたインナーを剥がすときはすごく痛かった。剥がしたインナーを引きちぎって、肩の辺りを縛って止血する。こういった応急処置は、砂漠を旅していた頃にドロシーから教わっていた。
とりあえず止血。それで意識は保てる。何とも雑な知識だ。
傷はフィーナさんに治してもらうとして……あー、またアレかぁ……。痛いんだよなぁ、アレ。嫌だなぁ……。
「何をしている、コーデック!」
金属の擦れる音と、ガレスさんの叫び声が聞こえた。目を向けると、コーデックがもう一人の騎士の首に、剣を突き立てていた。
引き抜かれた剣を追いかけるように、血が噴き出す。刺された騎士は膝から崩れ落ち、ランパルトの隣に倒れた。
な、なんで? 何がおきてる?
「貴様、何を考えている!」
ガレスさんも剣を抜く。コーデックが素早く血を払ってガレスさんに対峙する。銀色の剣が向かい合う。
「……兄さん、あの人、操られてたりしますか? 《隷属呪文》のコントロールを誤った、とか……?」
「いや、そんなことはないよ。呪文は発動してない。あのスクロールの発動条件が満たされたのは見てない。それに、あれは人を操る呪文じゃなくて、感情を制限するだけの呪文だ。人を思いのままに操れるわけじゃない」
「じゃ、じゃあ、なんで……?」
シアラの混乱も最もだし、俺も混乱していた。遠目に分かるのは、一人の騎士が死んだことと、コーデックがガレスさんに剣を向けているということだけ。
——じゃない。
ランパルトが、俺を見た。恨みの籠った暗い目で。そして、使っていない札を全て取り出して唱えた。
「《呼び寄せよ》!」
ずらりと、並んだ。狼が、豹が、巨大な猛禽が、そこに最初からいたかのように並び、周囲を伺って人間に敵意を向ける。
——決闘が終わってから奴隷になるまでの間は、どうしても猶予がある。あっても数分だが、数分もあれば、人生捨てる覚悟で全部ご破算にはできる。
ロゼの言葉を思い出す。
俺たちがそう考えるならば、ランパルトだってそう考えるはずだ。そのためにあらかじめてを打っていたとしても、不思議じゃない。それが……それが、これか? コーデックが仲間の騎士を斬り、ランパルトを自由にしたのは、あらかじめ示し合わされたことなのか?
その可能性は高い——そう思える。
だとしたら、ここからはルール無用の、殴り合いだ。
「シアラ、俺を守ってくれ。狼も豹もでかい鳥も、全部縊り殺していい」
俺がそう言うと、シアラの表情がぱぁっと明るくなる。さっきまでの落ち込みが嘘のようだ。
「分かりました! 任せてください、兄さん! 全部ぐちゃっとしてみせますから! 役に立ってみせますから!」
シアラの笑顔が眩しい。妹が嬉しそうで、お兄ちゃんも嬉しいよ。うん。
くるりと立ち上がりつつ振り返り、爪を開く。そして、魔法を発動する。
「《カイゼルの爪先》!」
シアラの爪が光を纏い、長く伸びる。ずらりと伸びたその爪が、軽々と振るわれて、獣達を威嚇する。怯みはしないが、シアラを敵だと認識したらしく、意識がそちらに集中したのが感じ取れた。
金属音が響く。コーデックとガレスさんが、斬り合いを始めていた。ランパルトは……いない? 視線を走らせると、闘技場の出口に駆け出していた。逃げる気かよ。けど、獣が邪魔で追いかけれない。
闘技場から出る直前、ランパルトがこちらを振り返って叫ぶ。
「みんな、親父とコースケを殺せ! 食い殺して良い! 我慢するな!」
右手で俺を、左手で観客席のオゲイン卿を指差し、そう叫ぶと、一斉に獣が動き出した。
え、ああ? 父親を殺して、どうすんだ、こいつ。意味が分からないが、問いただす間も止める間もなく、ランパルトはすぐさま闘技場を出て行ってしまう。
二匹の狼がシアラに襲いかかる。時間差の攻撃。一匹目の牙を回避しても、二匹目の牙を避けることは難しい。一ヶ月の訓練がその攻撃の妙を俺に教えてくれる。けれどその絶妙な連携は、竜の膂力によって無力化する。
「あぁぁぁぁぁぁぁあ!」
叫び声と共に振るわれたその一撃は、端的に言えば、ただの張り手だった。全身を捻って力任せに振るわれた巨大な爪が、大柄な狼の体を切断しないまでも、そのまま無理矢理に吹き飛ばす。そしてそのままくるりと回転して、竜の尾による打撃が、二匹目の狼を吹っ飛ばす。
一回転しながら、腕と尾を力任せに振り回す。それだけで、狼の連携は瓦解した。
うん、シアラの方が強いな。技術とかスピードとか、馬鹿らしく思えるパワーだ。
二匹の狼は骨でも折れたのか、ぎこちない動きで立ち上がると、即座に俺に向って襲いかかる。
「兄さんに、触るなあああ——ッ!」
飛びかかった狼のうち一匹が、俺の真横で串刺しになった。もう一匹の牙はシアラが腕で受け、そのまま振り払う。鎧さえ貫いた牙は、シアラの甲殻には全く通じていない。
牙が通じないのは恐らく、堅さそのものの違いというより、堅さの質の違いだろう。
振り払った狼にシアラが止めを刺そうとする。これでひとまず二匹——残りは、十七匹。……十七匹も相手にできるのか? ドロシーやザインが手を貸してくれたとして、けれど、その数は無謀にも程がある。二匹程度ならともかく、それ以上でも相手になるのか……?
俺が漠然と思案していると、シアラと狼の動きが、ぴたりと止まった。俺も、思わず息を飲む。嫌な感じが全身を包む。
なんだ、これ? 気持ち悪い、不気味な気配。
とっさに気配の方に視線を向けると、そこに立っていたのはザインだった。いつの間に観客席から下りてきたのだろう。騎士達は裏手にある階段を使って、闘技場の出入り口から入ってきたが、ザインがそうするとは思えない。多分、飛び降りたのだ、シアラのように。
赤い飛沫が、視界に入る。地面に亀裂が入り、そこから鱗粉のように赤い飛沫が浮かび上がっていた。観客席がどうなったのかを見ようとして、けれど、嫌な気配を振りまくザインから目を離せない。
歯を剥き出しにして、獰猛に、毒々しく笑うザインの表情が、酷く恐ろしく、憎い。
そして、ザインが、叫んだ。
「あああああああああああああああ!」
ただの雄叫び。
声が響く。奇妙に反響する。ただの叫び声が、耳に残り、嫌悪感と憎悪をかき立てる。虫でも這うような気持ち悪さ。ザインを殺さなければならない。素早く鍵言葉を唱えて《雷火》《疾駆》《回復》を発動し、右腕だけで剣を構えて、ザインに向って走る。
あの赤毛の男を、殺さなければ——ッ!




