006
「それで、呪文の実例が載っている本だったかしら?」
「あ、はい。そうです。どの辺りにあるんですかね」
これだけの蔵書だ。目的の本を探すのもさぞかし手間だろう。
「呪文関係なら、三階の十六番書架の辺りね」
女性がさらりと言う。覚えてるのかよ。
青白いランプに照らされた塔の中を登っていく。階段は緩やかで、手すりは腰の位置よりも少し高い場所にある。落下防止の意味が強いんだろうか。
案内されるままに三階をぐるりと半周して、女性は立ち止まった。
「ここが十六番書架。どんな呪文が見たいの?」
「別に呪文は何でも良いんですよ。できるだけ珍しいやつが見たいですね」
俺がわざわざ図書館に来た理由。
《呪文の王》の権能で調べられる情報には、独特の制約がある。インターネットでキーワードから検索をかけるように情報を探さなければならない、という点だ。
俺が見た呪文式や聞いた呪文をとっかかりにして、それらにまつわる情報を理解するという方法。
俺がやりたいことを起点にして、その実現方法を探すという方法。
これが基本で、この方法故の限界がある。
まず《呪文の王》の権能はアイディアを持たない。
例えば、単に炎を生み出す呪文っていうのは存在しないが、火種を作りやすくする呪文は存在する。けれど、単に「炎を生み出す方法」を《呪文の王》に尋ねても、その答えは帰ってこない。
なんというか、融通が利かないのだ。
そして、《呪文の王》に尋ねることができない事柄については知ることができない。
俺の想像を越えた呪文は、たとえ存在しても知ることが難しいって意味だ。
この塔の出入り口の扉に施されていた呪文でいうなら、時間の流れを使って中をのぞき見る方法とかだろうか。それに対する対策が施されていて、そういう方法があることを俺は初めて知った。そういう、俺が得られない着想に関連した呪文や知識にはなかなか辿りつけない。
要するに、《呪文の王》は案内人のいない巨大図書館みたいな能力ってことだ。
「ここにある本はどれも珍しいわよ。……強いて言えば、これが面白いかも」
そういって女性が一冊の本を取り出した。表紙に文字が書かれているが、もちろん読めない。
「これ、呪文が載ってる本ですか? どういうのが載ってるんです?」
前の世界でいう、極普通のハードカバーの本、っていうサイズ。片手にもってページを捲れるくらいの大きさだ。一枚ずつ厚い紙を捲っていく。前の世界みたいな薄い紙で作られているわけではないらしく、見た目よりページ数は少なそうだ。百ページくらいだろうか。とても古いことが、本の表紙やページの痛み具合から分かる。
「それはマイナーな精霊について簡単に解説してある本よ。その精霊にまつわる呪文がいくつか一緒に紹介されてたと思うけど」
「読んだことあるんですか?」
「ここの蔵書はだいたい読んだわね。私、読むのは早いから」
読むのがいくら早くても、この塔の蔵書を読み切ることなんてできないだろうに……。
それとも、時間を止める方法でもあるんだろうか。あるいは恐ろしいほど早く本を読む方法があるとか。
そんなことを考えながら、読むことのできない本を捲っていく。そして、途中で見つけた。呪文式だ。見出し風にデザインされた文字が登場したところからして、この辺りからがそれぞれの精霊を解説したページだろうか。
式は詠唱可能になっていて、単に発音するだけで呪文を使うことができる。……そういえば、発音以外の方法で使う呪文式はどうやって記述するんだろう。紙に描いても発動するような……。いや、まあそのことはいいや。
《黎明の語り部はかく語りき、不滅の城を滅ぼすコケニアの病》
俺の持つ《呪文の王》の権能を使えば、読むことは容易い。そして、理解することも。この呪文の意味は……。
……『不滅の城』と『コケニアの病』がヒットしないな。何かの固有名詞だろうか。黎明の語り部は物語の精霊らしい。過去の伝承や伝説の力を物語足らしめているとか。良く意味が分からんけども。
続けてページを捲っていく。
心臓の原理、双子の糸、大地の使い、孤独な司書、交差の巫女、迷い子……。
知らない精霊について、沢山書かれている。とてもじゃないが、一度には覚えきれない。もともと暗記は苦手だしな。
俺は本を閉じて女性に声をかける。
「あの、図書館の本を借りることってできますか?」
「馬鹿じゃないの? そんな制度があったら、この蔵書を守れないでしょうが」
ですよねえ。
女性は訝しげに俺を見る。そんなに変なことを言っただろうか。いや、変か。ファンタジー世界の基本に漏れず、本は希少なんだろう。特に、この場所にある本は。
「それに、あなたその本の内容を理解できたの? 使えない呪文ばっかり載ってるのに」
「精霊の真名が正しく呪文言語で書かれている。それだけで俺にとっては価値があります」
「変なことを言うわね。呪文言語を読めるなんて、精霊と呪文について専門的に研究している人間くらいよ。呪文のことをきちんと知っている人でも、音と意味がいくつか一致するくらいじゃない」
そういうもんなのか……? でも、意味を理解してないと呪文は使えないんじゃないのか。書いた通り、言った通りに動くのが呪文だ。魔法的な要素を除けば、情報の授業でやったプログラムみたいなもので、それはつまりどうすればどうなるかを理解していないといけない、ってことでもある。
「そもそも呪文言語は表意文字じゃないものだけど……。ま、いいわ。それより、その本が読みたいなら、この塔の一階に閲覧用の机があるから、そこで読んでちょうだい。そんなマイナーな本でも、希少なものだから」
「あー、わかりました。じゃあ、ここにくれば読めるってことですかね」
「出入りする時には、私の付き添いが必要だけどね。今からそれ読むなら、しばらくしてからまた来るけど?」
「それでお願いします」
頭を下げておく。顔を上げると、女性は心無しか満足そうだった。あまり人に頭を下げられたことが無いらしい。人望がないのだろうか。
本を持って階段を降りる。どうやら一階まで付き添ってくれるらしい。手すりから下を見下ろすと、大きな四角い石が敷き詰められていて、薄暗い中に斜め上を向いた机が並んでいるのが分かった。
「そういえば、お姉さんの名前、聞いてなかったですよね」
「ああ、言ってないわね。コッペパンよ。あなたの名前は?」
「コースケです。……コッペパン? えっと、あー、うん? じゃあ、フィーナ・ルルイエっていうのはなんですか?」
「そっちが本名で、コッペパンは嘘」
……なんなんだこの人。
女性は前を向いたままだ。振り返りさえせずに何でも無く嘘つきやがった。そんなに俺に名前を知られるのが嫌だったのか。
「それにしても、扉の前で言ったこと、良く覚えてたわね」
「面白い呪文の発動の仕方だったので、印象に残ったんですよ」
「ふうん……。さっきから呪文のことばっかりだけど、あなたって呪文の研究家? とてもそういったインテリな空気は感じないけど。もっと野蛮そう」
「それはどうもすみませんでしたね」
マジでなんなんだこの女。腹立つわ。
「ちょっと事情があって調べてるだけです」
つっけんどんに返す。
事情といっても、新しい呪文のとっかかりがほしいだけだ。
「事情ねえ。まあ、なんでもいいんだけど」
俺と女性は一階にたどり着く。外周にある本棚は上の階と変わりないが、床が先ほど見た通りの石畳のようになっていて、固かった。三階くらいから間違って落ちたら、多分死ぬだろうなっていう感じ。
閲覧用の机からは植物みたいな黒いものが生えていて、それは実のようなものをつけていた。触ってみると、冷たい。黒い触手か蔓みたいなものは金属製で、実の部分はガラス製みたいだった。
「《灯れ》」
女性が唱えると、ガラス製の実のような部分に青白い明かりが灯る。よく見るとそれは魔煌灯らしかった。光の周囲に針金みたいに細い金属がうめこまれている。リングのある惑星にも見える。
この変なデザインの魔煌灯は、要するに閲覧机用のランプってことだろう。いくつか並んでいる机には、ひとつひとつ設置されていた。
「明かりの呪文は塔に設置されてるから、キーワードだけでこのランプはつけたり消したりできるわ。《灯れ》」
女性はそう言って、もう一つ隣の机のランプを灯す。
「消す時は《瞑れ》」
「なるほど……。わかりました。ありがとうございます」
あとで短い単語で起動する仕組みも調べてみよう。塔の出入り口も気になるな。
まあ、一週間はこの街に滞在するっていう話だったし、調べる時間はいくらでもある。
「それじゃあ、私は戻るわね。そうね、この砂時計が落ちる頃には戻ってくるわ」
そう言って女性は上着のポケットから小さな砂時計を取り出す。受け取って観察してみるが、砂が落ちるのが異様に遅い。金属製のフレームに、黒っぽい砂が入っている。
「それじゃあ、頑張ってね。貧相な研究家さん」
「……ええ、まあ。頑張ります。また後で」
女性は曖昧に笑って、二階に上がっていった。研究家じゃない、っていうのはもう言わなかった。めんどくさいし。
「それじゃあ、気合い入れて調べてみますか」
俺は砂時計を閲覧机の斜めの天板にバランスを取って置き、本を広げて読み始めた。




