012
慣れた者同士の方がやりやすいだろう、と言う理由で、俺とドロシー、ユルズとカルマがそれぞれ分かれた。で、ユーリとアルニカがそれぞれ分かれ、ネディアはこの場にそのまま残ることになる。
「ネディアさんは一人で大丈夫なんですか?」
と心配して聞いてみると、
「ここからなら皆さんの位置が分かると思いますし、一通りドロシーさんが周囲を調べてくれていますから、問題ないでしょう」
との返答であった。まあそう言うなら何も言うまい。
ユーリさんが俺たちのグループ、アルニカさんがユルズのグループに入る。そして、俺たちが右回り、ユルズのグループが左回りに調べ歩いて、合流した時点で一度情報共有をし、また半周して帰ってくる。帰りのルートは行きのルートを逆行するのではなく、もう一方のグループが調べた側を再度調べつつの道のりになる。そうすることで二度確認できるから、というのがネディアさんの意見だった。
そこまでしてこの湖を調べたいのか。
なんだろ、ネディアさんにはこの湖に何かがあるっていう確信でもあるんだろうか。
「それではみなさん、よろしくお願いしますね」
眼鏡を光らせるネディアさんに見送られて、俺たちは歩き始めた。弱められたランタンの明かりが前方を照らす。ドロシーが先を伺いつつ、その背後から俺が前を見る。赤毛の猫耳少女であるユーリは、周囲を見渡しながら歩いている。好奇心旺盛なタイプなのかもしれない。不用心だけれど、不用心な彼女達を守るのが、今の俺たちの役割だった。
湖の中央部は微かに開けていて、地上からの光が降り注いでいる。しかし少しでも沿岸にそれると、そこは暗闇の世界だった。
「止まって、何かいるわ」
そんな状態でしばらく進むと、ドロシーが立ち止まった。その原因は、少し先の岩陰に見える、何かの生き物だろう。暗いところが見えるとはいえ、普通に遮蔽された場所を見通すことは出来ない。俺にも正体はわからないが、なにか細長い形状のパーツを持つ、腰ほどの高さの生き物だ。
その生き物の方から、くちゅりくちゅりという咀嚼音のようなものが微かに聞こえる。ドロシーはこの音に気づいてこちらを制したんだろう。
「……この洞窟で目撃されているのは、魔造生物と中型サイズの虫です。この咀嚼音からして、おそらく何らかの虫なのだろうと思われます」
ユーリが俺の隣まで戻ってきて、そう答える。その顔には焦りも驚きも見えない。猫耳だし、咀嚼音はもっと前から聞こえていたのかもしれなかった。
「どうする? コースケが行っても仕方ないけど、かといってランタンを持って突っ込むのも気が進まないわね。視界が悪くなる」
「見えないからランタンじゃないのかよ?」
「それはそうなんだけど、暗闇はもっと見えにくくなるでしょ」
「ああ、なるほど。そりゃそうだな」
人の目は暗いところと明るいところを同時に見ることができない。明るい場所に合わせれば、暗がりはどうしても見えにくくなる。そうすると、そこに他の脅威が潜んでいても気づけないかもしれない。
「ランタンの明かりを限界まで絞って、もう少し近づいてみるか? それで、先に周辺を調べる。他に怪しい気配がなかったら、一気に襲いかかって仕留める」
「……そうね、それが無難そう。ユーリさん、ランタンの明かりを落としてくれるかしら」
「わかりました」
ユーリさんがランタンの明かりを絞る。具体的には、ランタンの光が出ている窓についているシャッターを降ろして、光源のサイズを小さくする。加えて、ダイヤルをまわしえ明かりの強さも落とした。視界は悪くなっただろうけれど、歩けないほどではない。警戒を強めて進む。
左手側には湖。右手側は岩肌。入り組んだ構造の洞窟を進んでいく。だんだんと咀嚼音が近くなる。周囲に他の生物の気配はない。岩陰に隠れた生き物もなく、呼吸音も聞こえない。ユーリさんが何も言わないということは、多分大丈夫ってことだろう。猫耳、良く聞こえそうだし。
岩陰から覗き込むと、咀嚼音の主が見えた。
端的に言えば、そいつは巨大な蚊……のように見えた。俺たちの腰ほどの高さの蚊。単にサイズを大きくしたわけではない。手足をより太くし、羽根の上にはさらにもう一枚、甲殻のようなものが見える。完全に閉じてはいないが、今は力なく倒れている。口は管の代わりに牙があり、それで何かの死体に齧り付いているみたいだった。ここにきて唐突に、ファンタジーがホラーに感じられてしまう。
はっきり言ってかなりきもい。
「斑食虫の一種ね。脅威じゃないけど、産卵前かしら」
ドロシーの言葉を聞いて改めて観察してみると、なるほど、腹部が異常に膨らんでいるようにも感じられる。あれがあの虫の標準状態でないなら、確かに産卵前にも見えるな。
「すごい、産卵直前の斑食虫なんて初めて見ました……」
ユーリさんが弾んだような声でそうおっしゃる。なるほど、好奇心は猫を殺すってやつだ。違うけど。
「邪魔だし、襲われても面倒ね。殺して、卵は……仕方ないから、放置しましょう。今日明日で孵化するということもないでしょ」
「あ、アレを殺すのか……。焼き殺しても問題はないよな? 風は通ってるみたいだし。ドロシーの魔法でやる?」
そう聞きつつ、《呪文の王》の権能で斑食虫とやらを調べてみる。羽根はもちろん魔法器官らしく、空を飛ぶための呪文が機能していた。加えて、目は生命力を見る器官が備わっている。……ということは、俺たちの存在は見えてるんじゃないのか?
けれど、こちらに気づいているような素振りはない。単に鈍いのかもしれない。
「うーん、《岩の槍》はこんなとこで使ったら生き埋めになりそうだし。もったいないけど、そうしたほうがいいわね」
ドロシーが素早くガラス片を入れた袋を取り出し、放り投げてナイフで切り裂く。飛び散ったガラス片が炎の剣になって宙を舞い、乳白色の洞窟を明るくてらした。オレンジ色に照らされた洞窟の内部が遠くまで見通せるようになる。
一瞬、人工的な壁が見えた気がした。
けれどそれは本当に一瞬だけで、すぐに炎の剣は斑食虫に向かって弾かれたように飛んで行く。突然の攻撃に、斑食虫は食べていた死体ごと一気に灰になった。
「お、おおう。すごい魔法ですね、これ。千剣ですか?」
「良く知ってるのね。さすがは錬金術師。《千の火剣》よ」
昆虫は火だるまになり、一瞬だけギシギシと足を軋ませたかと思うと、がくりと力を失って倒れた。うーむ、オーバーキル感が否めない。少しだけ煙たくなるのと、虫が焼けたためか変な匂いがした。それもしばらく待ってると、風に流されて気にならなくなる。今ので変なやつがやってこないといいけど。
「匂いがすごいです……。鼻が曲がります」
ユーリさんが涙目で鼻を押さえていた。そうか、猫だから嗅覚も普通の人間より良いのか。
「確かに、思ったより臭い……。焼かないで、短剣で刺し殺した方が良かったかも」
それもそれで、体液とか臭そう。
完全に死んでいるとは思うけど、一応警戒しながら死骸に近づく。斑食虫に食べられていたのは灰色のトカゲのような生き物だった。背中に幾何学的な模様があり、肌もなんか……作り物っぽい感じがする。
「これは……灰とトカゲの魔造生物ですね」
魔造生物。これが。……なんか思ってたのと違う。いつだったか戦ったゴーレムみたいなのを想像してたけど、そういうのよりもよっぽど生き物っぽい……気がする。いや、でもなんか作り物っぽいし、やっぱ広い意味で言えばゴーレムなのか?
うーん、わからん。
けどまあ、クライアントに無知を露呈するのもどうなのって思うし、このことは後でドロシーに聞いてみよう。
「ふうん。……魔造生物ね。見るのは私も初めてなんだけど、こいつらってどういう生き物なの?」
俺の決意とは関係なく、ドロシーがユーリさんに尋ねていた。
「あ、そうなんですね。えっと、魔造生物というのは、普通の生物とは異なった繁殖方法をします。繁殖というか、製造に近いですね」
ユーリさんの解説が始まる。胸を張って、心無しか偉そうというか、楽しそうだ。知識を披露するのが楽しいっていうタイプなのかもしれない。普通にかわいらしい容姿なのに、オタク属性だ。そのギャップがまた良い。
ドロシーは話を聞きつつ、斑食虫の死体を短剣でざくざく砕いている。卵も潰していた。《呪文の王》の権能によると、卵の表面には保温と防護の魔法器官があるみたいだった。便利そうなので記憶の片隅に置いておく。
「魔造生物には必ず母体となる魔法具があります。魔法具が呪文的な作用と何らかの魔力供給によって、生物を現象結晶として生成することになるのです。もちろん生物のような複雑な構造を通常の現象結晶で生成できるはずもありませんので、製造のための魔法具は恐ろしく複雑で難解なものになります」
理解の範疇を超えた単語が飛び出し始めた。現象結晶ってなんだ……?
「簡単に言ってしまえば、魔法具によって作られた生物が魔造生物というくくりになるわけです。生物的な特徴による分類ではないので、それみたいにトカゲのような姿のものもいますし、鳥のような姿のものもいます。妖精を造り上げる魔法がこの世には存在しますが、それを自動化したものだとも言えますね」
「えっと、ということは、この洞窟のどこかに生物を生み出す装置がある、っていうこと?」
「そうですね。私たち苦痛好む真理は、その魔法具を探しているんです。ついでに洞窟の地図も作ってるわけなんですけど」
無い胸を張るユーリさん。なるほど、ロマン溢れる話だった。




