024
「私が確実に狙われて、ひき肉にならずに丸呑みにされるなら、それで最初からオッケーだったのよ」
洞窟を逆走する道すがら、ドロシーは蛇に立ち向かった時の意図をそう話した。
「あの狭い階段だと押しつぶされるリスクもあったし、蛇を相手にしながら蜘蛛にも対処するには一人じゃちょっと厳しいのよね。あの辺、すぐ真上に湖があるはずだから、下手に魔法を使ったら決壊して流されそう、ってのもあったかな」
湖と階段が近いってのは完全に盲点だった。遺跡の崩落は少し心配したが、そうか。少しの亀裂に水圧がかかって決壊するってのは、前の世界でも時折耳にする話だ。
俺たちは蛇を撃破してすぐその場を離れた。焼けこげた匂いがかなりヤバかったからだ。他の魔造生物や斑食虫が匂いにつられるかどうかはわからなかったが、可能性があるというだけでその場を離れるのに十分な理由だった。
「もう少し進んだ所に落ち着ける場所があるはずです。そこで少し休みましょう」
ユーリさんが走りながら言った。顔色は相変わらず悪いが、俺が《回復の呪文》をかけて少しはマシな状態になっている。動きもしっかりしていて、危なげはない。むしろ俺の方がばてていた。できるなら休憩ポイントまでは呪文を維持したいが、持つかどうか怪しいと自分で思えてしまう。
数分走り、ようやく目的のポイントに到着した。そばに溜め池のような場所があり、そのそばに比較的平坦な岩肌が広がっている。水面は静かで、斑食虫の羽音も近くには聞こえないとユーリさんが確認した。近くに危険はないだろう、というのがドロシーとユーリさんの判断だ。
「あー、ダメだもう。疲れた」
倒れ込む。ユーリさんにかけていた《回復の呪文》の効果が切れる。途端、ユーリさんも地面にへたり込んだ。
「コースケ、休むのは良いけど、シアラの方もどうなったか確認したほうがいいんじゃない?」
「分かってる。けど、ちょっと深呼吸させて」
シアラの無事の確認は優先度が高い事項だった。それと、フィーナさんのことだ。アリシアさんがフィーナさんのことを知っていて、そして「ユーリを守れなければフィーナに顔向けできない」とも言っていた。あれは、一体なんだったんだろう。
「あのさ、ユーリさん」
「は、はい……。なんで、しょうか?」
ユーリさんの顔色は悪い。先ほどまでは《回復の呪文》の効果で体力を底上げしていたが、効果が切れた今はかなり苦しいはずだった。
それでも聞かなければならないことがある。……あまり考えたくはないけれど、もしユーリさんが死んでしまえば、聞けないことだ。
「アリシアさんが、ユーリさんが死ぬとフィーナという人に顔向けができないと言っていました。フィーナ、というのは、水を舐める猫のフィーナ・ルルイエさん、ですか?」
「……そうです。ご存知なんですね」
「ええ、まあ。あの、フィーナさんって、ユーリさんとどんな関係なんですか?」
ユーリさんは呼吸を整えるように深呼吸をして、ぼんやりとした視線をこちらに向けた。
「フィーナさんは、私とアリシアがいた孤児院の出資者の一人なんです」
「ハインアークに滞在するのは商人が多いでしょ。特に、行商人がね。彼らが旅の途中で死んで、子供だけが生き残ることがあるの。そうした子供たちが旅人や他の商人に保護されて、ハインアークに流れてくるのよ。そして、その子達を引き取ることを主にした孤児院がある」
そうか……そんなところが、あの街にはあるのか。そういえばシアラを見た時に、西風の薔薇売りのグルードさんは、少し驚いたといった程度の反応だった。似たような境遇の子供達が多いからだったのだろうか。
ユーリさんがドロシーの補足に頷いて、話を続ける。
「フィーナさんは出資だけではなくて、よく孤児院に遊びにきてくれていたんです。私たちの、姉のような存在でしょうか。いえ、姉というには少し遠い関係ですね。私もアリシアも、フィーナさんのことが好きで、憧れています」
「今回の調査にフィーナさんが同行してることは知ってるの?」
「はい。名簿は見ていましたから。少し話もしました。フィーナさんはいつも、私とアリシアは歳も近くて種族も同じなのだから、助け合っていけばきっと大丈夫だって、そう言ってました。アリシアは、そのことをずっと、心に留めていて……心配性で、わたっ、私のことを、いつも……ひっく、うぅ……」
ユーリさんは涙声になって、話を続けられなかった。今話すことじゃなかったかもしれないと後悔しそうになる。
「……なら、フィーナのためにも生きて帰るのよ。あなたも死んだら、フィーナは悲しむかもしれないわ」
「はいっ、わかってます……」
ドロシーがユーリさんを抱きしめて、頭を撫でて慰める。身長は変わらないくらいなのに、ドロシーの方がずっと年上に見えた。
その時、視界の隅で何かが動いた。焦ってそちらを見る。そこに居たのは……いや、あったのは、花だった。オレンジと黒の花びらの、毒々しい色合いの、尖った花びらを五枚合わせた、星形にも見える姿の花。細く奇妙にうねった茎が、岩に絡み付いてこちらを見るようにしている。
ラウリルネ族。あるいは、苗の民。
「そう、アリシアは死んだのね」
聞こえたのはフィーナさんの声だった。
ユーリさんがドロシーの胸元から顔を上げて、花を見る。そして目を見開いて、再びぽろぽろと涙を流し始めた。
「フィーナさん……アリシアが、アリシアが死んじゃった」
「分かったわ。分かったから、大丈夫だから、落ち着いて頂戴、ユーリ」
フィーナさんに慌てた様子はない。アリシアさんのことを何とも思っていないのか、あるいは感情を押さえ込んでいるのか。それとも、人が死ぬことに慣れているのか。
「そこにいるのは、コースケと、白い髪の……ドロシーだったかしら? 他の人は皆いないの?」
「ええ、居ません。全員死にました。他のグループとは合流できてません」
俺が答えると、そう、とだけ呟いて、フィーナさんは黙り込んだ。何か考えているのかもしれない。フィーナさんが口を開く前に、俺は気になったことを聞いた。
「フィーナさん、シアラはそこにいますか?」
「いるわよ。今は……というより、この魔法では話せないけれど、私の隣で奮闘してくれているはずよ。強いのね、あの子」
「俺の妹ですから」
「それはあまり説得力がないわね、貧相な研究家さん」
口の減らない人だ。
理屈は分からない……この花は呪文ではなく魔法のようで、俺の《呪文の王》の権能では分析できないのだが、つまりは遠隔で会話をすることができるものだろう。フィーナさんとシアラが一緒にいるなら、長い詠唱をするよりずっと良い。助かった。
「ともかく、状況を整理しましょう」
ドロシーが言った。
「フィーナ、そちらにも生き残りはいるのよね?」
「少しはね。戦力はシアラだけと言ったところかしら。私の花を洞窟に散らせているけど、残念ながら他のグループは見つけられていないわ。いまのところどこもかしこも魔造生物と斑食虫ばっかり。もう死んでるかもね」
既に他のグループも死んでいるかもしれない。俺は思わず息を呑んだ。俺たちが生きてここまでたどり着けたのは、奇跡に近いなにかなのかもしれない。
「け、けど! すべてのグループが遺跡を調べてたんじゃないです。洞窟のグループは無事なんじゃ……」
「こちらの生き残りにいた苦痛好む真理のメンバーに調査予定の経路を聞いて、その辺りを調べてはいるのよ。そこに人の声は聞こえなかったわ。だから、少なくとも調査ルートからは外れているはずよ」
言い募るユーリさんに、フィーナさんが答えた。死んでいるとは言い切らなかったけれど、何らかの被害を受けていることは間違いないだろう。
「なにかグループ間の連絡手段はないんですか?」
「あるはずだけれど、地上に用意していたそれ用の魔法具は壊れちゃったのよ。だから、グループ間のやり取りしかできないんじゃないかしら。あなた達も、その様子だともってないんでしょう?」
「……多分、ネディアさんが持っていたんだと思います。死体からそれを回収する余裕は……」
「無理ね。そんな悠長なことしてたら、コースケとユーリは死んだわ」
ドロシーが言い切った。確かに、そんなことしてたら死んでただろう。無意識にだろうか、ユーリさんが肩を抱くように体を強ばらせた。
「仕方ないことよ。他の人の心配をするくらいなら、自分たちの心配をしなさい。……ともかく、地上にいるよりは洞窟の中の方が安全そうだし、外が落ち着くまではあなた達と合流してやり過ごしたいんだけれど、そこにあと五人加わることはできる?」
「五人くらいなら、可能だと思います。周囲も安全です。調査隊が使っていた入り口からなら、多分そんなに時間はかからないと思います」
「わかったわ。調査ルートは抑えているから、その通りにそちらに向かうわね……。この花は維持できないから、また後で」
あっさりとそう言って、フィーナさんの声を伝えていたオレンジの花は枯れて崩れ落ちた。もう通話はできない、ということだろう。必要ならシアラと繋いでも良いけど……今はフィーナさんを信じて、体力を回復させよう。
頭もちょっとのぼせている。疲れて、すこしだけ頭痛もする。
「しばらく待機、って所ね。私はまだ体力保つから、ユーリは寝てなさい」
「……はい、すみません。お言葉に甘えます」
ユーリさんは地べたに直接横になって、無理矢理目を閉じた。眠れるかどうかは分からないが、横になって目を瞑っているだけでも多少の体力は回復できるだろう。そのままだと冷たいとおもって、俺は地面を暖める呪文と《回復の呪文》を使い、できるだけユーリさんが休めるようにする。
「ありがとうございます、コースケさん」
腫れた目をうっすらと開いてそう言うと、ユーリさんは再び目を瞑った。




