003
夜泣きするシアラを抱いて眠る。
「コリト、さん……お父さん……うぅ……」
ひきつけをおこしたみたいに喉を鳴らしながら、俺にしがみついて泣くシアラ。無骨な爪と甲殻の腕を背中に回して、ぎちぎちと締め上げるように俺の体を締め付ける。痛い。痛いが、だからって何もできやしない。
「お、おかぁ……さん……」
シアラの頭を撫でてやる。背中をさすってやる。
いくら気丈に、何でもないように振る舞っていても、シアラはまだ幼い。俺より少し年下だろうから、前の世界でいう中学生くらいじゃないだろうか。
押し付けるように顔を埋めて、嗚咽を漏らすシアラ。
「うぁ……ぅうぅぅぅ……」
俺より小さくて華奢な体だ。
本当の意味では、俺はシアラの気持ちを理解することはできない。
俺は誰も失ったことがないから。たとえ世界を越えて会うことが叶わないとしても、前の世界で俺の大切な人たちも、そうでない人たちも、生きている。その事実は、俺にとって慰めとでも言うべきことだろう。
会えなくても、生きていてくれる。
でもシアラは違う。シアラはもう二度と、大切な人に会うことができない。つい数日前に砂漠に消えた人たちも、ずっと前に失った彼女の両親も。
だから俺にできるのは、こうしてシアラを抱きしめることだけだ。
シアラの青い髪を撫でてやる。背中に手を回して抱きしめてやる。
「うぅ……ひっ、く。……おに、ぉ兄ちゃん……?」
「どうした、シアラ」
完全に目を覚ましたシアラが、泣きはらした目で俺を見た。ほとんど暗闇の中で、微かに目を開いていることが分かる。
シアラが背中に回した腕に力を入れて、俺の首に鼻をすり寄せてきた。においを嗅ぐように深呼吸する。それを何度か繰り返していると、落ち着いたのか、再び寝息を立て始めた。
思わず深いため息をついて、俺も目をつむる。
コリトさんを初めとしたオアシスの人々は、本当に全員が死んだんだろうか。少しくらい生き残りがいそうなものだと思う。その中にコリトさんが含まれているかどうかは、わからないけれど。
死は確認できていない。
でも、そんなこときっと、この世界ではありふれていることだろう。
俺だって、ドロシーに拾われずに野垂れ死んでいたら、身元不明の死体が残るだけだ。それは行方不明になった死者と何が違うだろう。ただのありふれた死として、簡単に終わっていただろう。
そう思えば本当にドロシーには感謝するしかない。
……よくよく考えれば、ドロシーって本当に迂闊だよな。俺が悪人とか詐欺師だったらどうするんだろう。
仮に俺がそういう怪しいやつだとしても、ドロシーの敵じゃなかったろうけど。あまり比較対象がないからわからないけど、ドロシーは結構強いらしいし。
うーん。
どうなんだろうなぁ。今度二人の時に、ドロシーに聞いてみるか。
◇ ◆ ◇
翌日。一人で冒険者ギルドに出向いて仕事を探してくるというドロシーを見送って、俺とシアラは近くの商館を尋ねていた。
「ようこそおいで下さいました、本日はどのようなご用件でしょうか?」
商館に入ると、一人の男性に声をかけられた。青く染められた上着を着ていて、胡散臭い顔をしている。良い意味で言えば、つかみ所のない顔。表情はニコニコと笑っているが、目は人を品定めするような印象だ。男は俺とシアラを見比べて、シアラの方に体を向けた。
ふむ。人を見る目はあるのか。
単にシアラの方が前を歩いていたから、そうしたのかもしれないけれど。
「見習いのシアラです。取引許可をいただきにきました」
「ああ、そうでしたか。シアラさんですね。失礼ですが、西風の薔薇売りのタブレットはお持ちですか?」
男がそう尋ねると、シアラは腰のポシェットのような小物入れの中から、小さな板を取り出す。この街に入る時に身分証として見せていた板だ。細い鎖で腰のベルトに取り付けられており、表面には文字が彫り込まれているが、俺には何が書いてあるかさっぱりだ。
「はい、ありがとうございます。それではこちらにどうぞ」
商館の中は扉のない出入り口が一つと、扉が二つ、俺たちが入ってきた扉とは別にあった。扉のない出入り口は広めで、人の出入りが多い。今いる場所はとても広く、床は丁寧に磨かれたフローリングになっている。丸いテーブルは割と広く間隔をあけて置いてあり、椅子は少なくとも三つは置いてある所ばかりだった。多い所では五人で座っていたけど、大抵は二人だ。
どうやらここは受付・取引のための場所で、商品の受け渡しはやってないらしい。
こういった施設はファンタジーならでは、っていう感じがするな。
そう思いながら、シアラの後をついていく。男が一つのテーブルの椅子を引いて、シアラを俺を座らせた。
「手続きの担当者を連れて参りますので、少々お待ちください」
それだけを言って、男は離れていった。
「ふう。なんか緊張するな。シアラ、大丈夫か?」
「……さすがに、私も緊張します。隣に座ってるのが世間知らずの兄さんだと思うと、もっと緊張します」
何気に辛辣なコメントだ。
まあしかし、この世界の常識というカテゴリにおいて、俺ほど役に立たない人物も珍しいだろう。ぱっと見でそれが分からないってのも質が悪い。普通に馬鹿だと思われて舐められるだけだしな。
「それなら俺は出て行こうか? 別に、いなくても大丈夫なんだし」
「いえ、いてください。泣いてしまいます」
「お、おう」
即答でこちらを睨みつけるシアラ。ちょっと涙目になっている。何なんだこの子。かわいい。
まあ俺としても、良く分からない場所に一人にするのは嫌だしな。かわいい妹に変な男が言い寄ってこないとも限らない。エロい鎖骨は今日も露出してるし。舐めたいなぁ。妹の鎖骨。鎖骨くらいなら兄妹でもセーフじゃねえ?
妹の鎖骨をガン見しつつピンク色の妄想にふけっていると、一人の男が現れた。
今度は暗いグレーのジャケットと、しっかりしたボトムスを揃えた人物だ。見た目だけで偉そうなのが分かる。三十代くらいだろうか。ただ、さっきの男のような胡散臭さはなく、にっこりと笑って口を開いた。
「はじめまして、シアラ・アクティスさん。私は西風の薔薇売りハインアーク支店の店長を務めております、グルードと申します。以後、お見知り置きを」
シアラが立ち上がって応じる。なので俺も慌てて立つ。とりあえず頭を下げる。
「はじめまして、グルードさん。アクティス家の娘、シアラです。父が生前お世話になっていました」
「ええ、もう二年前の話でしょうか。シアラさんに会うのは初めてですが、お父上からお話は聞いていましたよ。惜しい人を亡くしました。お悔やみ申し上げます」
「生前は良くしていただいたにも関わらず、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「気になさらないでください。若い身の上では何かと大変だったでしょう。どうぞ、まずはお座りください」
グルードさんに促されて、俺たちは椅子に座る。グルードさんが少し椅子を動かして、シアラの対面の、すこしだけ俺の方に体を向けるような位置に座った。
ふむ。
なんか俺、空気じゃなくなった感がある。シアラとグルードさんが対面で座ってたら、傍観者でいられたのに。そんな感じの立ち位置だった。多分、気を使われたんだろうけど。
「それで、こちらの方はどなたでしょう?」
「彼は私の兄です。戸籍上のつながりはありませんが、少し説明しにくい事情がありまして」
「ほう。お兄さんでしたか。てっきり恋人を見つけられたのかと思いましたよ」
そう言って朗らかに笑うグルードさん。シアラも曖昧に笑っている。さりげなくセクハラな気もするけど、うーん、でもまあ、うーん。そんなもんか。
「それで、今回は西風の薔薇売りの商人として、ということでしたね。シアラさんもご両親の跡を継いで商売を始める、ということですかな?」
シアラが小さく頷く。肩に力が入ったのを俺は見逃さなかった。俺でも気づいたってことは、多分グルードさんも気づいただろう。商人だしな。
ここ西風の薔薇売りは、シアラの両親が所属していた商人ギルドだ。ドロシーの旅についてくる条件として行商でお金を稼ぐことを提案したシアラは、そのための足がかりとして、この商館でまず基本的な情報を手に入れようと考えた、というわけだ。
商売のことは俺にはよくわからないけれど、まあ、物価なり時勢の情報なりが必要なことは分かる。そして、砂漠に引きこもっていたシアラがそういった情報に疎いということも。
いくら両親の技術を見て育っているとはいえ、いきなり行商なんてやっても大丈夫なものかと思うけれど。その辺りはどうなんだろうなぁ。
割と不安だ。




