003
雑然とした裏路地。木で出来た街のその一画は、影のため薄暗く独特の冷気と湿った空気を感じさせた。俺は男達に見つからないよう、様子を伺う。
「おいお嬢ちゃん、どうやって詫びんだ? 兄貴の服、高いんだぜ?」
「おい待てよ。こいつ、ガキだけど身なりは悪くないぜ?」
男達がいう通り、尻餅をついている女の子はしっかりとした服を着ていて、後ろから見てもその仕立てが悪くないことは分かった。この世界であそこまでしっかりした服装を整えるのは、無理ではないけど、結構大変なことだと思う。
要するに、良いとこのお嬢さんであろう、という推測が成り立つ。
「ま、そうだな。ならやることは一つだ。お前ら、丁重におもてなししろよ」
「わかりやした、兄貴」
男達の中で偉そうな奴が指示を出すと、取り巻きっぽい空気の二人の片方が女の子を引っ張り上げようと腕を伸ばす。その動作は無骨で、気遣いの感じられないものに見えた。思わず声を出しそうになったが、けど、結果からいえば、俺はその場に立ち入るタイミングを逃した。
女の子が、伸ばされた腕を払ったからだ。
「触るでない、馬面」
幼い声が男を罵る。馬面……なるほど、確かに女の子に手を伸ばした男は、馬面の冴えないルックスだ。
女の子は立ち上がり、男達と一歩距離を取る。けれど、それは逃亡と呼ぶには余りに僅かな後退だった。
「貴様らのような見窄らしい輩が、誰の許可を取ってわしに触れようとしとる。第一、わしが歩いとったのじゃ。道を譲るのが当然じゃろう」
過激な性格をしていた。
「てめえ……下手に出てりゃあ調子のりやがって!」
「攫う前にやっちまえ!」
男達は反抗された事に神経を逆撫でされ、激高する。随分と短絡的だが、こういう薄暗いところで女の子を囲む連中なんてそんなもんかもしれない。
良い街だと思ったんだけどなぁ……。いや、どこにでもこういう連中はいるってことなんだろうか。今まで歩いてきた街も決していい人ばかりではなかったし、オアシスではトカゲのおっさんに絡まれたしな。
……あのトカゲのおっさん、元気かなぁ。やっぱ死んだかな。
そんなことを考えながら、俺は裏路地に入る。俺に気付いた男たちが、訝しげに、けれど鋭い眼光で俺を睨んだ。
「なんだ、おめえ……。この女の連れか?」
「フン、誰だろうと構わねえだろ。貧相な格好だし、適当に遊んでやれ」
真ん中の男……ひと際偉そうで、しかも意外なことにワリと身なりの良いその男が言うと、取り巻きの二人のうち一人がこちらに歩いてきた。
腕輪をしたがたいの良い男。俺より頭一つくらい背が高いし、腕も太い。武器は持っていないみたいだったが、けれどそのことは戦闘力が低いことを意味しない。脳みそまで筋肉のようなこの男が魔法を使いこなして戦う姿は想像できないけど、だからといって魔法を使えないと決めつけるべきじゃないだろう。
この世界の魔法は想像力に由来するのであって、知力に由来するのではない。一定の相関は、まあ、あるかもしれないけれど。
「ふん、どこの誰か知らんが、余計なことを……」
女の子がそう言ったが、男達には聞こえていないらしかった。
身なりの良いリーダー格ともう一人の取り巻きは、女の子が逃げられないような立ち位置でこちらを伺っている。完全に観戦する構えのようだ。とりあえず、女の子に危害を加えるのは後回しにするようで、一安心。
「なんか感じ悪い空気だね」
「分かってんなら関わんなや。いいか、賢いやつってのは、自分から厄介事に首を突っ込まないもんだぜ」
「そうは言われてもさ……。ほら、困ってそうに見える女の子を放っておいたら、後で妹に怒られそうだし」
嘘だ。シアラは多分怒らない。どころか、俺が見ず知らずの女の子を助けようとしたことに嫉妬するだろう。
我が妹様は最近若干行き過ぎているのである。
「シスコン野郎が。畳んじまえ」
「ふん。ま、体がデカいだけのやつには俺をどうこうできねーって」
「……おう、言うじゃねーか兄ちゃん。貧相な体つきだが、風が吹いたら倒れるんじゃねーのか?」
「そりゃあ空気読めない馬鹿のやることだろ」
「そうか。じゃ、落ちな」
一歩、大股で接近される。同時にまっすぐ、体重と体のひねりが乗せられた、巨大な拳が弾丸のように打ち出される。大男の持つ腕輪に刻まれた魔法式が発動し、その体と拳は風に支えられて高速で動く。
体から力を抜いて、拳の外側に倒れるように身を任せる。風が吹いて、空気に抱きかかえられて、俺は拳を躱した。
「魔法かッ——!」
「腕力じゃ勝てないしね。《我が身、我が刻、天と雷の騎士の名において、控えし掌は彼の裁きであり、夢の随に、発現せよ》」
呪文を素早く詠唱する。神のための言葉を無理矢理に発音し、音の形状をした魔法式を紡ぐ。
男が体を入れ替えて二度目の拳を放つ。俺はそれを、拳が放たれるより先に男の懐に入り込むことで回避する。
次は避けられない。というか、掴み掛かられて終わりだ。お互いの息づかいが聞こえるほどの近距離。
「ぐうァッ——!」
そして、小さなうめき声と共に倒れたのは男の方だった。体を痙攣させて膝をつく。俺は素早く距離を取り、後ろで観戦していた二人を見た。取り巻きの男は動揺してくれたが……本命、つまりリーダー格の身なりの良い男には、動じた様子はない。
「フン……。只者じゃねーってことか」
むしろ冷静にしてしまったみたいだった。
殴り掛かってきた男も、実は呪文で痺れさせただけなのですぐに起き上がるだろう。意識も失っていない。単に体が痺れて膝をついているだけだ。
「えーっと、多分あなた達じゃ俺をどうこうできないと思うんで、引いてもらえないですかね?」
オブラートに包んで要求してみた。
「この程度で言いくるめられてやれるほど安くねーんだよ、俺はな」
リーダー格の男が言う。
そうかー。引いてくれないかー。困ったな。
「いや、そろそろ本当にお開きにした方が良いって。ほら、お前らも、俺ならともかく十五歳の女の子にボコボコにされたくはないだろ?」
「あ? 何言ってんだこの馬鹿。俺たちがそんなガキに、しかも女に負けるわけねえだろうが。妄言もほどほどにしろよ」
スラリと、リーダー格の男が剣を抜いた。片手でも両手でも扱えるサイズの長剣で、細かな装飾が施されているが、魔法式まではないようだった。
高級そうな剣だ。
「あ、兄貴。まじでやるんですね」
「お前も抜けよ。ぶっ殺してその辺に転がしときゃいいだろ」
「……わかりやした」
取り巻きも短剣を抜き、こちらに向かって構える。男たちと睨み合っていると、女の子が俺に背を向けたまま、器用に後ろ向きに歩いて男達と距離を取った。俺の隣まで近づいて、囁く。
「ぬし、なにか勝算はあるのか? 先ほどのは時間稼ぎの子供騙しじゃろ」
「あー、バレた? まあ、もう少しだと思うんだけど」
「ぬ? 何がじゃ?」 「兄さん?」
女の子が尋ねたのと、シアラの声はほぼ同時だった。
子供騙しでも、時間稼ぎだ。




