010
「そういえばシアラ、あなたがついてなくて大丈夫なの? 眠れないんじゃない?」
フィーナさんがふとそんなことを言った。
「え、いや。最近は夜も落ち着いてきましたから、大丈夫だと思いますけど……。さっきも、一人で部屋に戻ってましたし」
「そう? ならいいんだけど、あの子、私やドロシーにも甘えることはあるけど、弱みを見せるのはコースケに対してだけだから、ちゃんと気をつけてなさいよ」
「え、ああ、はい。気をつけます」
何か釘を刺された。
シアラの夜泣きは、二週間くらい前から少なくなっていて、一週間程前にここに来る直前の村を発つころにはなくなっていた。家族を失い、第二の故郷と呼ぶべき場所も失ったシアラが、悪夢にうなされて泣くことが、少しずつなくなっている。安心できる状態ではないのかもしれないが、けれど精神が回復する兆候が見えるのは良いことだった。
今回のトラブルで、一番気にすべきなのはシアラの心の安定なのかもしれない。俺たちの中で一番幼く、一番不安定なのは、シアラだ。
人に虐げられたことも、殴られたことも罵られたこともある俺だけど、大切に思っていた人が死んだ経験はしたことがない。大切だと思える人は、姉と、高校でできた二人の友人くらいだ。ああ、綾瀬もまあ、大事だったといえば大事だったのか? まあ、けどあいつは共犯者みたいなものだし、ちょっと別枠だろうか。
一番物理が強いシアラが、一番メンタル弱いってのは、アンバランスなのかバランス取れてるのか。判断が難しいところだった。
「ここ最近、順調だっただけに、トラブルが起こるとげんなりするな」
「むしろ順調すぎだったと思うけどね、私は。それにしたって、通りすがりのお坊ちゃんに決闘を挑まれるなんてトラブル、滅多にあることじゃないけれど」
「ですよねぇ……」
つーかさあ、なんでよりによってシアラなんだよ。確かに可愛いけどさ。……いやそうか、可愛いシアラを見た男が「お兄さん、妹さんを俺にください!」って言ってきてるようなもんなのか。そう考えるとすごく妥当なトラブルに思えてきた。シアラは可愛いからな。
「まあ良いわ。とりあえず、今日はもう休みましょ。……えっと、あなたたち、こっちの部屋使う? 私が向こうに行っても良いんだけど。一緒に寝たいんじゃない?」
「ば、馬鹿なこといわないでよフィーナ!」
フィーナさんの軽口にドロシーが言い返す。
「別にそういうんじゃないから! ほら、コースケも、もう出てって。早く休んで、明日のことは明日話しましょ。あの二人もいないと話始まらないんだし」
「あ、ああ。分かったから、押すなよ」
涙目で顔真っ赤のドロシーに追い出されるようにして部屋を出る。去り際にフィーナさんを見ると、ニヤニヤと笑っていた。
あいつ、絶対楽しんでんだろ。人のことネタにしやがって……。相変わらず趣味が悪い。フィーナさんは俺たちをからかって遊ぶのが趣味みたいなところがあるからな。
実害はないからいいんだけど。
薄暗い廊下を手探りで進んで、隣の部屋に戻る。魔煌灯に小さな明かりを点すと、シアラがシーツに丸まっているのが見えた。顔を伺うと、目が合った。
「兄さん、遅いです」
「起きてたのか。先に寝てて良かったのに」
「眠れなくて。兄さんの匂いがないと、目をつむってもダメみたいです」
「……そっか。もう少し早く戻れば良かったな」
どうやらフィーナさんの予想は当たっていたらしい。ちょっと罪悪感を感じる。
「横になって目をつむってるだけでも、多少は休まりますけど……。やっぱり、熟睡はできないです。だから、早くしてください」
「はいはい」
促されるままに、そして腕を引かれるままにベッドに入る。本来だったら二つのベッドに一人ずつ、という部屋なのだが、まあ、片方しか使わないだろう。一人部屋でも良いんだけど、あいにく借りられなかったからな。ドロシーたちの部屋と隣同士にしておいたほうが何かと便利だし。
シアラが俺の胸元に鼻を押し付けて匂いを嗅ぐ。竜の無骨な爪が、体を迂回して背中に食い込む。体が密着するように、俺の脚の間にシアラの脚が入り込んでくる。柔らかな上半身と、堅い甲殻の四肢が、俺に押し付けられる。
「やっぱり、兄さんの匂い、安心します」
「それはどうも」
俺は少年の心が暴走しないように理性を必死に保っているところだった。毎晩これだから死ねる。
いろいろと反応してるんだけど、シアラは何も言わない。絶対気付いてるけど、何も言ってこない。……知識がないってことはないよなぁ。この世界の性教育ってどうなってんだろ。それとも、発情期みたいなのがあって、それ以外の時期だったらそういう気分にならないとか、そんな感じなんだろうか。
俺はもう、シアラの体の感触だけで全身熱くなるしな。病気にでもなった気分だ。
「なあシアラ」
「……なんですか、兄さん」
「いや、実際さ。俺が決闘で負けたらどうする?」
「兄さんを殺します」
「…………」
即答だった。流れるように、躊躇無く答えられた。用意していた答えというわけでもなく、自然と答えただけのような。
言葉に詰まって返答できない。けれど、シアラの方がひと呼吸置いて、続けて言った。
「そしたら、血の呪いで私も死にますよね。あの男に体を触られることも、殺されることもありません。……死体を弄ばれることは、あるのかもしれませんけど、そこは諦めます」
「諦めますか」
「諦めます。生きたままよりは幾分かマシでしょう」
そりゃそうか。けど、殺すか。シアラに殺されるのは、嫌だな。俺が死ねばどうせシアラも死ぬけど、その場合、体より先に心が死にそうだ。シアラの心が、俺を殺そうとした時に、先に死にそうだと思えてしまう。
うん、それは嫌だな。
だからやっぱ、俺が決闘で勝つのが最善手なんだろう。相手の絡め手を全部封じた上で、正攻法で勝つ。なんか少年漫画の主人公みたいだ。俺はどちらかというと、主人公に助けられるモブの役が似合ってると思うけどさ。
勝てば良い。
実際、決闘に命こそ賭けていないが、そして決闘で命を落とすことはないだろうが、これは殺し合いだと思える。ランパルトだって、全ての立場を失えば死ぬしかなくなるかもしれないし、俺は負ければシアラに殺されるし。
命をかけた殺し合い。
シアラが身じろぎして、俺に体を押し付ける。
「兄さん、その、ごめんなさい。ちゃんと私が、言い返せたらよかったです。けど、西風の薔薇売りは、父さんと母さんのいた場所ですから……」
……そっか。そうだよな。シアラは両親のこと、ちゃんと好きなんだ。俺は親父も母さんも嫌いだけど、シアラはそうじゃない。今でもシアラが持っている両親との繋がりは、あの商人ギルドだけだ。
だったら、やっぱり俺のしたことは間違ってなかったと思える。勝つ方法は……後から考えよう。何か手があるさ。多分。
「それから、ありがとうございます」
「ん、なにが?」
「私のために怒ってくれて。兄さんが怒ったの、あんまり見ないから……はじめてだったかな? ムッとしたのは良く見ますけど、あんな風に怒ったのははじめて見たと思います。それに、私のためにっていうのが、嬉しかったです」
そうかい。嬉しかったと言われるのは、イマイチしっくり来ないけど。でもまあ、シアラが嬉しいなら、俺も嬉しくなるな。
「大好きですよ、兄さん」
…………。
ああ、もう。可愛いな、シアラは、本当に。
俺は思わず意識的にシアラを抱きしめ返して、それから髪を撫でる。撫でたくなった。こうして眠る前に、俺の方からシアラに触れるのは、思い返せばあまりなかった気がする。眠ったまま泣いているシアラを抱きしめることは多かったのだけれど。シアラも、応じるように俺に体を押し付けて、目をつむる。
「俺も、大好きだよ、シアラ」
そう言って、できるだけ優しく、頭を撫でる。やがてシアラの呼吸がゆっくりとしたものになり、手足から力が抜けてしまう。眠ってしまったようだった。
深呼吸をして、シアラを撫でる手を止める。それから、俺も意識を手放した。
これ書いてたのがバレンタイン翌日だったんですよ。




