003
翌日。日が昇る直前に、俺は目を覚ました。移動するために、これから甲殻竜を起こして、ドロシーを起こして、朝食を取らないといけない。そう考えつつ、立ち上がって体をほぐす。砂漠で眠ると、体がこう、すごく凝るのだ。
砂漠で最も過酷な時間帯は、昼間と夜中だ。昼は温度が高すぎるし、夜は温度が低すぎる。だから、比較的快適な明け方と夕方に移動することになる。夜はなんとか眠って、昼も少しだけ眠る。体力の消耗を防ぐためだ。眠ると体調不良に気づかなくて逆に体力を失う場合もあるらしいから、少しでも調子が悪かったら伝えるようにとドロシーに教えられた。
こんな生活ももう四日目だ。さすがに四日目になると慣れてくる。そもそも睡眠時間が短いのには慣れてるし、不規則なのにも慣れている。体には良くないんだろうけど、まだ若いからな。うん。十六歳の肉体ってすばらしい。
「ん、コースケ、早いね」
ドロシーが目を覚まして、毛布から起き上がってくる。朝日が射して、あたりが少し明るくなった。ドロシーが眩しそうに太陽を見る。俺も吊られてそちらを向いた。
「……人?」
ドロシーが呟く。
砂と岩の砂漠の向こう側。これから俺たちが向かう先に、人影がある。逆光でシルエットしかわからないが、肥大した腕と、獣のような脚をしていた。街でなんどか見かけた竜人と同じ特徴だ。たしか、アテアグニ族だったか。
「誰だかわからないけど、盗賊かもしれないし。急いで準備して、出発しましょう」
「あ、そうか。そういう可能性もあるのか」
盗賊ってのはまた物騒だな。でも、そうだとしたらあんな風に目立つ場所に立ってない気もするけど。俺たちがいる場所は岩の影になる目立たない場所だけど、その人影は周囲に大きな岩の無い、少し高い場所に立っていて、まるで砂漠を睥睨しているようにも見える。
毛布を丸めて背負い鞄に括り付ける。ドロシーが俺の分も荷物をまとめはじめたので、甲殻竜を起こしにいく。といっても、少し歩いた場所に繋いであるだけだ。砂漠のこうした休める場所には、必ず甲殻竜を繋ぐための杭が打ち付けてあるらしい。
準備を終えて、俺は甲殻竜の背中に乗る。
「ほら、捕まって」
ドロシーに手を出してやると、一瞬戸惑ったみたいな間があって、ドロシーが俺の手を掴んだ。引き上げて甲殻竜の背に乗せてやる。俺の後ろに収まったドロシーが、肩に手を置いた。
「じゃ、いくか」
「ええ、いきましょう。あの影が盗賊の囮じゃないことを祈っているわ」
囮か……そうか、そういうパターンもあるのか。全く頭になかった。俺みたいなのがいいカモなんだろうなぁ……。ハニートラップみたいなもんか。怖いな。
十五分、くらいだろうか。甲殻竜で進むと、人影の様子がよくわかるくらいの距離に来た。一応それとなく周囲に視線を送るが、人が隠れられそうな場所は無い。ひとまずは気にせずに、人影に近づく。
青い甲殻の手足を持つ、アテアグニ族の少女だった。腕には三つの爪があり、親指に当たる爪が内側にもう一つついている。脚は四本詰めで、まるで獣かなにかのようなフォルムだ。かっこいい。紺色の髪を一房だけ残して短めに切っていて、ざっくりとした切り口がとても乱雑に見えるが、少女の容貌に不思議と似合っていた。一房だけ残された髪はヘアゴムみたいな紐で括られていて、尻尾のように長く伸びている。
竜のような尾があり、腰には厚手のスカートのようなものを巻いている。民族衣装のような刺繍の施された服を着ていて、露出した肩に思わず目を向けてしまう。着ている服は重たいようで、少しだけ吹いている風にもあまり揺れていないように見えた。
少女の立っている場所は、どうやら本当に砂漠を見通すことのできる高い場所だったらしい。砂というより岩場で、周囲に隠れるような場所がないどころか、周囲から丸見えでとても目立つ場所だった。高いといっても、少しだけだけれど、それでもこの砂漠を見通すのには十分らしい。起伏のある岩場と砂の入り交じった砂漠が、ここからだとよく見渡せる。
「こんなに眺めのいい場所があったなんて、知らなかったわ」
ドロシーの方を振り返る。視線は少女と同じ方向で、砂漠を見ていた。関心したような、惚けたような、見とれたような、そんな顔をしている。かわいい。
「そうなの? ドロシー、この砂漠、初めてなんだ?」
「初めてじゃないけど、少し前に旅人の使うルートが変わったのよ。蛇が縄張りを変えたから」
「蛇?」
「ほら、アレよ。見ればすぐわかるから、前向きなさい」
ドロシーが嘆息して促したので、素直に視線を戻す。そして、それに気づく。
砂漠のずっと向こう側。朝の湿った空気がもうだいぶ乾いていて、砂埃が舞い始めている。そのさらに先。砂漠を泳ぐように、巨大な蛇がいた。コブラのような広がった部分があって、不思議なことに地面を這っているのではなく、空中を這っていた。ここからではシルエットしか見えないが、恐ろしく巨大なことはわかる。それが三匹、悠々と砂漠を泳いでいる。
砂漠を泳ぐ蛇だ。
白い空を背景に、青暗い影が泳いでいる。
「なんていうか、でかいな」
「アレを討伐できるほどの人って、討伐者の中にもあんまりいないのよ。そもそもサイズが桁違いだから、ああいった大型の生物専門でもないと」
「……まあ、うん。そうだろうな」
そもそも、あんな巨大な生物が空に浮かんでるとか、ファンタジーすぎる。巨大な生物は体重と筋力のバランスが取れないから存在できないって良太が言ってた気がするけど、その辺りはどうなってんだろう。ファンタジーだからなんとでもなるのか。
そういえば先日倒したワイバーンも、翼が"空を飛ぶ機能"を持ってたし、もしかしたらあの蛇もコブラみたいに広がった部分が空を飛ぶ機能でも持ってるのかもしれない。
「……それで、あの子、盗賊なの?」
俺は小声でドロシーに尋ねる。ドロシーは身じろぎして、俺の背中越しに前方の少女を見た。体が密着する。……体が密着する。大事なことなので二回言いました。
「そうね……。まあ、安全じゃないかな。多分」
「ふうん。あの蛇を見てるのかな?」
「そんな感じよね」
少女は僕たちに背を向けていて、蛇の方に微かに体を傾けている。一房だけ長く伸ばされている髪が風に揺れている。
……なんか、かっこいいな。
少しすると、近づいてくる僕たちに気がついたのか、少女がこちらを向いた。その頃には比較的日は昇っていて、まだ朝の早い時間で気温も高くないが、それでも少女の姿が逆光で見えないというほどではなくなっていた。
金の瞳と、意志の強そうな目だ。獣のような目。強かで誰も寄せ付けないような目だ。どこかで見覚えがあるような気がする。
「こんにちは、君、何してるの」
俺は少女に声をかける。少女は一瞬だけ目を見開いて、とことこと俺たちに近づいてきた。
「あなたたち旅人ですか?」
凛とした、透き通った声だった。何からなにまでかっこいいな。女子にモテそう。
「そうだけど、あなたは何してるのよ」
俺の代わりにドロシーが応じる。
「私は別に、何もしてないですよ。ここ、散歩コースなんです」
「散歩? ……ああ、オアシスに住んでるのかしら。それにしても、ここからオアシスまではまだずいぶん距離があると思うけど」
「私、脚が速いですから。この子なら一時間はかかるでしょうけど、私なら数十分くらいで到着する距離です」
そういって、少女は甲殻竜の額を撫でる。甲殻竜は脚を止めて、嬉しそうに少女の腕にじゃれついた。なるほど、さすが竜人。竜の扱いはお手の物って感じか。
「……あなたたちは、お二人だけですか? この砂漠には危険な生物もいます。危ないのではないですか?」
「あいにくだけど、私は討伐者なの。病目の大蛇ならともかく、この辺に出る生物ならなんとでもあしらえるわよ」
「そうですか。なら、安心ですね」
少女はほっとため息をつく。微かだが、安心したように肩をなで下ろした。
「オアシスに向かってるんですか? だったら、私も一緒にいっていいですか。ちょうど帰ろうと思ってたので」
「別に良いけど、甲殻竜には乗せられないわよ」
「大丈夫です。自分で歩きます。脚、丈夫ですから」
少女はそういって胸を張る。露出してる鎖骨がエロい。……こ、この子、鎖骨がマジエロいぞ。なんだこの鎖骨。こんなエロい鎖骨があっていいのか。ラインが美し過ぎてめっちゃ欲情する。目がいく。かってに視線が吸い込まれる。これは半端じゃない。
「痛ッ!」
脇腹を抓られた。ドロシーだ。思わず振り返ると、ドロシーは目を細めて僕をにらんでいた。
「なんだよ」
「別にー。なんかむかつく視線だったから」
なんでわかったんだよ……女って怖い。
甲殻竜を操って再び前を向かせると、少女は俺たちの隣を歩いてついてきた。横顔も整ってる。ドロシーがかわいい系だとしたら、この少女はかっこいい系だな。
「お二人の名前はなんというんですか?」
歩いていると、少女が俺の方を見てそう言った。興味津々なのを隠せてない、みたいな目だ。旅人が珍しいというわけじゃないだろうに、どうしてそんな表情なのかは謎だ。なにか、俺とドロシーに変わったところでもあるのかもしれない。
「ん、ああ。俺はコースケだよ。後ろに乗ってるのがドロシー」
「二人とも討伐者なんですか?」
「いや、俺は違うよ。ただの同行者って感じかな」
「同行者っていうか、ヒモよ」
「……まあ、そんな感じ」
ヒモって肩書きはこっちの世界にもあるんだな。……まあ、あるか。どの世界にもダメな男ってのはいるもんだ。
「それで、君の名前は?」
美少女のプロフィール入手の機会だ。これを逃す手は無い。そう思って名前を尋ねる。
「私はシアラです」
少女はさっきの好奇心旺盛な様子とは裏腹に、素っ気なく応える。
……んー、うん? なんか態度に違和感を感じるけど、いまいちはっきり言葉にならない感じだ。
「シアラか。オアシスまでってことになるだろうけど、よろしく」
「うん、よろしくお願いします」




