014
一回目で傷だらけになった俺は、二回目でさらに傷だらけになった。貧血気味になって、全身引き裂かれるみたいに痛い。《回復の呪文》はスタミナを底上げしてくれるし、多少ならば自然治癒力も向上するが、傷の増えるスピードに全く追いついていなかった。
中の時間で半日、外の時間で二刻が経過したころ、つまり二回目を終えた俺が元の部屋に戻ってきた時に、フィーナさんも宿に戻っていた。簡単な聞き込みは終わったらしい。
「聞き込みで分かる事は思ったより少なそうね。私、知らなかったんだけど、決闘って関係者以外の観戦はできないのね」
「ああ、そういやそうだな。戦い方ってのは、基本的に秘匿するもんだからよ。わざわざ公衆の面前で”俺の戦い方はこれだ!”って公表する馬鹿は、目立ちたがりの拳闘士くらいだろ」
「しかもコースケの決闘の相手、どうも旅人ばかりに目を付けてるみたいなのよね。彼がゴロツキだってのは誰でも知ってたけど、悪人だとは思われていなかったわ。領主の三男は野蛮だけど、根はいい人だとか言ってる人もいるくらい」
「悪人も善人も、場合によりけりだからな。完全な悪人も完全な善人もいねえさ。善悪ってのは、それを見た人間が決めるもんだ」
向かい合って座った俺の傷の具合を見つつ、聞き込みの結果を話すフィーナさんに、ベッドに寝転んだザインが応じる。
「うん、どの傷も筋肉や腱を痛めるほどじゃないわね。これなら、私の魔法で治せるわよ」
「え、フィーナさんそんな魔法使えるんですか?」
「欠損や病気は無理だけど、普通の傷と一部の毒なら治癒できるわ」
そんな魔法があるのか……。そういえば、ドロシーもシアラも、怪我らしい怪我はしなかったからな。今まで使う機会がなかったのか。
「うふふ、久しぶりだからちょっとドキドキするわね」
「ドキドキするんですか?」
「そうよ。男の子にこの魔法を使うのは、ちょっと見た目がね。シアラが戻ってくる前に済ませましょう」
フィーナさんはどことなく妖艶さを感じさせる笑顔を見せつつ、立ち上がって俺の背後に回った。肩に手を置かれる。細い指が首にかかる。ちょっとドキドキしてきた。シアラの指……というか爪は、こんな感触じゃないからだろうか。
あの爪は堅いもんな。
肉に食い込むし。
たまに痛い。
「じゃあ、始めるわよ」
フィーナさんがそう言うと、すぐに植物が現れた。現れたというか、なんだろ、まとわりついてきたと言うか。急に足下からざわざわと気配がして、蔦のような触手のような感触が、身体を這い上がってくる。かさかさと葉が擦れる音がする。
ちなみに、俺は現在パンツ一丁の状態だ。
「これは……花? 何の花ですか?」
「空玻璃草の、魔法で作り出した模造品よ。魔法が終わったら枯れちゃうの」
「へえ……。聞いた事ない花ですね」
紫と青の中間のような薄い色の花を、まるで提灯のように垂らした姿の花だった。それが、俺の身体に絡み付いた蔦からぶら下がって、淡く光っているようにも見える。夜だったらもっとはっきりと分かったんだろうか。
すっとするような独特の甘い香りが部屋に立ちこめる。一瞬だけ痛みを忘れて、思わずため息をつく。
「うわっ」
ぬるりとした感触が、フィーナさんの手から落ちてきた。水よりもねばっこい、冷たい感触。思わず声を上げてしまう。
「集中できないから、少し静かにしてて」
「あ、はい。すみません」
怒られてしまった。まあ、呪文じゃなくて魔法だしな。相応の集中力を使うってことだろう。俺も、魔法の練習中に声をかけられるとすごい嫌だからな。
ぬるりとした感触をそのままに、フィーナさんが手のひらを動かして、俺の肩から腕に触れる。液体はフィーナさんの腕を伝って流れ落ちてきているらしく、冷たいその感触が広がった。
肩が熱くなる。そして、液体が触れた場所の傷がじくじくと痛む。多少は痛みが引いていたにも関わらず、まるで塩でも塗り籠んだかのような激痛になった。呼吸が乱れて、筋肉が痙攣し、自然と歯を食いしばる。声を出すのは負けな気がして、頑張って我慢した。痛い。
「あら、悲鳴は上げないのね。残念」
黙ってろって言ったのはあんただろうが。
フィーナさんはそのまま腕を動かして、俺の背中やお腹にも液体を塗り広げていく。そして液体が塗り付けられてしばらくすると、うずいていた痛みが激痛に変わる。その度に声を上げそうになる。やばい。痛い。これ拷問だろ。死ぬ死ぬしぬ。
激痛が身体の感覚をおかしくする。意識が朦朧としてきた。フィーナさんの腕がどこに触れているのかよくわからない。
ヤバい。ヤバいヤバい。しんどい。本当にこれで傷が治るのかよ。いや、むしろこんなに痛いなら治さなくても良いんじゃないの? 肉体は治っても精神が死ぬ。あー、こういうときは素数を数えて落ち着くんだっけか。素数って何だっけ。数学苦手なんだよな。良太にもっとちゃんと教わっとけばよかった。
逃避じみた精神状態は、身体から痛みが引くにつれて正常に戻ってくる。最初にどこから痛みが引いたのかは分からないが、けれど気づいた時には、上半身の痛みは殆どなくなっていた。いつの間にかフィーナさんが俺の足にも丁寧に琥珀色の液体を塗布していた。
背後からではなく、正面に回って。しゃがみ込んで。
「…………」
ところで、フィーナさんには中々のボリュームがある。ファッションも、刺繍の施されたゆったりしたローブで、こう、胸元はちょっときわどい感じになっているのである。意識が覚醒すると同時にそんなものを見せられた俺としては、こう、なんというか。悪くない。むしろ良い。
「あら、このままこっちもしてほしいの?」
何かに気づいたフィーナさんが両手に蜜のような液体を集めて、俺に見えるように手を開いた。俺の身体にそれを塗りたくるプレイは終わったらしく、両足の傷の痛みも引き始めている。フィーナさんの手のひらからぽとりと琥珀色の液体が落ちる。程よい粘性をもったその液体は、いろいろと具合が良さそうだった。
からかうような微笑みのフィーナさんに任せてしまって良いのだろうか……。いや、任せてしまった方が良いのかもしれない。この際定期的にフィーナさんのお世話になればみんなハッピーなんじゃないだろうか。
「戻ったぞ、黒いの!」
ロゼが帰ってきた。部屋の入り口を見ると、扉を開いたままの姿で、ロゼとシアラが固まっていた。
数秒の沈黙。
「……なんじゃ、ぬしら、そういう関係じゃったのか。えっと、その、ザイン、空気読まんか」
「兄さん、不潔です」
ちょっと表現が難しい表情で二人はそう言った。
◇ ◆ ◇
フィーナさんの指示でシアラが濡れた布を貰ってきた。どろどろになった俺の身体とフィーナさんの腕を拭いて、俺は服を着る。まあ、服もボロボロなんだけどさ。買い直すのも手間だし、これで良いよ。
「そのうち服も直さないといけないわね……。街を出る時に買い直すとして、それまでは時間を見つけて私とドロシーで適当に繕いましょうか」
「いや、それはちょっと申し訳ないですよ」
「買い直すよりは良いわよ。それとも、半裸で訓練する? 布だけでも、あるのとないのじゃ全然違うから、お勧めできないけど」
「……やっぱ買い直し必須ですか」
「一日もたたないでこれだとねぇ……。シアラ、安い服を調達するのと縫い直すの、どっちが安上がりだと思う?」
「服によりますけど、多分縫い直した方が……。どうせボロボロになるなら、着れなくなるまで使い潰して、それから買い直しましょう。縫い直すのが大変そうですけど」
確かに。一刻といえば、体感時間的にはだいたい一時間半か二時間くらいだ。その都度修復するのは手間よりも頻度が問題になる気がする。ドロシーもフィーナさんも、外で普通に寝るわけだし。
「外と中じゃ時間の流れが違うそうですから、一刻おきに縫うのは手間なので、兄さんの今持ってる服を入れ替えながら、都度補修するなら、そんなに大変じゃないですかね?」
「んー、まあ良いけど。あ、でも最初に持ってた服は残しておいてほしいかも」
「そうですか? わかりました。じゃあ、兄さん、とりあえず着替えましょう。服取ってきますね」
シアラが俺の身体とフィーナさんの腕を拭くためにつかった濡れた布を回収して、さっさと部屋を出て行く。
最初に持っていた服というのは、前の世界で着ていた服ではない。ドロシーと出会って旅をすることが決まり、砂漠越えのために買ってもらった服だ。俺の服って全部ドロシーの金で買ったものだけど、最初に買ってもらったからか、なんとなく思い入れがあった。
……うーん、けど、それならドロシーの許可を得ずに服を使い捨てるのはどうなんだ? 怒られないかな。いや、ドロシーだったら「使い潰したらさっさと捨てれば良いじゃない」とか言いそうだ。ドロシー、道具には愛着あんまりないからな。ナイフだけは例外だけど。
「着替えたらそろそろ戻るのなら、わしも準備せねばならんの」
椅子に座って足をふらふらさせていたロゼが言った。
「ああ、ごめんけど、頼むよ。そういえば、俺があの場所にいる間、ロゼはどうしてるんだ?」
「ん、まあ集中し続ける必要はないが、寝ることはできんのう。じゃがわしは寝ずとも良い身体じゃから、気にすることではないのじゃがな」
「寝なくても良いって……それも、リブラ族の特徴?」
「リブラ族にそんな特性はありんせん。実際のところ、髪と肌が病的に白い以外には、特徴のない一族じゃよ、我らは。主のようなニグル族と違っての」
「あー、いや、俺はそのニグル族ってのじゃないんだけどさ」
黒髪黒目の一族だっけか。確かに外見の特徴は一致するけど、俺はそれとは違う。そう伝えると、ロゼは少し意外そうな顔をした。
「なんじゃ、黒髪黒目はニグル族だけじゃと思っておったが、違ったのかの」
「ま、そういうことだね。俺は例外みたいなもんだから、普通は全員ニグル族なんじゃないのかな」
「ふうむ。まあ、種族なぞ無数におるからの。そういう者がおっても不思議ではないが……。ああ、わしの体質はリブラの特性ではない、という話じゃったな——」
「雑談もその辺で終わっとけ」
ザインが口を挟んだ。
「コースケ、傷が治ったのは良いが、少し身体を動かしておけ。基本的に技術だけ鍛えればいいと俺は思ってるが、身体も鍛えるにこしたことはないからな。少しでも筋肉を柔らかくしておくんだ」
「あ、そうか。了解」
ザインに促されるままに、立ち上がって身体を動かす。傷が治る前は分からなかったが、なんとなく動かしやすい……? ような気がする。気のせいだろうか。
なんか、隅々まで神経が通ったというか。
「ふむ……。思ったより飲み込みが早いな。コースケ、少しアドバイスだ。身体のキレってのは、分かるか?」
「ん、まあ聞いたことはあるけど……。それが要するに何なのかは、あんま分かってないかも」
「そうか。まあ、端的に言えば、緩急をつけるってことだ。漫然と動くより、止まるところは止まる、動くところは動く、それを意識した方がいい」
……なるほど? ゆっくり動くタイミングと、素早く動くタイミングがあるってことだろうか。
「少し意識してやってみろ」
「了解。頭に入れておく」
少しして戻ってきたシアラに渡された服に着替えて、俺は再びあの空間に入った。




