016
「どういう魔法がいいか、兄さんの好みで決めていいですよ。好きってことはそれだけ、魔法を使うのに有利ですから」
悩んでいる俺にシアラがアドバイスをくれた。
「そうなの?」
「好きなものの方が想像しやすいですよね、普通」
「それは……そうか。確かに」
好きなもの……ねえ。なんだろうな、俺の好きなもの。綾乃、良太、姉さん、ドロシー、シアラ。人ばっかだな。親父のお陰で、自分のものなんてろくにもってなかったし。趣味らしい趣味もない。
想像しやすいって観点で言うなら、前の世界で見なれているものとか、だろうか。なんだろ。魔法っぽいのでいうなら……水、か? いやでも、水が好きってわけでもないしな……。
前の世界での思い出って、何かあるか……?
そう考えて、一つ思い出した。
「……風、とか」
綾乃が、高い所が好きだった。高い所と言っても、単に高度が高い所という意味ではなくて、強い風が吹き付けるような高い所、という意味だけれど。風を一身に浴びながら、笑って俺と良太を振り返って、いつも楽しそうに話していた。高校生にもなってジャングルジムに登ったり、学校の屋上でフェンスを乗り越えたりして。良太は笑ってたけど、俺はいつもハラハラしながら、綾乃を見ていた。
だから綾乃の思い出の半分くらいは、風を浴びて楽しそうにしてる、笑顔だ。
「風ですか」
シアラは頷く。
「悪くないと思います。風はそこら中にあるものですから、馴染み深いですし。精霊シルフによる自然現象ですね。これを操るというのも、シルフのことを理解しているだろう兄さんには難易度が低そうな気もします」
精霊と自然現象が直結していますから、と語るシアラ。
確かに、風はどこにでもある。
「前に、モノを生み出すより操るほうが簡単そうって思ったからな。そういう意味でも、風を操るってのはワリとイメージしやすそうだし。……シアラは風を使った魔法はなにか使えるの?」
「いえ、残念ながら。……しかしよく考えれば、風ならば呪文でも操れますから、あえて魔法で風を扱うのは逆に大変かもしれませんけど」
ああ、そう言えばそうだったか。微風の乙女に働きかければ、風を操るのは容易だ。強いて言えば、呪文では風を生み出せない、ってところだろうか。かき集めたり、退けることはできるが、風そのものを生み出すことは呪文ではできない。
「風を操る他だと、風という概念を具象化させるタイプの魔法があるでしょうか。《風の騎士霊》が有名ですね。それと、体術に風のイメージを重ねる魔法もあります。《嵐の接近》でしたか。いえ、あれは元素としての風というより、六元象を下敷きにしているんですっけ……」
シアラがぶつぶつと専門用語をのたまい始めたので、俺はそろそろ聞くのをやめた。ちょっと複雑というか、この世界ってリアルオカルトだよな。ファンタジーってよりオカルト。前の世界の黒魔術とか錬金術に通じるものがあるような気がする。あんまり詳しくはないから、専門家には小言を言われそうだけど。
「ともかく、風というのはワリとポピュラーなので、悪くないという話です」
「うん、了解。……じゃあ、とりあえずがんばってそよ風を起こす所から、って感じになるの?」
「そうですね。ここまでくれば、やってみてくださいとしか言えません」
「じゃあ、とりあえずやってみるよ」
俺がそう言うと、シアラは俺から少し距離を取った。
俺は深呼吸をして、両掌をみぞおちの前あたりに掲げ、上に向ける。掌で丸い空気の球を持っているみたいに。ここが、俺が風を作る場所だ。そう心に決める。その切り取られた球の内側に、風に触れたときの感触を思い出しながら、空気の流れをイメージする。
圧縮された空気がある。そこから風が流れて、俺とシアラを撫でる。その風の発生源は、この手の中だ。ゆっくりと空気が流れ出て、掌に触れる。周囲の草木をゆらして、ランタンの炎をぐらつかせる。
綾乃を撫でた風を思い出す。
風が頬を撫でる。イメージと現実の境界線が曖昧になる。この風が想像なのか、現実なのか、わからない。シアラの民族衣装のような装いが、ふわりと揺れる。それを見て、そうか、そんな細部まで、風は揺らすのかと、当たり前のことに思い至る。風が吹く。そよ風だ。少し涼しげな風。気持ちがいい。
これが風か。
そして、これが魔法か。
自分の内側と外側がいっしょくたになったような、妄想と現実がないまぜになったような、事実と空想が不明瞭になったような。目が覚めるような、眠るような、そんな感覚。これが、魔法なのか。
まるでこの世界が、誰かの夢だとでも思えるような。
「……すごいですね、一度で使えるとは思いませんでした」
「思ったより、なんというか、変な感じだ。ちょっとくらくらする」
「最初はみんなそうですよ。ドロシーさんみたいな直感的な人は、酔わないって聞きますけど」
そうなのか。確かに、最初から魔法が使えるなら、初めて使った時に不安定な感覚に陥ったりしないものかもしれない。四六時中似たような感覚、ってところだろうか。
「とにかく魔法が使えたなら、現代魔法として定式化されているものを練習するのがいいですよ」
「そうなの? でも、想像したことが具現化するなら、別に自分の好きにやってもいいんじゃないの」
「定式化されている魔法は、定式化されていることそのものによる英霊効果がありますから。つまり、『そういった形の魔法なら容易に使うことができる』という事実が、魔法の発動を助けるんです」
「ふうん。そんなもんなのか」
「はい、そんなもんです。風の魔法だと、《風の矢》や《風の斧》がポピュラーでしょうか。ドロシーさんが使う《岩の槍》に対応する、《風の槍》もあります。岩……というか、土と風は、どちらも七方ですから」
「七方?」
「はい。あんまり詳しくはないですが、風、雷、水、土、火、精神、光の七つのことです。これらになぞらえた《魔法の矢》とか《魔法の斧》とかは、これら七方になぞらえた応用系がポピュラーなんですよ」
「ふむ、なるほど?」
魔法属性、みたいなもんか。前の世界でいう五行とか四大元素とか。良太の家でやったゲームでよく使われていた概念だ。七つってのは多い気がするけど、魔法が実在する世界ではそんなものかもしれない。
「矢や斧なんかは十三の武装に数えられるもので、その形状そのものが英霊効果を持っています。そこに、七方に数えられる自然物への認識を絡めて、魔法を発動しやすくしているわけですね」
「ちょっとついていけないんだけど……。とにかく、扱いやすい魔法ってこと?」
「ざっくり言ってしまえばそうですね」
十三の武装に七方ね……単純に考えれば、九十一種類の魔法があるってことになるけど、そういう単純なものでもないんだろうな。七方の「精神」とか、ちょっとよくわかんないし。《精神の槍》とかになるんだろうか。どんなだよ。
けど、とりあえずは風の魔法のことだけを考えて使いこなせるようになれば良いんだろうな。即戦力とまではいかなくても、少しは光明が見えてきた気がする。
「でも兄さん、魔法が使えるだけじゃやっぱダメですよ。ドロシーさんと一緒に仕事がしたいなら。すこしは武器も扱えた方が良いです。私だって、爪を使えば戦えるんですから」
「この世界の人って、だれでも戦えるもんなの?」
「危険な生物が多いですからね。戦う手段を持ってる人は多いです。武器を使う人もいれば、私のように戦うための体を持った種族もすくなくありません。生きることは戦うことですよ」
「生きることは戦うこと、ね」
そう言ったシアラの目は、真剣だった。家族のことを想っているのかもしれない。俺が戦う力を付けることは、シアラの安心にも繋がるんだろう。病目の大蛇と戦うだけの力があれば、確かに、シアラの家族やオアシスの人々は死なずに済んだのかもしれない。
危険の多い世界だ。いや、危険の質が、前の世界とは違うというところだろうか。
普通に人が死ぬ世界。人でない生物と人との垣根が薄い世界。弱肉強食の頂点に必ずしも人がいない世界。
今、俺が生きているのは、そういう世界だ。
「とりあえずは魔法の練習だね。そのうち何か武器も選んでみるけど……」
前の世界で使ったことがある武器といえば、特殊警棒くらいだ。あれは実際、ものを殴るとすぐ使い物にならなくなるからな。流石に人を殴ったことはないけど……。人を殴るのって、感触すごそうだ。親父はよく母さんや俺を殴ってたっけな。
どんな感じだったんだろ。
人を殴るのって……人を傷つけるのって。
「そうですね。ともあれ、ドロシーさんにも私にも対処できない生き物に襲われたら、基本的には死んだと思った方が良いです」
「あー、まあそうなるか。でも、できるだけ足掻くよ。俺が死んだら、シアラも死ぬしな」
血のつながりを作り出して、そして命を共有する呪文を施した。そういう兄妹関係が、僕たちの繋がりだ。俺が死ねばシアラも死ぬし、シアラが死ねば俺も死ぬ。双子の糸を使った血の契約。
「そういえばそうでしたね。それじゃあ兄さん、できるだけ頑張ってください」
俺の言葉に、シアラは笑ってそう応じたのだった。
説明ばっかだよ!話が動かないよ!




