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家出したら異世界だった  作者: shino
砂漠を泳ぐ蛇
21/78

013

 ドロシーが俺の描いた呪文式の前に跪いて、目をつむる。荷物は全部俺が持っていて、その俺はドロシーの肩に手を置いていた。なるべくドロシーに近づいて、俺も砂の上に膝をつく。


「とにかくあの酒場の、あの部屋でいい。あそこに俺たちが立ってる(・・・・)ことにして(・・・・・・)くれ」


「わかったわ」


「よし、じゃあ行くぞ。《天上の者の瞬き(コレピューティス)》」


 キーワードを口にする。適当に設定したキーワードだが、この音を引き金にして、この呪文式に魔力が流れ始める。そして、式のそば、砂上に描いた円形の模様が、ドロシーを取り囲んでいて、彼女の魔力を下敷きに呪文が発動するようにしてある。


 だから、ドロシーの意思に則って、《転移呪文》は発動する。


 視界が、ブレ(・・)る。


 二重になる。甲殻竜が驚いたのか嘶くが、その音もはっきりとは聞こえない。


 炎が見えた。


 そして、ぼろぼろになった建物が。砂と泥を加工して作った壁が崩れ落ちて、停めてあった竜車も引き倒されている。


 視界が定まったとき、そこは地獄だった。


 人の気配はない。死の匂いだけがある。そして、大蛇がまだ(・・)ここに居た(・・・・・)


 空を覆う病目の大蛇(アゴラディレス)。見上げて、炎に微かに照らされたその腹部を見て、俺は理解する。


 病目。


 まるで、眼球のような不気味でリアルな模様が、その腹部には施されていた。そしてそれは、グロテスクに動いている。ガクガク、ガクガクと。模様だけが動いていて、気色悪い。


 腹部の模様が広がって、蛇がその鎌首を下げ、壊れた建物の中に頭を突っ込んで、何かを持ち上げた。蛇の巨体に比べて、あまりに小さなそれは、人だった。


 舌がぬるりと、その人を飲み込んだ。


「……まじかよ、ディナー中とか、笑えねえ」


「コースケ、そんなことよりシアラを探すんでしょ! 私、市場の方見てくるから。危なかったら戦わないで戻ってくるからね!」


「あ、おお!」


 ドロシーに言われて、蛇を警戒しながら周囲に目を配る。ここはどうやらあの酒場があった(・・・)場所らしい。最も、それらしい壁が立っているだけで、もう人は誰もいない。


 周囲は蛇に荒らされたのか、ぐちゃぐちゃだった。もう街の面影なんてない。ここが旅の中継地点になることは、もう当分ないだろう。


 血が飛び散り、けれど甲殻竜も、人も、もうほぼここには居なかった。


 ドロシーが向かった先とは反対側。つい数時間前に旅立った街の入り口。そちら側に向かう。そして、俺はそこでシアラを見つけた。


 膝をついて、呆然としている。


 かつての街を、ぼうっと眺めている。


 何を考えているのか、何を感じているのか、わからない表情で。


「おい、シアラ! 大丈夫か、しっかりしろ!」


 肩をつかんで無理矢理揺さぶる。目線を合わせて顔を覗き込むが、その目は奇妙に焦点がずれていて、俺を認識していなかった。


 ぼうっとした金色の瞳が、炎と闇を反射して彩られる。そこに、シアラ自身の感情の揺れは見えない。


「シアラ! ぼーっとしてんじゃねえ、逃げるぞ!」


 ひと際大きな声で叫ぶと、シアラは目を見開いた。瞳に意識が戻る。


「あ、コースケさん?」


 俺を呼んだ瞬間、くしゃりと表情が歪んで、まるでそれを隠すようにして、額を胸元に押し付けられた。


 肩が震えている。嗚咽が聞こえる。


「……わたっ、私の……おとうさんと……おかあ、さんも……」


 過呼吸になりながら、必死に話すシアラ。


 震えながら、痛いくらいに俺の腕を掴んで、ぐりぐりと額を押し付ける。腕に爪が食い込んで、痛みが走る。アテアグニ族の力で握られた腕は、みしみしと骨がきしむ。


 それでも俺は、されるがままになった。


「あの蛇に、こ、殺された……なんで、いつも……、みんな、消えるの……」


 何も言えなかった。


 あの蛇を殺したって、ダメなんだ。もう。シアラの過去は、そんな事をしても変えられない。


 でもあの蛇に執着するしかなかったんだ。あの蛇を理由にしなければこの街を離れられないほど、この砂漠を離れられないほど、死んでいった両親に、シアラは縛り付けられている。


みんな(・・・)いなくなる(・・・・・)! 私より(・・・)先に死ぬ(・・・・)!」


「俺はーー」


 ああ、ダメだ。


 無責任な事を口にしようとしている。それはダメだ。でも、もう、これしか言葉がない。


「俺は、シアラの前から消えない。俺が一緒に死んでやるし、俺が死ぬ時は殺してやる。だから、もう大丈夫だ」


 友達も血のつながった姉も、前の世界に置き去りにしてここに立っている俺が、一体何を言ってるんだろう?


「う、うそ、です。信じられません」


 そうだよな。


 信じられないよな。


 俺だって信じられない。


 だから、ーーおれは、深呼吸をして、心を決める。


 こちらの世界に来てから、何となく姉の事を思い出した。その後で、この世界に置ける血のつながりについて《呪文の王》で調べていて、見つけた呪文がある。


 弱々しくなったシアラの爪を解いて、抱きしめる。小さな体だ。俺よりどれくらい年下なんだろう。いや、年上っていう可能性もあるのか。竜人だし、歳の取り方が遅いのかもしれない。


 できれば妹が欲しいんだけどな。


 腰からナイフを取り出す。ドロシーが買い与えてくれた、新しいやつだ。


 シアラから離れて、ナイフを構える。自分に(・・・)向けて(・・・)


 首の付け根、左側。そこを突き刺す。鋭い痛み。思わず怯むが、かまわずにナイフを埋め込んで、抜く。血がどくどくと流れ出るのが分かる。腕が震える。心臓がどくどくと早鐘を打つ。自分で自分を傷つけるという行為に、それも致命傷を負いかねない首を刺すという行為に、俺の精神が拒絶反応を起こす。


 荒い呼吸を整える事もせず、俺を見て驚いて、そして怯えているシアラの背中に、左手を回す。


「なあシアラ。嫌だったら言ってくれ」


「な、なにを、ですか?」


「俺と血の(・・)つながった(・・・・・)兄妹(・・)になろう」


「は……え……?」


(のろ)いだよ。俺が死ぬと君も死ぬ、君が死ぬと俺が死ぬ。この世で最も濃い血の契約だ」


「…………」


「俺には肉親がいないんだ。だから、シアラ。もし嫌じゃないなら、もし俺を君の死の道連れに選んでくれるなら、俺と兄妹になってくれないか」


 血のつながった兄妹。それは、遺伝子の繋がった兄妹という意味ではない。


 前の世界の兄妹と、全く異なる概念だ。


 血のつながりは呪文的に意味を持つ。そしてこれは、血を繋げるための呪文だ。


 不安そうにシアラの瞳が揺れる。


「わ、私を一人にしない、ですか?」


「しない。兄妹だからね」


「一人で死んだりしない?」


「死ぬ時は一緒だ。兄妹ってのはそういうもんだよ」


「困ったら助けてくれて、悪い事したら怒ってくれる?」


「もちろんだ。俺だって、昔居た姉さんには良く怒られたし、助けられたし、助けたし、怒ったもんなんだよ」


「おねえ、さん……もう、いない、の?」


「もう居ないよ。絶対にあえないんだ」


「……わたしも、一人」


 泣きそうな、けど必死に笑おうとして歪んだ顔で、シアラは言う。


「私を、妹にしてください、お兄ちゃん」


任せておけ(・・・・・)


 そう言って、ナイフをシアラの左側の首の付け根に突き刺す。俺と同じように血が流れ、シアラがびくりと震える。ナイフを引き抜いて、地面に放り出す。


 指で式を描く。簡単な式だ。でも、正確に書かなければならない。第二の視力を開いて、確認しながら描いていく。そして、手探りで自分の傷からも血液を引きずり出して、式を描く。


 そして、シアラを抱きしめる。強く。傷を押し付けて、キーワードを唱える。


「《命を同じくする(エアクロペア・)兄妹の誓い(ディスティア)》」


 傷が熱を持ったかのように疼く。血管の中を通って、血液がそこから流れ出る感触を感じる。そして同時に、流れ出た分と同じだけの血液が、入ってくる。熱い血だ。それが傷口から心臓に届き、這い回るように俺の全身を蹂躙してく。


 ひどい目眩と吐き気が襲う。倒れそうになるが、シアラにしがみついてなんとかバランスを取る。シアラの方も俺の背に腕を回して、がたがたと震えていた。呼吸が荒くなる。意識が朦朧とする。漠然とした、肉体的な不安に襲われる。


 思ったよりもきつい。


 血液が俺の体を一巡すると、再び入れ替わる。それを何度も繰り返す。傷口が大きな穴になって、シアラの傷口と繋がったんじゃないかと思うような錯覚に陥る。


 そうして血液が何度も循環し、やがて、それが停止する。


 ぐしゃりと、体力を使い果たして、地面に倒れる。シアラと一緒になって。息が荒い。ものすごく長い時間が経過したような気がするけど、実際にはどれくらいの時間だったんだろうか。


 息を整えて、ぼんやりとしているシアラに言う。


「これで、死ぬ時は一緒だ」


 その言葉に、シアラは嬉しそうに微笑んだ。

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