011
そんな感じで。
相変わらず成果の出ない魔法の訓練をして、その後で買い物に出かけて、小さなナイフを四つほど購入した。うち二つは持たされた。ドロシー曰く、
「酒場で商人の護衛に喧嘩を売る馬鹿を丸腰にしておくほど、私は能天気な性格じゃないのよ」
だそうだ。まるで俺が馬鹿みたいな言い方だ。失礼なやつだよ全く。
ナイフは小型のもので、武器として使いやすいように加工されているらしい。刃の形がどうこう言われたけど、いまいちピンと来なかった。まあ、そういうもんなんだろう、という感じだ。
ドロシーの訓練に付き合って体を動かして、ついでにシアラが普通に戦えることも分かったりして一通り汗をかいた後、体を拭いて昼間は眠った。ドロシーと俺は同じ部屋。シアラは三階に自室があるらしく、そこの片付けも含めてそちらで眠る。
夕方前に起きて、食事を済ませて、ようやくオアシスを出る。
「いってらっしゃい、シアラ。随分長くこの宿にいたあんたがいなくなるのは、なんか感慨深いね」
そういえばここの主たる事業は宿だった。酒場はサブだ。なんか酒場メインな気がしてしまった。
「コリトさん、今までお世話になりました」
「いいよいいよ。ここはアンタの第二の家だ。いつでも帰ってきな」
「……ありがとう、ございます」
そういう短いやり取りで、コリトさんは宿の中に戻っていった。その途中で、僕の方にちらりと目配せしてくる。なんだか意味深な視線だ。
シアラが改めて僕たちに近づいて、ぺこりと頭を下げた。
「よろしくお願いします、ドロシーさん、コースケさん」
民族衣装のような旅装束。相変わらず肩や鎖骨は露出していて非常にエロい。手足はそのままで、大きくて無骨なアテアグニ族の爪が覗いている。足にだけは簡易的なサポーターが付いている。歩き疲れないようにするためのものだろうか。
それから、胸元にはアジアンな感じのネックレスがあった。ヒモの編み方に特徴があるみたいで、ヒモと大きめの石だけで作られているものだけれど、作った人物の技術を感じさせるようなやつだ。もちろんこっちの世界に『アジア』なんて地域はないから、アジアンってのは俺の表現なんだけどさ。
「よろしく。じゃあ、行きましょうか。コースケ」
「あ、おお。了解」
ドロシーに促されて、甲殻竜の手綱を振るう。さすがにこれにはもう慣れた。甲殻竜は俺の指示を理解して、ゆっくりと歩を進める。
シアラはドロシーと同じような黒い布で口元を覆い、旅装束のフードを引っ張って被った。なんというかその格好は様になっていて、よくあるファンタジーゲームで登場する砂漠のシャーマンみたいだ。
シアラは足腰には自信があるらしく、特に砂の上を歩くのは慣れているとのことだったので、甲殻竜をもう一頭借りたりはせずに、そのまま歩いて横断することになった。
街を出て砂漠を進む。夕焼けの中を進んでいると、遠くに病目の大蛇が見えた。広がったお腹を空に浮かせて、砂埃を立てながらふらふらと移動しているように見える。
あの大蛇を倒すのか。いつのことになるかは分からないけれど。
そう思ってシアラの方を見ると、彼女は険しい表情で大蛇を睨みつけていた。どこかで見たことがある目だ。どこだったろう。きっと前の世界で見たんだろうけど、どこだったかは思い出せない。
思い出したくないのかもしれない。ここにいる俺と、あの世界のことは、もうだんだんと関係なくなってきている。綾乃や良太の顔ももう見れないし、唯一の家族だった姉さんもいない。両親がいないのは、まあ嬉しいことだけどさ。
コリトさんは言っていた。病目の大蛇にわざわざ挑む人間は、この砂漠には本来いないって。だったら、シアラがあの大蛇を殺してしまいたいと思っているのには、相応の理由があるはずだ。それは、シアラの見送りがコリトさんだけだったことと、関係あるんだろうか。
シアラの家族は、どうなってしまったんだろう。
ああ、家族と言えば、ドロシーの家族の話もあまり聞いたことがないな。今度聞いてみるか。
「……あの、今更思ったことがあるんです、私」
唐突にシアラが言った。なんとなく会話の無かった道のりで、これが初めての話題だった。
遠くに見える病目の大蛇は、どうやらこちらに近づいてきているように見える。このペースだと鉢合ったりはしないだろうが、少し警戒しておいても良いだろう。俺は左前の方に見える大蛇から目を離さないようにする。まだ薄ぼんやりと暗い影が伺えるくらいだ。
「すごく今更で聞きづらいことなんですけど、あの、答えてほしいのですが」
シアラの顔は大蛇を睨みつけていた時とは違っていて、どこか気恥ずかしそうだ。もう大蛇のことは気にしていないらしい。
「なんだよ、勿体ぶって。旅の仲間なんだし、必要以上に遠慮するのは良くないぜ。なあドロシー?」
「……まあ、そうね。私は未だにいろいろ納得いってないけど、険悪にしたいわけでもないし」
何が納得いってないんだ?
シアラが少しためらった後、口を開いた。
「結局の所、お二人は恋人同士なんですか?」
背後でドロシーがビクッってなった。
「な、なに言ってんのよシアラ! 私とコースケじゃ釣り合わ、アワないわよ! ち、ちがう、そんなんじゃないから! 全然大丈夫問題ないんですから!」
「なにテンパってんだよ……。まあ、ドロシーの言う通りだな。俺みたいな甲斐性なしを恋人に選ぶほど、ドロシーも男に困ってないって。だいたい、俺たちの旅ってまだ始まったばっかだし。出会って一週間くらいじゃねえ?」
「……ええ、そうね」
背後から寒気のする声が聞こえて、脇腹をつねられた。何故だ。痛い、いや痛い痛い! ちょ、待って! タンマ! 痛いってドロシーさんタップタップタップ!
俺たちの様子を不思議そうに見ていたシアラは、けれど納得したように頷いた。
「よかったです」
「え゛!? な、何が……? 何が良かったのかしら?」
「いえ、お二人が恋人同士なら、お邪魔だったかと思いまして。その、本当に今更の質問だったのですが」
「あ、ああ! そういう。なるほどね。いえ、気にしないで良いわよ。大丈夫だから。でもコースケは私が養ってるんだから、そこの所は間違えないでよね」
「……? ええ、そうですね。私はドロシーさんに雇われていて、コースケさんはドロシーさんに養われてるんですよね。理解しています」
「そうよ、分かってれば良いのよ。分かってれば」
ドロシーが背中に引っ付いてくる。いろいろ当たって煩悩がヤバい。ああ、ここが屋外で良かった。そして隣にシアラがいて良かった。いろいろ我慢できなくなる所だった。ドロシー、以外と胸あるよな。なんか足も当たってる気がするし。何なんだよ童貞いじめて楽しいのかよ。……無意識なんだろうけどさぁ。
「えっと、それじゃあお二人はどういう経緯で旅をされているのですか?」
「あー、そうね。えっとね、私が倒れてるこいつを拾ったのがきっかけだったんだけどーー」
それからはドロシーとシアラがずっと話しっぱなしで、俺は蚊帳の外だった。女子の会話のテンポには付いていけん。
ため息をついて、遠くに見える病目の大蛇の影を見た。大蛇はどうやらそのままこちらに近づいてきているようだが、影の位置や微かに判断できる進行方向からして、接触することはなさそうだ。じきに脇を通って見えなくなるだろう。
しっかし、本当にあんなでっかいのが倒せるのかねえ。
輪切りにするためにはデカいガラス片が必要って言ってたけど……。あれ? そもそも、《千の火剣》ってなんでガラス片が必要なんだろうか。その辺りの話を、そういえば聞いたことが無かったな。
まあ、次に魔法を教わる時に聞いてみよう。今晩もどうせ魔法の練習だろうし。でもなぁ。できそうにないんだよなぁ。
ぼんやりとそんなことを考えながら、二人の会話を聞くともなしに聞きつつ、退屈を紛らわすために頭を巡らせる。
次に到着する街が大きな所だったら、図書館でも探してみるかなぁ。でもファンタジーのお約束で、本ってのは高価なんだろうな……。ドロシーに養ってもらっている俺にはとてもじゃないけど手に入れられないだろうし。そもそも文字が読めない気もするけど。呪文言語だったら読めるのになぁ。
つくづく使い勝手の悪い権能だよな、《呪文の王》ってのは。まあ、魔法と似たことができるケースもあるし、一概に不便とも言えないんだけど。癖があるっていうか、やりづらいことが多々ある。
病目の大蛇の影は俺たちからずっと離れた位置にいて、進行方向に対してもう真横にまで到達していた。巨大な蛇の気配が遠くで蠢いているのを感じる。首を横に向けてそちらを見て、第二の視力を開く。病目の大蛇のお腹について調べようと思ったからだ。
そして気づく。
手綱を操って、甲殻竜を止める。
もう街を出て一時間くらいの時間が経過している。
病目の大蛇は、一時間前、俺たちのずっと左前方にいた。そして、今は横側だ。
俺たちが病目の大蛇に追いついたなんてのは、いくらなんでも無理がある。俺たちは甲殻竜の速度で移動しているんだ。だから、病目の大蛇が、俺たちに少しずつ近づくような角度で、移動していることになる。
そして、たった一匹の大蛇だ。
病目の大蛇は三匹くらいで生活するんじゃなかったか?
どうしてあの影は一匹なんだ?
そしてなにより、どこに向かって移動している?
ゾワリと、背筋が泡立つ。
「コースケ、どうしたのよ止まっちゃって。先は長いんだから、進みなさいよ」
「なあドロシー、あそこを泳いでる大蛇が、どっちに向かってるか分かるか?」
そう言って黒々とした病目の大蛇を指差す。
背後でドロシーが息を飲む。シアラも察したらしく、「まさか……」と声が漏れた。
俺は恐る恐る、そうでないことを願いながら、二人に言った。
「あの大蛇、オアシスに向かってないか?」




