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家出したら異世界だった  作者: shino
ハインアークの司書
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 《呪文の王》。呪文言語のすべてを読み、そして呪文の知識をすべて得る事ができる権能。何もせずとも気になったものの呪文的な情報を見せてくれるこの権能は、けれど意識的に使う事でより詳細な情報を引き出す事ができる。


 言い換えれば、集中力によってより高速に、より詳細に、呪文を読み解く事ができる。


 魔法がリラックスした状態で使うものだとすれば、こちらは緊張と共に使う能力だ。


 扉を見る。天井まで届く扉だ。石でできているが、ここまでの遺跡と材質が異なっている。《呪文の王》の権能が、その構造と刻まれた多くの機構を見せてくれる。時間の逆走を禁止し、空間をいくつかの方法で断絶、破壊や精神感応に対する耐性まで施されている。意味停止……扉の姿をしているものの、これは扉という意味を持たされていない。だから、「扉を開く」あらゆる呪文の影響を受けず、そして「扉が繋ぐ空間同士」さえ接続されない。


 厄介な扉だ。そして、本当に似ている。水を舐める猫(リロリティ・リンク)の稀覯書塔、その入り口の扉に。扉そのものに魔法式が施されていない点も含めて。


 まあ、今は良い。その事は後回しだ。


 集中する。これまで見ていたのは呪文の意味だけだが、そこからさらに、その呪文にまつわる精霊とその扱い方を、象徴する現象や概念を、それらを操るための無数の言葉達を、読み解いていく。時間、空間、断絶、署名、命名、知識……無数の精霊の力を借りたこの扉の構造を、理解する。


 理解して、これで、突破できる。


 頭に針を刺したような痛みが走った。知恵熱かよ。けれど、もうすぐ済む。扉なんてものはどんなに堅牢だったとしても、開く方法があるという意味で、突破できないものじゃないんだ。鍵穴の中身を理解できたなら、あとは鍵の方を作るだけ。


「《砂漠の民を穿つ灰の子等よ、我が署名に応ぜよ》」


 指を差し出して唱える。扉の紋様、蛇と蜘蛛のシンボルが淡く光り、俺の指先にも同じような光が灯る。


「あ、なっーー! どうやって!?」


 フィーナさんが驚きに声を上げるが、構う余裕はなかった。


 指を走らせ、古い文字を綴る。この形そのものが鍵だ。呪文言語ではないその署名を、俺は読む事ができないが、構わない。


 扉が動いた。鈍い音を響かせて、パラパラと劣化した石材を散らしながら。この扉が開かれるのは、どれくらいのことなのだろう。三百年、とかだっけ。そんな話をネディアさんがしていた気がする。


「ふう……。流石に、疲れました」


「……《命視の呪文》の詠唱なんて、目じゃないわ。この扉……ここは、突破できる扉じゃないのに」


「まあ、俺にかかればこんなもんですって。シアラ、先に進みたいから、中の掃除頼める?」


「任せてください兄さん! 弱い人を庇わなくていいなら、あの二本爪が出ても余裕ですから!」


 嬉々としてシアラが扉の内部に入っていく。一応罠に警戒しろとか思ったけど、ここまで何もなかったのだから、今更心配しても取り越し苦労かもしれないと思い直した。直後、轟音が響く。


「あはははははっ、あはははっーー! 兄さんの敵ども! 屑になるまですりつぶしてやる!」


 なるほど、これがバーサーカーってやつか。血しぶき舞う扉の向こう側に、俺とフィーナさんも入る。フィーナさんもなんかドン引きしてた。レアな表情ゲーット。


 二本爪もいたっぽいが、既に死骸だ。中はこれまでよりさらに精巧なブロックで建造されていたみたいだが、すでに血だらけだった。今更だけど、魔造生物って血液もちゃんとあるんだな……。地味にすごい気がする。


 そこは祭壇だった。方形の祭壇。祭壇の周囲には魔造生物達がうようよと溢れているが、祭壇の上には一匹もいない。おそらく、そのように条件付けされているのだろう。扉から祭壇まで少し距離があったが、その周辺はシアラが既に片付けてくれていた。


 地面の至る所が光り、祭壇も同様にぼんやりと発光している。俺とフィーナさんは祭壇まで歩き、そして中に入った。


「これは、すばらしいわ。確かにこれが造器。さしずめ、白蛇の造器といったところかしら」


 フィーナさんがため息をついた。


 幾何学的な形状の物体が、円形に描かれた魔法陣の中心部に浮かんでいた。そしてその物体に巻き付くように、蛇がデザインされている。ふわりふわりと浮かんでいるそれが、ひと際輝くと、祭壇の周囲に魔造生物が現れた。なるほど、こんな風に生まれているのか。


 見たところ、思った通りの事はできそうだった。ただ、魂の残量が足りるかどうかだが、おそらく足りるだろう。魔造生物自身の魂も回収しているみたいだし、数が減るとはいえ十分だ。最後にはみんな死んでもらうんだしな。


 そしてーーその前に、聞かなければならないことがある。


「フィーナさん、ここまで付き添ってくれてありがとうございます」


「……どうしたの、突然? そんなことより、早くあなたの言った、すべての魔造生物を滅ぼす方法っていうのを実戦してほしいのだけれど」


「フィーナさん、嘘つきですよね」


「…………」


 造器から目を離す。シアラが暴れる音が聞こえる。魔造生物たちがシアラに対抗しようとして、死んでいくのが視界の端に映る。ああ、もうすぐこの遺跡は終わりを迎えるんだ。苦痛好む真理アグリローア・ココロゥの人が知れば、きっと怒るだろう。貴重な遺跡になんてことをするんだ、とか。


「最初に会ったときからそうでしたけど。俺が見たがった本の棚の階数とか、塔に戻ってくる時間とか。名前はすぐに正しいものを教えてもらいましたけど」


 フィーナさんはニヤニヤと、楽しそうに笑っていた。目が続きを促している。だから、俺は言葉を続ける。


「あなたが日常的に嘘をつくのは、本当の嘘を隠すためじゃないんですか。例えば、苦痛の込む真理の調査に付き添った目的、とか?」


「あら、私がどんな目的で苦痛好む真理アグリローア・ココロゥを気にかけなければならないのかしら?」


水を舐める猫(リロリティ・リンク)って、図書ギルドですよね」


 俺はフィーナさんを無視して話を変える。


 嘘つきには応じてはならない。嘘つきと対峙したら、自分の言葉だけを語るべきだ。


「図書ギルド、本を管理するーー知識を管理するギルド。それって、秘蔵(・・)されるべき(・・・・・)知識を(・・・)隠し通す(・・・・)、とか、そんな仕事もやってたりして。ーー例えば、発見されるべきでない魔法具を発見させないこと、とか」


 二本爪の魔造生物が遺跡内に現れなかったのは、ユーリさんとアリシアさんが遺跡に入るグループだったから。少しでも危険がないように、それでいて探索を諦めてくれるように。その程度の難易度を設定した。


 斑食虫(ディグルハ)の一斉孵化。そのタイミングが被ってしまったが故に、ネディアさんたちは命を落としたが、そのことはつまり、事故だったのではないか。


「人だけを狙う魔造生物。防御に最適化された八本足と、攻撃に最適化された二本足。そして巨大な蛇ーー大型の兵力。ここって、兵器工場だったりするんじゃないですか?」


 フィーナさんは……フィーナ・ルルイエは、笑う。微笑む。よくできましたと言わんばかりの表情だ。あるいは、安心したような表情ですらある。


 それは嘘つきというより、むしろやっと願いが叶えられた少女のような顔に思えた。


「その通りよ」


 フィーナさんが告白する。


「最初から私は、この遺跡の造器のことを知っていたわ。それどころか、この祭壇に出入りして、遺跡が見つからないように工夫さえしていた。遺跡を封鎖すれば良いって思うかもしれないけれどね、知識を隠すということと、知識を守るということを同時に行うのが、水を舐める猫(リロリティ・リンク)なのよ」


「大規模な調査が行われる。だから妨害して近づけさせないように、より強い魔造生物が生まれるような細工をしたんですか?」


「細工はしていないわ。その造器は、流れ込む魂の量が増えるほど、勝手に強い魔造生物を作るようにできているのよ。私がやったのは、斑食虫(ディグルハ)にエサをあげたくらいのことよ」


 斑食虫(ディグルハ)の大量発生。例年より規模を大きくすれば、よりたくさんの魂が造器に流れ込む。


「まさか、アリシアが死ぬなんて思わなかったわ。……けれど、人はいつか死ぬ。私たちは寿命が長いのよ。もう三百年も、この遺跡を守ってる。その間に、何人もの友達が死んでいったわ」


 語る表情からは、悲しみも憂いも読み取れない。別れに慣れた人の顔は、こういうものなのかもしれない。たった一輪の花を手向けるだけで、人と別れられる。


「それで、どうする? 私を騎士団に突き出す? それとも、ここで殺す? 他の冒険者や苦痛好む真理アグリローア・ココロゥの仇として」


 困ったように笑うフィーナさんに、俺は首を横に振る。


「まさか、そんなことは。ただ、あなたが俺の邪魔をしないことを、確認したかっただけなんです」

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