015
既にかなり寒くなっていた。なんとか甲殻竜を見つけて、岩場の影まで連れて行った俺たちは、そこでたき火を起こして、眠った。
甲殻竜で一時間くらいの道のり。慣れない砂の上を歩き、体感時間で言えば四十分くらいだったと思う。足はしびれるし、息切れで肺が痛むし、今にも倒れてしまいそうなコンディションだった。
砂の上を歩くと恐ろしく体力を使う。
途中で目を覚ましたシアラは自分で歩いてくれたので、それからは比較的楽だったけれど。
幸いな事に、病目の大蛇は追って来れないみたいだった。あのオアシスに居着くことになるだろう。ドロシーが破壊した部分が自然回復すれば出て行くかもしれないが、なんとなくそれは無いんじゃないかと思っている。欠損部位の自然回復は、さすがに難しいんじゃないだろうか。
その夜はシアラと一緒に眠った。
精神も肉体も、衰弱していた。たったの数分とはいえ、病目の大蛇に立ち向かったからだ。死と隣り合わせの戦闘の中で体を動かせば、必要以上に疲労する。それに加えて、彼女はオアシスまで走ったんだし。結局、何も間に合わなかったけれど。
病目の大蛇に家族を殺されたトラウマを思い出して、その精神的なショックも、シアラの衰弱に拍車をかけているんだろう。
俺に抱きついてそのまま死んだように眠ってしまった。
シアラが息苦しくないように、毛布を掛けて、岩にもたれかかる。自分の分を背に敷いてみたけど、それでもすこし痛い。朝起きたら変に痛みそうだ。
「……なんかその構図、見ててムカつく」
不機嫌そうな顔のドロシーがそう言った。
たき火を挟んで反対側で、パンと赤い果実の缶詰を食べながらこちらを見ている。
「ていうかさ、私が戻ってくるとなんかすごいいい雰囲気だったじゃない? 二人して息切らして倒れてるし。何があったの?」
「あー、んー、説明するのがちょっと大変なんだけどな。血の精霊って、聞いた事ある?」
血の精霊。血のつながりにまつわる精霊だ。
前の世界でも都市伝説というか、オカルト話として有名なやつがたとえ話として分かりやすいかもしれない。双子のテレパシーってやつだ。
あるいは、兄弟にだけ存在する独特の空気とか、同じ血筋故の争いとか。血の繋がりってのは、いろいろな意味を持つ。
この世界ではそれがより分かりやすい現象として起こる。
例えば兄弟同士でお互いになんとなく居場所が分かったり、考えている事が分かったりする。他にも、兄弟でしか使えない呪文や魔法が存在するらしい。
そういった血のつながりにまつわる現象は、すべて血の精霊によるものだ。
「で、俺が使ったのは、血のつながりを作る呪文」
「……馬鹿みたいに希少な呪文ね。コースケ以外誰も知らないんじゃないの、それ」
「あー、その可能性もあるな」
俺がそう言うと、ドロシーは少しためらうようにして、目線を逸らした。
「初めてあった日もそうだけど、なんでそんなに呪文に詳しいのよ? コースケって、呪文も使ったことが無いって言ってなかったっけ?」
「その辺も説明すると長いというか、どう説明していいか分かんないんだよなぁ……」
「ふーん。まあ、それならまたいつか聞き出すわ。で、その血のつながりを作る呪文って、なによ」
血のつながりを作る呪文。
強制的に血管を接続して、血を溶かし合う呪文。そしてその上で、血のつながりを下敷きにした永続的な呪いをかける呪文。
「ふうん……。まあやったことは分かったけど。なんでそんなことしたの? ……その、言いたくないなら、いいけど」
「理由はいろいろあるよ。でも、本当にどうしようもなくなった時に、頼っても良いって確信できる相手って、一人くらい必要だろ。誰にでも」
俺にとっての姉さんが。
「……そう、ね。それは、そうかも」
ドロシーが頷く。誰のことを思い出しているのかは分からないけれど。それでも、ここに居ない誰かを思い出すように、ぼんやりとたき火を見つめている。
「だから、そう思えるようにしたんだよ。命を共有して、だから、死ぬ時まで一緒だって、そういう風に魂を縛り付ける呪いの呪文なんだ」
「馬鹿みたい。出会って二日かそこらの女の子にそこまでするなんて、惚れっぽい男ね」
「妹に惚れない兄貴がいるのかよ」
妹いたことないけど。
それでもそうやって戯けて見せると、ドロシーはおかしそうに笑った。
◇ ◆ ◇
それから、三日後。
足りなくなった食料を途中で出会った行商人の一行から購入して、オアシスのことを伝えた。どうやら行商人たちがひとまずオアシスに行ってみて、蛇の様子を見てくるらしい。遠くから観察するための道具もあるらしいので、それはそのままお任せして、俺たちは本来のルートを歩き続けていた。
そしてたどり着いたのが、砂漠と草原の境目だった。
砂色と緑色の境目が、ゆらゆらと揺らめきながら地平線の果てまで続いている。
もうすこし、徐々に灰色とか茶色の乾燥した草が生えてきて、少しずつ草原になるのかと思ってたけど。こんなにも鮮やかに境目がわかるものだとは思わなかった。
「やっぱりここは綺麗ですね、久しぶりに見ることができました」
「私も、もう四年ぶりかな」
シアラとドロシーが感想を漏らす。ちなみに、俺はこの光景、もちろん初めて見る。砂漠も初めてだったけど。現代日本人舐めんなよ。
草原のむこうには木々が密集した小さな林がところどころにあり、いくつかの川と、恐らく人が通っているであろう道らしき白い筋がある。それは少しだけ蛇行しながら、すこし遠くにある街のような影まで続いていた。
今俺たちが砂漠の高い砂丘の上に居るから見える光景だろう。下まで降りるともう分からなくなるはずだ。とはいえ、ドロシーが道を把握しているだろうし、問題ないとは思うけど。
その光景をしばらく眺めてから、俺たちは砂丘を降りて草原に入る。心無しか空気が湿っている気がするし、すこし気温もましになった感じだ。まだ砂漠の砂埃がまっているので、ドロシーもシアラも口元の布はそのままだけれど。
「そういえばさ、遠くに見えてた街って、今日中にたどり着けるの?」
「この辺りまでくれば、もう昼間でも大丈夫ですからね。街にたどり着ければゆっくり休めますから、多少無理して今日中に街に入っても、問題ないと思いますよ」
「そうね。正直、さっさとベッドで休みたいのよね。あの街にはシャワーもあるし」
ほう。それはぜひとも今日中に到着したいな。
歩きながら、シアラを見る。悠々と歩いている姿は様になっていて、あの夜の弱々しい面影は無い。それが無理して強がっているのか、心をあまり表情に出さない彼女の性質によるものなのか、もうある程度立ち直ったからなのか、それは俺にはまだ分からない。
「どうしたんですか、お兄ちゃん」
「……そのお兄ちゃんって呼び方、何とかならない? 慣れてないからさ、なんかこう、恥ずかしいっていうか」
クール風の顔立ちで気の強そうな目つきのシアラに『お兄ちゃん』って呼ばれると、なにかのプレイっぽくて落ち着かない。
「あれ? そうですか。じゃあ、何が良いですか? お兄様とか?」
「それはもっと嫌だ!」
「じゃあクソ兄貴と、豚野郎と、甲斐性なしと、どれがいいですか?」
「待った。最後のはリアルに傷つくからやめよう? な?」
「事実なんだから、それで良いんじゃない?」
「待って! ドロシーも乗っからないで!」
味方は居なかった。
「そうですね、じゃあ兄さんって呼んであげましょう。嬉しいですか、兄さん?」
「それもそれで恥ずかしい気もするけど、お兄ちゃんよりはマシかな……」
楽しそうに笑うシアラを見て、良かったと心から思う。病目の大蛇から助けられて、ってことじゃなく。
甲殻竜に乗って、隣を歩くシアラと、背中に座るドロシーと、あれこれと話しながら、俺の旅はまだ続く。
2章完結です。シアラさんのお話でした。




