008
「おい嬢ちゃん、もっぺん言ってみろよ」
「何度でも言ってやるよ。病目の大蛇を殺せないんなら、あんたなんかに用はないから。私に絡むな」
トカゲみたいなビジュアルの大柄な戦士とシアラが、酒場の真ん中で睨み合っている。というかシアラ、口調が違うぞ。敬語はどうした。
「病目の大蛇を殺せる戦士なんているわけねえだろうが。でもな、俺がここで一番強いのは間違いないぜ。お嬢さんより強いさ。その俺でさえあの蛇は倒せないんだ。あの蛇を倒そうなんて馬鹿なことは考えないほうがいいぜ」
トカゲの戦士はげらげらと下品に笑う。周囲の人間も戦士に合わせて笑った。ぐるりとあたりを見渡すが、オアシスの住民っぽい奴らは気まずそうにその様子を見ている。笑っているのはどうやら商隊の人間たちらしかった。
コリトさんだけはちょっとうんざりしたようにカウンターの奥で成り行きを見守っていた。
シアラは笑われながら、肩を振るわせている。
……なんかとりあえず胸くそ悪いシチュエーションってのはよくわかる。
シアラの唇が動いた。何を言ってるのかはうるさくて聞き取れない。ただ、まるで泣きそうなのを耐えてるように見えた。
「ああ? なんだって? 聞こえねーな! 言いたいことがあるならはっきり言いやがれってんだよ!」
にやにやと笑うトカゲ男。いや、トカゲが笑ってるとなんというか、下品だなぁ……。こういう考え方は種族差別とかいって、弾圧されたりするんだろうか。でもなぁ。結局、美少女とトカゲのどっちが魅力的かって話だしなぁ。俺は素直だから、美少女の味方なんだよ。
円形にぽっかりと空いている空間に足を踏み出す。
「おい、そこのトカゲ顔」
俺がそういった瞬間、あたりがシンと静まる。先ほどまでシアラを笑っていた奴らもまとめて、息を呑んだのが分かった。
「……ああ? なんだって、ひょろいの。今俺のことなんつった?」
トカゲ顔が俺を見下ろす。威圧感のある顔だ。怒ってるのがよくわかる。ああ、なんつーか多分、タブーみたいなのに触れたんだなってのが分かった。
「トカゲ顔っつったんだよ。意味分かるか? それとも爬虫類だから頭悪いってことかな。女の子囲って笑い者にして、その上で馬鹿ってなると、もう救いようが無いってやつだ」
挑発しながらシアラの前に立つ。背後から戸惑うような気配がする。
でかくて強いだけの馬鹿だ。小学生だったころに俺の目に映っていた父親よりも、ずっと小さいし弱い。こんなやつにビビる理由なんてどこにもないわけだ。
第一、こんな場所だ。一期一会の相手に後腐れなんて気にする必要も無い。
「それとも何か? トカゲ顔ってのはそんなに言われたくないことかよ。でもお前さ、今この子に同じことしてたんじゃねーの?」
「……だったら何だよ。俺は事実を言ってただけだぜ。……ご親切に忠告してやってたんだがな?」
「はは、お前がトカゲ顔なのも事実だろ。俺だってご親切に教えてやってんだぜ。トカゲ顔じゃ女の子にモテねーよ」
ぶふっ、とどこかで誰かが吹き出した。わざとゆっくりした動作でそっちを見ると、まあ案の定というか、コリトさんだった。肩を振るわせて笑っている。俺の視線に気づくと、好きにやれって感じのジェスチャーをされた。
「オイこら、よそ見してんじゃねえよ……!」
旅装束の胸元を掴まれて、顔を寄せられる。トカゲ顔が間近だ。爬虫類独特の縦に割れた目が、超至近距離で俺を見ている。正直に言ってキモい。これには結構ビビる。粘着質というか、独特にぬめっとしていて気色悪い。ああでも、昔クラスメイトに爬虫類好きってやつがいたな。あいつだったらこれも愛せるんだろうか……。
「表に出ろや、ひょろいの。俺にでかい口利いたこと、後悔させてやるよ」
「ああ良いぜ。悪いけど、俺は弱いからな。俺に負けたらただの雑魚も同然ってやつだ」
「上等だ。来いよ」
トカゲ男はそういって俺を離し、一瞥して酒場を出て行った。扉の前にも人だかりがあったが、それは一瞬で割れて、で、割れたままだ。お前もいけよ、って感じか。
ため息をついて、一歩踏み出す。なんか引っ張られる。背後を見ると、シアラがきつい目で俺を睨んでいた。ただ、目が潤んでいる。
「どうしたの」
「……私の問題、です。邪魔しないで、ください」
眉根を寄せて、どこか引きつったような声で、そう言われた。
女の子にこんな風に言われて、はいそうですかって引き下がれる男がいると思ってるんだろうか?
だから俺は精一杯かっこつける。
「誰の問題とかじゃないって。むかつくから喧嘩するだけだ」
決まった!
どうよこの台詞。視界の端でコリトさんが笑いをこらえてるのが見えるが、気にしたら負けだ。
努めてかっこつけてシアラの手を払い、努めてかっこつけて颯爽といい感じに酒場を出る。外はもう夜だ。まだ冷えきってはいないが、肌寒くはなっている。とはいえきちんとした服を着ているので、問題は全くないのだけれど。顔に当たる夜風が少し涼しい程度だ。
砂と埃の匂いがする。トカゲ男は既に外に出ていた。俺の後に続いて、見物人らしき男達が現れる。
「おい兄ちゃん、これ使えよ」
昼間から酒場にいた筋肉男が、剣を一本投げてよこした。とっさに受け取る。
「あ、ありがとう」
「なに、シアラのためだ。それと、すまんな。助けてやれなくて」
筋肉男は申し訳なさそうな顔になる。けれど、別に助けてもらおうとは思ってない。思うところがないわけじゃないけど、彼らにだっていろいろな事情があるんだ。
俺だって、あの場にドロシーがいて、ドロシーが俺を止めてたら、何もしなかったかもしれない。あるいは、シアラのことを全く知らなかったら、黙ってみてるだけだったろうと思う。あるいはコリトさんにシアラのことを何も聞かされていなかったら。あるいは、ドロシーが泥酔してここに一泊しなかったら。
ただの偶然だ。巡り合わせか、悪運か。それは分からないけど。
運悪くひどい親の元に生まれて、運良く友達に恵まれた。運の善し悪しなんて、人生よりずっと強力だ。
だから問題は自分の運に……運命とでも言うべき巨大な流れに、どう適応するかだ。
粗末な剣を抜いて構える。剣なんて使ったことないが、この場合はブラフだ。そして、第二の視力を開く。《呪文の王》の権能によって、相手のもつあらゆる呪文式のことが理解できる。
トカゲ男の構えた剣には呪文式が刻まれている。速度を上げるタイプのものだ。腕にも、呪文による何かがあるな。アクセサリーか種族特有の器官かは分からないけど、筋肉の生み出す運動量を倍増させる感じだ。威力を腕のなにかで、速度を剣で、それぞれ上げているんだろう。素人分析だけど、純粋な戦士って感じか。
「さあ、いつでも良いぜひょろいの。かかってきな」
「随分余裕だな。ま、ギャラリーもいるし、負けた時の良いわけも必要だよな。ハンデやったから負けたのはそのせいだ、ってよ」
「……上等だ、後悔すんなよ」
目を見開いて、睨んでくる。完全にキレてるな。
さて、どう戦ったもんか。魔法はまだ実践では使えないし、俺は剣も使えない。構えでも多分素人だって分かるだろう。
でも問題ない。少なくとも互角には戦えるはずだ。
「《我が身、我が刻、天と雷の騎士の名において、備えたる剣は彼の裁きであり、夢の随に、発現せよ》」
酒場の前に並ぶギャラリー達の中に、にやにや笑っているコリトさんと不安そうなシアラの顔が見えた。
「《太陽の手に携えた剣、あるいはその刃、その柄、生死あるいは賢愚の境とせよ。明かりの世と暗がりの世は別離し、そして交わらざり》」
詠唱による呪文だから、いろいろと端折ってる。というか、多分神様だろう存在の作った呪文言語は、本来発音のことを考えられていない。口の形の限界や、あるいは不慣れな発音ってのがある。どうしても回りくどい詠唱になるし、そしてその分、やりたいことも上手くできない。
なにより長い呪文を口頭で詠唱すると、ミスって呪文が不発に終わる可能性もある。だからこれは、短めで簡易的な詠唱だ。
「《微風の乙女に嘆願する。我が相対する彼の子、打ち伏せる助け、我が刃の向かう処によって為せ》」
腕が軽くなる。いや、剣が軽くなる。夜だから分かる。薄く青白く輝き始める。そして、まるで僕にまとわりつくみたいに風が吹く。微かな風だ。
さすがにトカゲ男も警戒したのか、改めて剣を構えた。
「なんだよ、へっぴり腰だと思ったが、お前、魔法使いだったのか」
「あ? ちげーよ。お前知らねーのか」
片手を上げて挑発する。
「魔法使いってのはもっとすごいぜ」




