014
「ちょ、ちょっと! 二人ともなんで倒れてるのよ!」
ぼんやりとした頭にドロシーの声が聞こえた。
「え、あ。ドロシーか。ごめん、ちょっといろいろあって」
駆け寄ったドロシーに、助け起こされる。されるがままに体を起こすと、ドロシーが悲鳴を上げた。
「なんで血がでてるのよ! なにか居たの?」
「いや、大丈夫。もう傷も塞がってるはずだから、気にしないで……。それより、蛇は?」
そう言いつつ、背後を振り返る。蛇は腹部の模様をぐにゃぐにゃと動かしながら、のっそりとこっちに近づいてきていた。どうやら俺たちを獲物と見定めたらしい。
ドロシーがシアラを助け起こすのを尻目に、俺は立ち上がる。
そして、第二の視力を開いて、病目の大蛇を見る。
「やっぱり、思った通りか」
あの模様を間近で見た時から、仮説として頭の中にあったことが正しかった。
いつか戦ったワイバーン。あの翼と同じ原理だ。この大蛇は、呪文で空を浮いている。あの模様は地面との間に反発する力を生み出すためのモノなんだ。
ワイバーンが翼を傾けて空に浮かぶように、あの大蛇は模様を動かして空に浮かぶ。
「ドロシー、確認だけどさ。今から《転移呪文》の呪文式を用意すれば、俺たちが元居た場所に戻れると思う?」
そう尋ねると、ドロシーは首を横に振る。
「無理じゃないかしら。さっきは勢い任せでここまできたけど、私、あんな何もない場所がどこなのか、正確には分からないもの。同じ道のりを歩けば甲殻竜は見つけられると思うけど、《転移呪文》じゃ難しいわね」
そうだよな。やっぱ、そうなっちゃうよな。
俺たちが転移した場所は、酒場の跡地になってしまった場所だった。あの区域はまだかろうじて壁が残っていたから、『酒場』として区切られていて、だからあの場所に転移できたんだろう。そういった『ある空間』に転移するのは比較的簡単だけれど、『何もないある地点』に転移するのは難しい。単純にイメージしにくいって問題があるからだ。
転移してくる前に気づくべきだった。
そして、せめて病目の大蛇に見つかる前に逃げ出しておくべきだった。
「はあ、無理ゲーだろ」
ため息をつく。
病目の大蛇はずるずると巨体を引きずって僕たちに近づいてくる。めぼしい餌がなくなったんだろう。蛇の消化って遅いんだっけ? じゃあ、今こいつを殺せば、中の人はまだ未消化ってことになるのか。……生きてるかなぁ。
俺はもう一本のナイフを取り出して、地面に転がった儀式に使ったナイフも拾い上げる。
「あーあ、本当に嫌になるわね……。二人とも、私が魔法を打ち込んだら、走りなさい。シアラはコースケを抱きかかえてでも走れるでしょ?」
億劫そうに、……いや、そう見えるように装って、ドロシーがナイフを取り出す。
震えてなんていない。まっすぐに蛇を見て、呼吸を整えている。けど、どうするって言うんだ。ただでさえ小柄なドロシーが、あんな馬鹿みたいに巨大な蛇に、何ができる?
何もできない。
打つべき手はそれじゃない。
「お兄ちゃん……」
シアラが不安そうに俺を見る。
立ち上がって、深呼吸して、目を開く。病目の大蛇を見る。
燃える街に照らされた蛇が、腹部の模様をぐにゃぐにゃと動かしながら、こちらに近づいてくる。その動作は早いとも、遅いとも思える。大き過ぎて、距離感がうまく掴めない。
「ドロシー、君はここに居ていい。シアラ、あの大蛇を適当に挑発して、引きつけておけるか? 観察する時間を稼いでくれ」
「ん、分かった」
口元を結び、掌を握ったり開いたりして、なんか調子いい感じのシアラ。さっきまで泣きじゃくってたのが嘘みたいだ。
「え、ちょっと! シアラが一人で相手するの? そんなことしないで逃げなさいよ!」
「逃げても追いつかれるって」
「追いかけてこないかもしれないでしょう?」
「だとしてもドロシーは置いていけない。それに、無策じゃないんだ。信じてくれ」
ドロシーが俺を睨みつける。俺も負けじと睨み返す。一秒にも満たない一瞬の睨み合いで、折れたのはドロシーだった。
「……分かった。じゃあ、コースケに合わせてあげる。どうするのよ」
「シアラが時間を稼いで、ドロシーがあいつを沈める。その後で逃げる」
「あの馬鹿でかい蛇を戦闘不能に陥れるってこと? 無理でしょ。頭のネジ飛んでんじゃない?」
「できる。俺を信じろ」
この世で最も胡散臭い言葉だ。
「じゃあ、お兄ちゃん、行ってくる。大丈夫になったら、合図して」
シアラが砂を巻き上げて地面を蹴飛ばし、大蛇に向かっていく。
大蛇が模様を動かす。目玉のような模様の中心にある幾重にも重なった円が、広がり、外側の円が上に、内側の円が下に動く。そうすると、蛇は急に加速して、その血まみれの口をぱっくりと開いた。中は俺の想像と違って、無数の牙が三重に並んでいて、丸のみなんて嘘だったと悟った。あんなのに食われたら死ぬ。鋼鉄の処女かよ。
シアラは接近した蛇の口を、それがシアラに向かって迫る瞬間にかわした。間一髪にしか見えない。ギリギリの所まで引きつけて、蛇が口を閉じる直前に横に飛ぶ。テンプレというかなんというか、この蛇、やっぱ多少動きが遅いらしい。それでも俺にかわせるとは思わないが。
蛇の腹部を第二の視力でーー《呪文の王》の権能で観察し、解析する。
浮かぶだけでなく、進行方向と、その反発する力の強さを調整するメカニズム。呪文式とそれらをうまく組み合わせて稼働させるための生体組織の造りは、純粋な俺の観察力にかかっている。大雑把な仕組みは見てるし、なによりこれまでいろいろなものを解析してきた、そこで蓄えた知識がある。
だから、こいつの弱点も分かる。
トカゲ男の剣に刻まれた呪文式。あの弱点が分かったように。
呪文式に希に存在する、致命的な一点。そこが欠損するだけで、全体の昨日が損なわれる場所。生物にとっての心臓、物語にとっての主人公、建築における大黒柱、数学における定義。そういう点が、呪文式にも、それを取り込んだ生物にも存在する。
シアラが二度目の牙をかわす。けれど、目に見えて動きが悪くなっている。さっきの儀式の疲労もあるのだろうか。俺の頭も本調子じゃない。だんだん意識がぼんやりとしてくる。
「コースケ、まだなの! このままじゃシアラ、食べられるわよ!?」
「ーー見つけた、あそこだ」
蠢く模様の中心ーーよりも、少し下方。より胴に近い部分。そこに楕円形の、動かない地点がある。それが、反発する力を発生させている部分の、中心になっている。
反発する力を発生させる機能と、それらの向きと強さを調整する機能。その二つが合わさったのがあの模様だ。
デカい目玉にみえる模様はそのほとんどが向きと強さの調整用。体内に埋め込まれているだろおう力を発生させる構造の、その唯一の露出部分にして、全体の支柱になる一点。
「ドロシー、あいつのお腹の中心より少し下に、動かない楕円形の小さな模様がある。良く見てれば分かるはずだ。そこ目がけて、《千の火剣》を、集中させて打ち込んで、焼き飛ばすんだ」
ドロシーは、大きいガラスの塊があれば、あの大蛇の胴を輪切りにできると言った。あるいは、首を落とせると。それは言い換えれば、ドロシーにとって《千の火剣》の本質は、あの手数にあるのでも、ガラス片にあるのでもない。ガラスという材料そのものにあるのだ。だからつまり、《千の火剣》の手数を変えてもーー要するに一点集中して打ち出しても、それはドロシーにとって変わらず《千の火剣》であるということ。
本人にとって、イメージの本質が変わらないならば、それは同じ魔法だと言えるはずだ。
果たして予想通り、ドロシーは何も疑問に思う事なく、頷いてくれる。
「……見えた。分かったわ」
いつぞやのものとはちょっと違う材質の袋を短剣で切り裂いて、空中にガラスの粉末がバラまかれる。そしれそれらからまるで炎が生えるようにして、無数の炎の剣が生み出された。
そして、炎の剣たちが、ぐるぐると折り重なってドロシーの右腕に集まっていく。
「シアラ! 戻ってこい!」
俺はシアラに叫ぶ。ちょうど大蛇の牙から逃れたシアラが、大蛇にまっすぐ背を向けてこちらに走ってくる。歯を食いしばって、せっかくの美人顔が台無しだった。でも良い。生きるってことは、汚い事だからだ。
「落ちなさい、蛇神!」
ドロシーの腕が振るわれると同時に、俺は倒れ込むように走ってきたシアラを抱きかかえる。
赤熱した、さながらレーザーのような閃光が、病目の大蛇の、その浮遊能力の中心を穿つ。ぐわりと炎の推進力に持ち上げられた蛇は、そしてそのまま、バランスを崩して地面に倒れた。
「や、やった!」
ドロシーが安堵の息をつく。
その瞬間、蛇がのたうち回る。
体をぐねぐねとうごかして、けれど、その身が持ち上がる事はない。思った通りだ。
巨大な体を持つ生物の弱点は、重力だ。
砂を巻き上げて、岩をはじいて、巨大な蛇がのたうち回る。が、それまでだ。
巨大な体を支え、そして推進力でもあった呪文。それが使えない今、この蛇は身動きが取れない。
「二人とも、逃げるぞ!」
そう言って駆け出す。街を後にして。
蛇から逃げるために、砂漠を走る。
もうこれ以上はダメだ。大蛇の足止めで精一杯。もしこれでも追いかけてくるようなら、死ぬしかない。
そんな恐怖を背後に感じながら、疲れきった体を無理矢理に動かし続けた。
シアラを抱きかかえて、ドロシーと並んで走る、冷たくなった夜の砂漠。
勝ったのか負けたのか判断のつかない病目の大蛇との戦いは、こうやって終わった。




