004
オアシスは想像ほど美しくはなかったけれど、人が多く活気のある場所だった。
灰色の水を囲むように黒っぽい固い葉の木々が生えている。砂埃の多い土地だからだと思うけど、水はあんまり綺麗ではなかった。とはいえその汚れはほとんどが土砂なので、きちんと濾過したり蒸留すれば真水とほぼ変わらないそうだ。
小さな湖くらいの大きさで、その周囲にいくつか建物があった。酒場を兼ねた宿もあり、今日はそこに泊まることになる。
酒場には筋骨隆々とした男達もいたし、可愛らしいウェイトレスもいた。吟遊詩人だろう風貌の男が座っていて演奏でもするのかと思ったけれど、昼間はやらないようだった。全部シアラに教えてもらったことだ。みんな熱を避けるように日陰にいて、俺たちも宿を取った後、街を散策するでも無く酒場のテーブルで涼んでいた。あんまり涼しくはないけど、日に当たるよりはマシってところだろうか。
「やっぱ慣れないわね、この熱さは。オアシスまでくれば多少はましになるかと思ったんだけど」
テーブルに伸びてるのがドロシー。姿勢良く座ってるのがシアラ。椅子にだらーっとなってるのが俺。さすがにシアラは慣れているのか、あるいは体が丈夫なのか、平気そうな表情だった。
「で、あんたはいつまで私たちにつきまとうのよ」
ドロシーがテーブルに伸びたままシアラに尋ねる。
「あなた方に、というかドロシーさんにお願いしたいことがあるのですが」
ほう?
シアラは少しだけ警戒するというか、躊躇するような様子だ。長い睫毛が不安そうに揺れる。鎖骨がエロい。民族衣装っぽい装いと綺麗な石で作られたネックレスがよりエロアを引き立てる。触りたい。じゃない。
ドロシーは胡乱気にシアラを見る。体を起こすが、どこか気怠そうだ。
「お願いってなによ。モンスターの討伐なら受けても良いけど、そういうのならここに住んでる人に頼んだ方が良いんじゃないの」
「いえ、まだ頼みにくいので、もう少しお二人の好感度を上げてからにします」
それを本人の前で言うのはどうなんでしょうか。
そう思ったけれど、シアラは気にしていないみたいだ。胸を張ってすこし偉そうにしている。何だこの子。
「俺たちはギャルゲーのヒロインかよ」
「×××××、ですか?」
ああ、音がおかしい。ギャルゲーもこっちには無いか。そうか。そうだよな。アレはテレビゲーム特有のゲームのジャンルだ。ドロシーだったら首を傾げるところだろうが、シアラはキョトンとしている。少しだけ目を見開いて、まるでその瞳の中に『?』が浮かんでいるようだった。
「なんだかよくわからないけど、頼みにくいお願いなら頼まないことね」
ドロシーはそう言って立ち上がると、二階に続く階段に向かって歩き出す。寝るのだろうか。
立ち上がるときに不機嫌そうな顔が見えた。
「コースケ、私ちょっと昼寝するから、変なのが来ないように気をつけておいてくれると嬉しいかも」
「ん、ああ。了解。じゃあ一応この辺にいるようにするよ」
ドロシーがひらひらと手を振って二階に上がっていく。この建物は一階が酒場で、二階と三階が宿泊者用の個室になっている。荷物を置いたときに一応鍵がちゃんとかけられることは確認したけど、ああいう簡素な鍵は俺のいた世界よりもずっと意味の無いものだろう。個人が魔法をつかえる——つまり、見えない武装を持ち歩けるこの世界では、人目が無ければ簡単に破壊できる。
もちろんそういった犯罪に対処するための呪文もいくつかあるらしいけど、その辺りについてはまだ調べてなかった。そのうち機会があればいろいろと実験してみたいけど、現状だとそういったことより、ドロシーの仕事を手伝えるようになる方が先決だろう。具体的には、魔法を覚えるという形で。
そもそも俺がドロシーの仕事を手伝えるようになれば、ルディアって街にいく必要もなくなるわけだし。
「コースケは休まないんですか? 夕方も歩くんでしょ?」
「んー、まあそうだけどさ。せっかくだし、街を見て回ろうかなって」
「街? でも、寝ないと夕方、つらいですよ?」
たしかに、夜と昼に眠るなんて慣れない生活してるし、すこし寝不足気味ではあった。でも眠れない日ってのは前の世界でも多かったし、もうちょっと動き回ってても大丈夫だと思うんだよなぁ。
「もちろん少しは寝るって。でも、せっかく街に来たんだしさ。シアラ、案内してよ。ここに住んでるんでしょ?」
先ほどドロシーに言ったことをナチュラルに撤回する俺だった。シアラが戸惑っている。
「え、……うん。まあ、そうですけど」
「こらこらオニーサン、シアラにちょっかいかけないでよ。うちの看板娘なんだから」
ゴトリと目の前に大皿が置かれた。乾燥したパンが山盛りになっている。続けて隣に赤いソースみたいなものも置かれる。湯気が出てて暖かそうだ。うん。うまそう。
皿を置いた腕をたどると、背の高い女性だった。犬歯と狼のような鋭い獣耳を装備している。三十路手前って感じだろうか。獣人が前の世界の人と同じ感じで歳を取るとすれば、だけど。
女性は楽しそうに笑っていた。
「コリトさん、私別にここで働いてません……」
「でもいっつもここで座ってんじゃんか。シアラ見たさにここに入り浸ってる馬鹿な男もいるんだから、立派な看板娘だって」
ふむ。なるほど?
周りを見渡してみると、でかい男と目が合った。何人か。ふむ。そこはかとなく敵意を感じないでもない。
奥にいる禿げたでかい男とか、その隣のやたら恰幅の良いやつとか。
睨まれてる。
まあ新参者が人気の女子と仲良く同席してたら、良い気はしないだろうな。俺も男だ。気持ちはわからんでも無い。そして優越感。
「オニーサン旅人でしょ? 冒険者? それとも商人?」
コリトさん……と呼ばれた狼耳の女性が詰め寄ってくる。三十路に詰め寄られてもあんまり嬉しくない。あ、ちょっと睨まれた。
「なんか失礼なこと考えたね君」
「いえ、気のせいですよきっと」
真顔で言っとく。
「ふうん。ま、いいか。で、どっち?」
「いえ、どっちでもないですよ。一緒にいた女の子が討伐者で、僕はただの同行者です」
「なんだオニーサン、稼いでないのかよ。そんなんじゃシアラを任せられないねー」
「ちょっとコリトさん、怒りますよ」
ぼそりと声が割って入った。シアラが目を細めてコリトさんを睨みつける。コリトさんは俺から離れて肩をすくめた。
「いつまでもこんな所にいるんじゃもったいないって、いっつも言ってるじゃない。私と違って若いんだから、蛇神様にこだわらないでどこにでも行っちまいなよ」
「…………」
シアラは黙ってコリトさんを睨みつける。口をきつく結んで、目に力が入っていた。今にもその両腕にある大きな爪を振るいそうな、静かな迫力を感じさせる。
けどそれは一瞬だけで、すぐにシアラは視線を逸らし、席を立つ。
「私、散歩してきます。コースケ、また後で」
そう言ってさっさと酒場を出て行った。
「ふむ、怒らせちゃったか」
「……あなた、わざとやりましたよね?」
「あり、ばれた? まあ、それくらい分かるか。そこらの馬鹿な男ってわけじゃないんだね」
「あんなの見せられて分かんないなんて無いでしょ」
いたずらがばれた子供みたいにお茶目に笑う三十路女性。コリトさんはシアラが座っていた椅子に代わりに腰掛けた。仕事は良いのかよ。
「あんたで十三人目ってところだね」
「……何がですか?」
「あの子のお願いごとだよ」
コリトさんがため息をつく。
「あんたみたいな、珍しい旅人がいるとね。シアラは必ず話しかけて、お願いごとをするんだ。あの子なりに人を見てはいるみたいだけどね。でも、いつも断られてばかりなんだよ」
……そういえばさっきも、お願いがあるって言ってたっけか。
「そんなに難しいことなんですか?」
「難しいというか、出会ってすぐの人間に頼むことじゃないね」
「じゃあ、コリトさんが手伝ってあげれば良いんじゃないですか? それだと何かダメなんですか」
「ああ、ダメなんだよ。……そうだね、オニーサン、この砂漠についてどれくらい知ってる?」
「……そんなに沢山は知らないっすよ。えっと、暑いこととか、甲殻竜で渡るとか、でっかい蛇が空を飛んでるとか」
「何も知らねーな、あっはっはっは」
笑われてしまった。
「そういうことなら、まあシアラに直接聞いた方が良いんだけどな。まあでも、知っといた方が良いことは教えてやるよ。あ、そういやそのパン、食って良いぞ。ソースつけて食えよ」
コリトさんが大皿に盛られたパンを指差す。どうやらパンは焼いてあるらしく、いい匂いが立ち上っていた。
「いや、でも俺、金持ってないですし。うちの財布握ってるのは二階で寝てるんで」
「これはサービスだよ、サービス。まあ賄賂とも言うかもね」
「……じゃあ、まあ、いただきます」
なんとなく引け目のようなものを感じながらも、パンに手を付ける。ちぎって赤いソースに浸して食べると、酸味と塩気のある味が広がって、いい感じにおいしい。ああ、ピザのルーツってこんな感じなのかなって思うような味だ。うまい。
「うまいか?」
「うまいです」
「そりゃよかった。じゃあ、わたしの雑談に付き合ってもらうよ」
「……まあ、それくらいなら」
なんかいい具合に手を打たれたような気がするけど。
どっちにしろシアラの頼み事ってのには興味あるし。知っておいた方が良いことを教えてもらえるっていうなら、損するわけでもない。強いていえば、睡眠時間が減るくらいだ。




