022
素直に考えるなら、ドロシーが先頭を走るのがベストだ。感知から戦闘への切り替えが早いし、突発的な危険にも対処できる。ただ、二つの問題があった。
一つ目は、ドロシーが戦闘と哨戒の両方をやることに対する、集中力の問題。哨戒は自然、背後にも気を配る必要がある。とっさの対応が遅れるし、前方に注意している間に背後から襲われる危険性もある。
ドロシーの集中力を偏らせるなら、いっそ全方位に注意を払っておいてもらった方が良い。その上で、進行方向だけは俺が見る。これならドロシーの集中力を偏らせずに、進行方向をきちんと調べることができる。
また、音に関してはユーリさんの耳に期待する部分もあった。ユルズに匹敵する聴力。憔悴しているユーリさんがどれくらい能力を発揮できるかはわからないが、それでも何か気づいたら声をかけるように頼んでいる。
二つ目の問題は、単純にペース配分だ。ドロシーが戦闘だと、最後尾になる俺が付いてきているか常に気にしなければならない。なら一番遅い俺が先頭に立つことで、気にすべき点を減らそうという発想だ。
そもそも俺が足を引っ張ってる点については……まあ、うん。言うまい。
「コースケさん、ドロシーさん、申し訳ありません。この事態を招いたのは、私たち苦痛好む真理の想定不足が原因でした」
通路を出る直前、ユーリさんがそう言って目を伏せる。猫耳がうなだれていた。そういうところにも感情が出るんだな。
「想定すべきでした。斑食虫がメギルマ洞で大量発生して、それからハインアークの周辺を荒らしていたのは分かっていたことです。そのことと、造器との間に、なにか関連性があるのだと思います。魔造生物が斑食虫のエサなのか、あるいは相互に利用し合っているのか、どちらが真実なのかはわかりませんが……」
ユーリさんが俺たちに頭を下げる。
「申し訳ありません」
絞り出したような声だった。聞いているこちらまで痛くなる声。
「……大丈夫ですから」
ユーリさんの頭を撫でる。ーー綾乃が俺にそうしたみたいに。
「まだ俺もドロシーも生きてますから。他にも生きている人はいます。それに、想定外なんて、普通に生きていれば日常茶飯事ですよ。いつものことです」
いつものこと。想定外が普通。事実は小説より奇なりというか、人生ってのは基本的に全くもって思い通りにならない。
想定外のオンパレードで、イレギュラーの連続だ。
顔を上げたユーリさんが、大粒の涙を流す。酷い顔だった。少し落ち着く時間ができてしまったからだろうか。ネディアさんやアリシアさんの死に、感情が追いついたのかもしれない。止まりそうにない涙を怪我をしていない方の腕で拭って、嗚咽を漏らしながら言う。
「ひぐっ……ありがとう、ございます」
……とにかく、無事にここを出る。
「そんなことより、早くいきましょ」
見ていたドロシーが、呆れたように言った。
「生き残ってからやればいいのよ、そういうことは。死ねばどうせ、意味ないんだから」
ごもっともだった。
息絶えた魔造生物の横を通って、通路を進む。《闇除けの呪文》によって暗がりを見通しているが、ひとまず突き当たりまで危険はないようだった。
早すぎないペースで走って移動する。耳を澄ませて、極力足音を立てないように進む。微かな羽音……遺跡のどこかに潜んでいる生き物の蠢きが感じられる。最初に訪れた時の静けさは無く、どこもかしこも細やかに騒がしい。
曲がった先の通路に、二匹の斑食虫がいた。すぐこちらに気づいて、羽音を鳴らして威嚇してくる。
「ドロシー!」
「任せて」
一瞬で、ドロシーが俺の横を通り抜け、斑食虫に切り掛かる。手前の一匹の喉を短剣で切り裂き、奥の一匹は《岩の槍》で刺し殺した。数秒で殲滅が終わり、再び俺が前に出る。
「コースケさん! その通路の先、何かいます」
ユーリさんの声を受けてペースを落とす。通路を覗き込むと、灰色の魔造生物ーー先ほど襲ってきた八足の蜘蛛のようなやつが、牙と歯とをがちゃがちゃと鳴らしていた。
「……さっきの蜘蛛みたいなやつだ。ドロシー、押しのけて進める?」
「《岩の槍》!」
俺の言葉にかぶせるように、ドロシーが魔法を使う。
通路に突き出した岩石の大槍が、魔造生物の体を押し上げて壁に押さえつける。その脇を、俺たちは走り抜けた。
そうして遺跡の内部を進み続ける。できる限り早く、可能な限り魔造生物や斑食虫との接触時間を短くして。
そうして数十分走り続け、俺たちは遺跡の出口にたどり着いて、そして、そこで足を止めた。
最初に下った階段の手前。そこから階段を見上げて、俺たちは絶句する。
三匹の蜘蛛型魔造生物。それはいい。そいつらはまだ大丈夫だ。やりようによっては対処できる。問題は次だ。
蛇だ。
乳白色の蛇が、巨大な体を階段に詰めて、そして俺たちを見下ろしていた。表情の無い真っ黒な目からは、敵意も害意も感じない。ただ、悠然と俺たちを見下ろしていた。
場違いにも、美しいと思ってしまった。暗闇の向こう側に見える、おそらく俺にしか見えていないその蛇を。
艶かしく光る鱗を纏い、赤い舌を出入りさせている。白蛇信仰、という言葉を思い出した。なるほど、ここまで巨大なものでなくとも、白い蛇というものは、こうも神々しいのかと、思わされる。
思い知らされる邂逅だった。
敵うのか、こいつに?
「コースケ、何か居るの?」
「っ! あ、ああ。蛇だ。めちゃくちゃデカい蛇が、階段の上に居る。それと、手前に蜘蛛みたいなアイツが、三匹」
「デカい蛇? デカいってどれくらい?」
「えっと、多分、俺が抱きついても手が回らないくらい太い」
「それは……ヤバいわね」
ですよね。
「大蛇……。病目の大蛇のような大型の生物を、人工的に作ったのかもしれません。この遺跡の造器が、そもそも巨大な生物を生み出すための装置だったのかも……」
なんだそれ。この魔法具で世界征服してやる、みたいなマッドサイエンティストが居たとでも言うのかよ。世界征服ってのはたった一匹の怪物でなんとかなるもんじゃないだろ。特にこの世界では。
いや、そうじゃないのか。造器が上手く動き続ければ、それは要するに無限沸きポイントってことだ。上手くいけば、無限の兵力を手に入れられる。
俺はドロシーとユーリさんの手を握る。そして、呪文を詠唱する。
「《彼らが目、外縁の空、地平までの道のりを辿る霊気、気高き光の妖精の寵愛無き旅路に幸あれ、世界との接点は切り繋がれ、また解け結われる》。……これで、見えた?」
「見えたわ。これはちょっといろいろと、無理ね」
「無理ですね。諦めましょう」
満場一致だった。
ーーいや、そうはいっても、遺跡から出なければみんな死ぬ。
二人にかけた《闇除けの呪文》の効果は、数分で失われる。
《呪文の王》の権能を使って、蛇を視る。やはりあの蛇も魔造成物で、しかも全身に複雑な魔法器官を持っていた。
周囲の世界の揺らぎを感知する、いわば魔法感知能力。それに、空間を泳ぐ能力がある。空でも地中でも水中でも、どこでも入り込んで自由に移動できるらしい。この蛇を作った人物は、相当呪文に精通している。権能を持ってしても、読み尽くすのに時間がかかりすぎる。とてもじゃないが真似なんてできそうにもない。
桁外れだ。
桁外れだが、そこまでだ。この階段の間だけなら、おそらく保つ。
視力・聴力・嗅覚・魔法感知能力。それだけなら、多分、全部欺ける。




