013
「くそッ!」
打ち合う。俺の斬撃は全て防がれ、躱され、返される。逆に相手の斬撃は俺をとらえる。首や鳩尾を狙った攻撃に、体が反射的に反応してしまう。良いように操られて、のど元や目前で剣を止められれ、俺は身動きができなくなる。実践ならば死んでいただろう。
白い剣士は俺が傷を負わないように、かならず剣を止めていた。そうする余裕があるということが、実力差を感じさせる。ニヤリと笑って、彼は剣を引いた。俺はもう肩で息をしているが、彼はまだまだ余裕そうだ。体力に限りがないのか、それとも無駄な体力を使っていないのか、それは分からなかった。
《回復の呪文》をかける。乱れていた呼吸が少し楽になり、手足の痺れが微かに引く。傷を負わなければ、この呪文をかけ続けることで戦うことができる。頭がオーバーヒートするのが先か、怪我をするのが先か。
一時間か、二時間かは分からないが、随分と長い時間が経過したように思う。六時間おきに休憩だとザインが言っていたので、あと四時間か、あるいは五時間、白い彼と打ち合いを続けることになる。
正直、全く何も学べていない気がする。気がするというか、学べていないんだろう。体力を消耗しているだけだ。剣を構えて彼と向かい合っているが、彼の方から打ち込んでくることはなかった。
「はぁ……はぁ……。きっついな、これ」
「少し休憩しても良いんじゃないですか、兄さん」
思わず零すと、台座に座っていたシアラがそう提案してくれた。相変わらず、白っぽく光っている。
休憩か……休憩……。休んでもいいんだろうか。そう思って白い剣士を見ると、肩をすくめた。まるで、疲れたんなら休憩しなよ、俺は待ってるから——そう言っているように思えた。
何度目かの打ち合いのときに、ザインはさっさと帰っていった。けれどシアラは、ずっと俺の戦いを見てくれている。あんまり情けないところを見せたくない心理が働いたりする。
「あのさ、シアラ。何がだめなのかな?」
「全然だめですよ、兄さん。これは実践じゃなくて訓練なんですから、ちゃんと相手の動きを見てください」
「動きを……見る? そりゃ、見てるつもりだけど」
「そうじゃないです。兄さんは、受けるために見てるだけです。そうじゃなくて、盗むために見ないとだめですよ」
「…………」
なるほど。その発想はなかった。
そういえばザインも最初言ってたな……傭兵の教えとかかっこつけて。技を盗め、ってのは、そういう意味か。
「ありがと、シアラ。ちょっとやってみる」
「頑張ってください。えっと、剣術そのものは、私には教えられませんから」
シアラは剣を握れるんだろうか……。専用にデザインしたものなら握れそうだけど、そもそも、剣を使う意味がないか。
呼吸を整えて、再び白い剣士に切り掛かる。剣を傾けて刃を逸らし、受け流される。そしてひと呼吸置いて、俺と似た軌道の、けれど洗練され鋭さを纏った斬撃が襲う。俺は、彼が俺の攻撃を受け流したように、鏡写しのように同じ動きを真似して、剣を受け流そうとする。
鈍い音を立てて、白い彼の斬撃は、逸れた。
「——ッ!」
息を飲む。もちろん、彼が素直に受け流されてくれただけだ。けれど、その成功例は俺の中に記憶され、体に染み込んだような気さえした。小さな成功。それを噛み締める間もなく、俺は再び彼に斬り掛かる。
教わりながら戦う。
構えや剣の振り方、間合いという概念、それらが理解できるような立ち振る舞いで、白い剣士は俺と打ち合う。斬り掛かった剣は払われて、一呼吸の後に似た軌道の斬撃が放たれる。それを見て、少しずつ自分のフォームを修正していく。
白い剣士が素直な軌道で剣を振るう。俺は彼がそうしたように、その斬撃を払おうと剣を操り、彼はそれに乗せられて払われる。
繰り返し、繰り返し、俺の拙い剣技と、彼の洗練された剣技が——剣撃が、リズムを奏でる。力だけで剣を振っていた時に比べてずっと呼吸は乱れない。リズムが俺の中に出来上がり、それに従って、感じるままに剣を振るう。
「は、ははっ——」
思わず笑みがこぼれる。
何度も何度も、繰り返し打ち合う。やがて彼の技が増え、受け流しから切り返すまでの時間が短くなり、少しずつ戦いのテンポが加速していく。
自分の動きと彼の動きのズレが、僅かな差異が目に付く。理解できるようになる。今まで気にも止めていなかった些細な動きが、俺の粗なのだと分からされる。僅かな剣筋のズレが、筋肉の硬直が、視線の動きが、邪魔になってくる。
《回復の呪文》によるスタミナの回復と、打ち合いによる消耗は、既に拮抗していた。もう少しだけ正しく動ければ、消耗の方が小さくさえなるだろう。こうして教わりながら打ち合っている分には、いつまででも剣を振るっていられる気さえする。
もっと速く。もっと正しく。彼の見せる剣技を真似て、体捌きを真似て、脚運びを真似て、真似て覚えて再現する。延々とそれを頭の中で繰り返し、そして体が覚えていく。
そして理解する。彼は俺だ。俺と同じ肉体を持つ理想の剣士。最高の剣技を備えた精神が、俺の肉体に宿ったような存在。だから、彼の技のうち、俺に真似できない技はない。同じ体なのだから、必要なのは理解と経験だけだ。そしてそれらは、急速に埋められつつある。
どれほど打ち合っただろうか。不意に、彼の動きが速くなった。それまでのリズムが崩れ、肩に痛みが走る。切られたと理解した時には、追撃が俺の脇腹を貫いた。熱を伴う鋭い痛みを感じて、体が硬直する。
「が、ぐううう——」
思わず呻く。ハイになった頭が、直感的に彼の動きに対応して、三度目の斬撃を払うが、けれど白い彼は——ニヤリと笑い、俺の剣を搦め飛ばした。
ぴたりと、首に剣を向けられて、俺の動きは止まる。動けない。動いたら殺される。直感が警報を鳴らしていた。
——たっぷりと、数秒待ってから、彼が剣を引いた。俺は膝をつく。
「はぁ……はぁ……」
ダメだ。いや、まだまだだ、と言うべきだろうか。途中からステージが変わった。劇的だった。テンポを崩す、それから相手に傷を負わせる。その条件が加わって、彼の動きも全く変わっていた。道場剣術から実践剣術へ、とでも言うべきだろうか。
肩と脇腹がズキズキと痛む。体が強張っているのが感じられた。手足が思うように動かない。
「に、兄さん、大丈夫ですか?」
シアラがふわりと、膝をついた俺の隣にやってきて、それから覗き込むようにして俺の視界に割り込んだ。心配そうに眉根を寄せた顔だった。俺は荒い呼吸のまま、大丈夫だと頷くと、シアラは息をつく。
「びっくりしました。急に血が……」
「ごめん、心配かけて。けど、大丈夫だから」
「一度戻りましょう。怪我の治療をしてからまた始めれば……」
シアラの提案は受け入れられない。俺は首を横に振って、立ち上がる。白い剣士は、そこで剣を構えていた。
「に、兄さん!? ダメです、怪我したまま無理したら」
「傷は痛いけど、手足が動かない程じゃないから、大丈夫だと思う。気分が悪くなったら休むから、もう少し続けさせて」
実践では、怪我をしたからといって相手は待ってくれない。傷を負いながら戦うことだってあるはずだ。
「け、けど——」
「まだ——」
俺はシアラの言葉を遮る。そして、剣を構えて、彼に対峙した。
「——まだ剣を向けられてるから、大丈夫ってことだよ」
ここは、鍛錬のために作られた空間だ。だから、殺される事はない。奇妙な確信があった。
俺と同じ格好の、真っ白な剣士。微かな光を放つその体で、今までとは違う、隙のない構えで、剣を俺に向けていた。今なら分かる。その構えの隙のなさが、理解できる。ほんのちょっとの手ほどきだったけれど、それによって得たものは、俺の頭に入っていた。
どう斬り掛かればどう返されるのか、それがぼんやりと想像できる。直感的に、と言える程ではないけれど、薄ぼんやりとならば、その経験から予測できる未来を見ることができた。
彼を真似て構える。
「——もう、知りません。本当に危ないと思ったら、無理矢理に連れて帰りますから」
シアラは悪態をついて、再び台座に戻っていった。無理矢理に連れて帰るなんてことが、できるんだろうか。いや、そもそもここからどうやって出るんだろう。ふとそう思ったが、すぐに余計なことだと頭から追い出した。
深呼吸をして、剣先まで意識を払う。彼の姿を観察し、できる限り真似て、そしてその意味を理解しようとする。彼の隙の無さが、体の芯とでも言うべき、バランスの中心によって整えられている気がした。半身になり、右手を中心に剣を構え、こちらに向けている。頭の中で攻め手が浮かぶが、そのすべてがことごとく切り返される。
彼が動く。今までの打ち合いよりずっと速いが、俺が傷を負わされた一撃よりは遅い。その斬撃を注意しつつ払い、そして彼に切り返す。神経がむき出しになったような、周囲の時間が遅くなったような、そんな錯覚に陥る。その感覚のまま、剣を合わせていく。
規定の時間が経過してザインが再び現れた時には、俺はズタボロにされて倒れる寸前だった。




