016
体感時間で一ヶ月近く剣を振り続けて、ようやく決闘の当日を迎えた。
最初は俺と全く同じ体格の剣士だけを相手にしていたが、最後にはいろんな体格と武器を使うやつを相手にしていた。最後まで人間だけだったけど。途中でザインと変わらない背格好の両手剣使いなんかもいたな。あれはやり辛かった……。
武器もいろいろと扱ってみたけど、最初に使った長剣が最も手に馴染んだので、それをベースにした剣を用意した。ドロシーにお願いした。快く払ってくれた。なんか惨めだった。
「……両者とも、よろしいですか?」
決闘当日。場所は、オゲイン卿の私設闘技場。
ザインは相手のフィールドで決闘なんて有り得ないと渋っていたが、けれど旅人である俺たちに取ってはどこでもアウェイだし、気にしても仕方がないと言っておいた。
立会人の代表はガレスさんだ。彼の他にも数人の騎士が同席しているが、ドロシーたちと一緒に観客席にいる。食堂で絡んできたやたら血気盛んっぽかった騎士の姿もあった。たしか、名前は……コーデックだったか。シアラたちが逃げ出さないように、という監視の意味もあるのかもしれない。フィーナさんは観戦に興味はないらしく、来ていなかった。
円形の闘技場の広さはそこそこで、小規模な室内球技ならできそうだった。俺の背よりも高い壁で円形に囲まれており、出入り口は二カ所。観客席は周囲を囲う壁の上にある。コロッセオを小さくしたような建物だと感じたけど、よく考えたらおれはコロッセオの俯瞰写真しかみたことないので、そこまで似てないかもしれない。
にやついた顔のランパルトが、正面で剣を抜く。以前見た仕立ての良い服ではなく、戦いに適した黒っぽい軽鎧を着ている。騎士団のものとは違うものだ。俺は鎧を着るとまともに動けないので、手足を守る程度の防具だけを装備している。魔法で軽量化された鎧というものもあるらしいが、そんなものを買う金はない。もとい、集れるほど神経が太くない。
言えば買ってくれたのかなぁ……。買ってくれそうだなぁ……。嬉々として。
ドロシーに贈られた剣を抜き、こちらも構える。黒塗りの刀身と白い刃を持ち、刀身から柄に至るまでが紋様で埋め尽くされた剣だ。デザインは俺。《呪文の王》の権能をフル活用して、かなり便利に仕上げてある。刃の背はまっすぐで、腹は先端が微かに膨らんでいる。重心が少しだけ剣先に移動しているため、威力が乗りやすいらしい。鉈みたいなもんかもしれない。
「俺はいつでも良いぜ」
ランパルトがガレスさんに応じる。ガレスさんの視線を感じて、俺も頷いた。
シアラたちギャラリーは、俺たち三人のいる中央部よりも高い場所にある観客席にいた。どうやら彼のオゲイン卿も来ているようで、それらしい人物が従者を伴ってふんぞり返っていた。その目には、何の色も伺えない。
「では、ランパルト・オゲイン殿およびコースケ・ムスミ殿の決闘を、ここに宣言する! ランパルト・オゲイン殿は自身の地位と身柄を、コースケ・ムスミ殿はシアラ・アクティス殿およびロゼ殿の身柄を、それぞれの代償とする!」
ガレスさんが口上を述べる。自然と、体が緊張する。これから、戦うのだ。命をかけて。手足にじっとりとした痺れが走り、全身が緊張しているのが分かる。
訓練で死ぬ思いをしたことはあったが、殺されることは無いという安心感も同時に感じていた。けど、今からはそうじゃない。
「こここそ唯一神ルクセティスの夢見る場であり、彼らの決闘の場である! ——始め!」
ガレスさんの声と共に、ランパルトが斬り掛かってきた。幸いなことに、彼の武器は俺と同じく長剣だ。間合いの問題はない。そして、——その斬撃は、遅く、稚拙だ。ずっと相手にしてきた白い彼らと比べれば、素人にすら見える。
ランパルトの連撃を回避し、あるいは剣で去なす。
力は俺よりもあるが、それだけだ。正攻法で勝つとなると難しいが、剣術の戦いなら、負けないことは十分に可能だし、あるいは勝つこともできるだろう。ただ攻撃を去なして、斬撃を打ち込めば良い。鎧の隙間を狙うことは——さすがに、このままじゃ無理だけど。
攻め手を完封されているにも関わらず、ランパルトの表情は変わらない。ニヤニヤと笑って、俺に下手な攻撃を繰り返す。
舐められているのなら、その間に決着を付けてしまった方が良い。相手の剣を払い、数歩距離を取る。
「どうした、怖じ気づいたか」
「まさか。さっさと勝とうと思って。《術式解放、雷火》」
格好つけて英語で設定した鍵言葉を唱える。これは、特定のフレーズを唱えるだけで発動するように記述された呪文だ。形式は、魔法式。ドロシーに送られた長剣に刻まれた無数の紋様は、俺が自ら書いた魔法式だ。
ドロシーがわざわざ俺に意匠図を書かせて、何百枚もの銀貨と引き換えに用意してくれた、呪文の剣。
天と雷の騎士を活性化させ、神経の伝達速度を向上させる。意識が加速して、周囲が遅く感じられる。時間を操作しているわけではない。あくまで、反応速度と認識速度、それから思考速度が向上しただけだ。
あらかじめ刻まれている呪文であれば、こうして一瞬で使うことができる。その数は、十三。詠唱よりずっと集中力を必要としないこの方法なら、四種類くらいまでを同時に維持できる。数に応じて集中力を求められるので、同時に扱う呪文が少ないに越したことはないのだけれど。
「《術式解放、回復》、《術式解放、疾駆》」
さらに二つの呪文を重ねかける。肉体のコンディションを維持する呪文と、微風の乙女を操作して体の動きを補助させる呪文。この三つは最も基本的なパターンとしてデザインしている。
「フッ——」
短く息を吐いて、一気に距離を詰める。風が俺を後追いして、背中を押す。ご丁寧に仕込みを待っていたランパルトに接近し、彼の脇、鎧の付け根を狙って剣を振るう。ランパルトの顔が驚愕するのが、加速した思考と意識によって知覚できた。身を躱して鎧で受けようとするが、加速した思考と認識が、その動きに合わせて斬撃の軌道を操ることを可能にする。
相手の回避は間に合わない。このまま振り切れば、腕の付け根を吹っ飛ばせる。
ランパルトと目が合った。
「ぐあああぁぁ——ッ! く、クソ! 何だ今の、急に加速しやがって!」
悲鳴を上げながら、ランパルトが距離を取る。
致命傷ではなかった。思わず、躊躇した。人間を斬ることに、抵抗を感じたのかもしれない。ほとんど本能的に、俺は剣に込めた力を、抜いていた。
人が死ぬのは、この世界に来てからなんども見た。けれど、自分で人を殺すのには、思った以上に忌避感を感じた。
——のか? そうなのか?
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。仕留められなかった。それは事実だ。だから、次の手を打たなければならない。上手くやれなかった焦りを隠して、俺はランパルトに剣を向ける。
「お前、弱いな。偉そうに決闘なんて挑んでおいて、剣の腕は付け焼き刃の俺以下かよ」
「……くはは、そこまで言うなら見せてやるよ。前座は終わりだ」
ランパルトが左手に札を取り出し、唱える。ここで初めて、俺は《呪文の王》を使った。そしてランパルトが取り出した札に描かれている魔法式を見て、焦った。
「《呼び寄せよ》!」
やばい。鍵言葉だけで発動するその呪文は、勝敗を決定的にする。俺はランパルト目がけて駆け出した。剣を振るう。今度の狙いは、首の側面、頸動脈。ここなら僅かな傷でも致命傷になる。ランパルトの焦る顔が認識できた。そして——
次の瞬間、俺の視界は流れた。
左腕に痛みが走る。そのまま重たい何かに押し出されて、俺は地面に倒れた。
黒い、巨大な狼が、俺の左の二の腕に噛み付いていた。鎧を貫いて牙が食い込む。どんな破壊力だと思ったのもつかの間、地面に体を打ち付けた。剣は離さなかったが、肺に衝撃が走り、息が詰まる。左腕に力は入らず、二の腕から先は上手く力を入れることができない。右じゃなくて良かった。痛みに明滅する思考の中で、そう思った。
「くはは、地面に引き倒されてるのが、随分似合ってるじゃねえか」
「くっそ——」
ランパルトが握っている札に描かれていたのは、転移呪文の応用系。
特定の場所から自分の側に、あらかじめ決めておいた対象を呼び出す呪文。空間の連続性さえあれば、対象の居場所を書き換えて出現させることができる。
呪文の使用は自由。
調べられなかったランパルトの必勝法。一対一の戦いを二対一にする。それが、彼の戦術だった。一応ガレスさんを見るが、彼は俺の視線に気づいて首を横に振る。反則ではない、ということだろう。
俺が剣に無数の魔法式を刻んだように、ランパルトもまた魔法式を予め用意した。
痛みで僅かに焦燥を感じつつ、思考を整理する。
彼が決闘という方法を使って他人からものを奪うのは、決闘ならば負けない自負があるから。魔法が禁止されている決闘において、そして一対一である決闘において、これは恐らく最も最適な戦術だ。
ゲーム風に言うなら、ランパルトは召喚士だ。
ランパルトずるい。




