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家出したら異世界だった  作者: shino
目覚め続ける時計
63/78

011

 俺を殴るその拳は、鈍かった。酒を飲むからそうなる、と、ぼんやりと思う。母さんは家にいない。いても一緒に殴られるだけだ。


 吹き飛ばされて、壁に頭と背中をぶつける。咳き込んだ。喉が痛む。視界が安定しない。頭を打ったせいだろうか。


 親父を観察する。


 そういえば、親父が人を殴りたい気持ちが、少しだけ分かったんだっけか。殴りたくて殴りたくて仕方がなくなる。相手を害してでも自分の意思を通そうとして、その衝動で頭がいっぱいになる。


 親父が酒を飲んだ時に暴れるのは、多分、ストッパーがなくなるからだ。日常的に人を殴りたい衝動が燻ってて、酒を飲むとそれを押さえるストッパーがなくなる。だから、俺や母さんを殴る。殴りたい衝動に従って殴る。


 理解したくもないことを理解してしまって、辟易とする。


 また殴られた。視界が揺れる。一瞬だけ暗転したが、数秒すれば元に戻る。


 親父が何か怒鳴っている。母さんが浮気してるとか、俺の素行が悪いとか、姉さんはどこにいったとか、部長がクソだとか、俺は悪くないとか、そういう、いつもと変わらないことを叫んでるんだろう。


 親父には力で叶わない。だから抵抗できない。そして、俺が殴られれば、とりあえず姉さんは無事だ。殴られてもなるべく痛くないように、立ち位置や受けかたを調整する。本で読んだ受け身のまねごとをして、なんとかやり過ごそうとする。


 一通り殴られればそれで終わりだ。やがて親父は落ち着く。


 そんな益体もないことを考えながら殴られていると、不意に親父の手が止まった。どうした? そう思って、胡乱な視界を巡らせると、そこに女の子がいた。


 紺色の髪と、竜の手足の、俺が知るよりずっと小柄な、女の子だ。それは、俺が知る姿よりもずっと幼い、シアラだった。リビングの入り口の扉、その向こう側に、立ち尽くしている。


 親父は俺からはなれ、シアラに近づく。首を傾げて親父を見上げるシアラに、親父はおもむろに拳を振り上げた。シアラは逃げない。何も分かっていないのかもしれず、ぼうっと親父を見上げている。恐怖で体が引きつるのが分かった。なにか武器になるものがないかと思って、周囲を見渡す。けれど、何もない。《呪文の王》も使えない。魔法でなんとか攻撃できないかと意識するが、何の反応もない。


 当然だ。ここはあの世界じゃなくて、俺は無力なただの子供なんだから。


 なにもできない。シアラが殴られるのを、見ているしかできない。そんな想像に、背筋が寒くなり、呼吸が苦しくなる。


「……やめろよ」


 絞り出したのは、ただの懇願だった。


 けれど、親父の動きが止まる。そして、俺を見る。親父と目が合った。


「その子は、大事なんだ……」


 親父は、怯えと驚きが混じった瞳になった。どうしてそんな目をするのか、俺には分からない。


 親父のそんな顔を見たのは、はじめてだった。


 


 ◇ ◆ ◇


 


 胸くそ悪い夢を見たので、起き抜けは気分が最悪だった。ただ、ザインたちと合流するのは午前中という話だったので、無理矢理気分を切り替えて、宿の一階に解放されている談話スペースに向かった。


 冬は暖炉に火が入るのだろう。流石にこの辺りは石製だったが、魔法で燃えない木とか作れないんだろうか。……いや、作る意味がないな。加工効率まで考えるとわからんけど、魔法を使うと技術が尖りすぎる気もするし。


 丸テーブル二つを近づけて、俺たち四人と、それからザインとロゼの二人がそれぞれ分かれて座る。なぜかロゼは楽しそうだったし、ザインは複雑な表情だった。


「おはよう、ザイン」


「ああ、おはようさん。……で、どうするんだ? ロゼの命が目当てっていうなら別にどうでもいいんだけどよ、ロゼを奴隷にするってのは割と困るんだよな」


「その前に、えっと、巻き込んでごめん。今思えば、軽率だったよ」


「それは別に良いんじゃねえの? 実際、決闘を受けて勝てば問題は解決するっぽかったしな。細かいところはいろいろ検討する必要があるとは思うが……。それに、俺たちが巻き込まれたってより、ロゼが巻き込まれに行った感じだしな」


「かはは、褒めるでないぞ、ザイン。照れてしまうわい」


「褒めてねえよ……」


 ニコニコと笑っているロゼ。……この子は、こう、自分の命がかかってることを理解してるんだろうか? 天真爛漫な微笑み。夢のせいで募っていたイライラが、少し軽くなった気がした。軽くなった心が、この子の命もかかってるんだよなって思い直して、また重くなった。


「それで、ザイン。奴隷云々ってのは……?」


「奴隷になると取り返すのが面倒だからな」


 決闘の対価はシアラとロゼの身柄で、それはシアラとロゼを奴隷にすることだ、って言ってたな。


「うん、実際そこは面倒よねえ。アレも呪文だから、やりようによってはなんとかなるかもしれないけど」


「あん? なるわけねーだろ。あれ、呪文の詳細は秘匿されてるだろ」


 なるほど、奴隷制度ってのは何らかの呪文で成り立っているのか。


 ザインは俺の《呪文の王》を知らない。だから、呪文の詳細が秘匿されていれば、手を出すことができないと考えたんだろう。確かに、呪文への対処は知識が重要になる。


「仮になんとかなっても、犯罪者になっちゃうわよね。《隷属呪文》の詳細を知っているだけで犯罪だし、《隷属呪文》は法律を補強するためのもので、呪文を無力化しても奴隷法に違反する事実は変わらないから」


 ドロシーが俺のために捕捉してくれる。まあ、そうだよな。呪文と法律、両方を突破する必要がある。けれどそれは最終手段というか、本当にヤバくなった時の手だろう。今のところ、その手段を取るような理由はない。


「まあ、そっちの話はいいとしてさ、実際のところ、あのランパルトってやつ、真面目に決闘するのかな」


 俺は疑問に思っていたことを聞いてみた。ザインが不機嫌そうに息を吐いた。


「少なくとも、表面上はそうだろうな。騎士団が立会人だし、脅迫やその他の圧力を決闘の相手にかけたら、そっちが負けた扱いだ。そもそも、そういう民間の揉め事を無理やり解決するのが決闘っていう制度だしよ」


「あー、なるほど。じゃあ、何かやってくるとしたら足がつかない方法で、ってことか」


 言われてみればそうだよな……。揉め事を解決する制度で揉め事が起こったら本末転倒ってことか。騎士団の仕事が増えそうなもんだけど、実際は抑止力としての立会人だろうし。立会人の側が形骸化していなければ、大丈夫なのか。


 ガレスさんはその辺り、ある程度は信頼できそうだしな。


「ま、何でもよいわ」


 ロゼが気安く言う。


「黒いのがあのしょぼい男を下せばよいのじゃろ? ぬしならあの者に勝てるじゃろ」


「いやあ、そうは思えないから困ってんだけど……」


「うふふ、何故そう思うのじゃ?」


 どうしてか楽しそうにロゼが尋ねる。ニマニマとからかうような笑みだ。なぜ笑われてるんだろうか。


「……ランパルトのやつは、それなりに勝算があるから決闘なんて回りくどい方法を取ったんだろ? 西風の薔薇売り(ノグレリア・フルート)に圧力をかけるだけでも上手くすればシアラを手に入れられるかもしれないのに、そうしなかった。それって、決闘っていう形式の方がうまみがあるからじゃないのかなって思うんだけど」


 それが勝率とは限らないけれど。決闘は法的手段になるので、勝てば合法的にシアラを好き放題できるとか、その辺りのメリットを選んだ可能性もある。あるいは、西風の薔薇売り(ノグレリア・フルート)に圧力をかけられるというのはその場のでまかせで、決闘に応じさえすれば何でも良かったということも考えられるか。決闘から逃げることはできないから、俺たちを逃げられなくするために、っていうことだな。


 可能性だけならいろいろと考えられるけど、少なくとも、ランパルトは決闘で俺に勝てると思っている。少なくとも現実的な勝算はあるはずだった。だとすると、それはやはり、彼がそこそこに戦える人間だってことを意味するだろう。


「その辺りは調べておくべきかもね」


 宿の談話スペースということもあって、少しラフな格好のままのドロシーが言う。マフラーもなく、ブーツの代わりにサンダルを履いていて、胸元が危ない服装だった。


 暖かい季節だからな。ブーツ履くと足が蒸れるんだろう。普段は足を守るために必要なんだろうけれど。蒸れたドロシーの脚か。ふむ。なるほどな。


「ガレスさんだっけ? あの騎士の偉い人。あの人が、ランパルトは何度も決闘やってるって言ってたし。いつも決闘を受けざるを得ない状況にして、無理矢理財産や人を奪ってるのよ。だったら、それなりに情報も割れてると思うわ」


 なるほどな。フィーナさんも昨日言っていたけれど、やはり情報収集は重要そうだ。


「なあ。実際、向こうの脅し文句ってのはどの程度に現実的なんだ? 商人の事情は俺はよくわからんのだが」


「それは……その、出資者が脅せば、私は西風の薔薇売り(ノグレリア・フルート)にいられなくなります。それと、本当に実行されたら、出資額によっては西風の薔薇売り(ノグレリア・フルート)そのものが潰れます。もしそこまでの事になれば、私怨で命を狙われるかもしれません。沢山の人が、路頭に迷いますから」


「けど、酷い脅し文句よねぇ……。シアラに効果覿面じゃない。狙い撃ちしたみたいな台詞だったと思わない?」


 確かに、言われてみればその通りだ。シアラが西風の薔薇売り(ノグレリア・フルート)に所属していることは、頑張れば調べられるだろうけれど。でも、そのギルドの出資者が偶然父親だったなんてこと、あるのか?


「私はその辺りをとっかかりに、いろいろ情報を集めてみようかしら」


「そうだな。傭兵の心得その一、情報は戦力に勝る、ってな」


 ザインがキメ顔でそう言ったが、誰も反応しなかった。キメ顔がちょっと暑苦しい。反応をもらえなかったザインは、気を取り直して言葉を続ける。


「……だがまあ、この場合は情報より優先すべきことがある」


「優先すべきこと? なんじゃそれは」


 ロゼがザインに尋ねるが、けれどザインは答えずに、代わりに立ち上がって俺を見た。渋い顔が、眉間に皺を寄せている。めんどくさそうに、ザインは言った。


「勝つために必要なのは、第一に力だ。コースケ、俺がお前を、一週間で戦えるようにしてやるよ」

バトル漫画の鬼門、修行回が、ついに来てしまったか……。

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