13 ざわつく心
「ちょっとお花摘みに」
食事が終わってしばらく雑談していますとやむを得ない生理現象が来てしまいまして私は席を立ちました。
「ではわたしが付き添いましょう」
「えっ、いや、それは……」
「この辺りも安全とは言い切れませんから」
「それはまあ、はい……」
奴の申し出に抵抗しましたが、自分でも奴の言うことが正しいことはわかっていますので不承不承、付添を承諾しました。
私は、野営場所からちょっと離れた場所にある臨時で用意されている簡易トイレへと向かいます。
太陽はとっくに沈み辺りはすっかり暗闇に包まれていてまさに一寸先は闇といった感じです。
これが城壁の中であればところどころにある灯りや家から漏れ出る灯りで何となしには明るさを感じるのですがそれとはまったく違う塗りつぶされたような闇夜です。
「…………」
「…………」
手にもっている灯りの魔道具を頼りに進みますがやはり昼間とは勝手が違いその歩みは遅くなかなか先へは進めませんでした。
私たちのそれぞれの拠点の周りには国から派遣された兵士や学院に雇われた冒険者の方が見回りのためあちらこちらに配置されています。
今回訓練をしているこの辺りも一応は安全な場所とは言われていますが、夜ということもあり隙をついて魔物が出てくることもあるため油断することはできないそうです。
私は簡易トイレで二重の意味で用を終えると奴と合流してみんなの場所に戻ろうとしたのですが……
――がさっ、がささっ
私たちの野営地に戻る途中、近くにあった木の上からそんな音がしました。
「伏せろ!」
奴が叫んだ瞬間、一瞬で何かはわかりませんでしたが黒いものが上から落ちてきたのがわかりました。
「ひっ……」
突然のことに私は驚いて思わず小さな悲鳴を上げると尻もちをついてしまいました。
手に持っていた灯りの魔道具から零れた光でギラっと赤く光る目に尖った牙を生やした獣の姿が見えます。
しかし、そんな私と獣の間に一つの影が割り込んできました。
そしてその影は流れるような動作で腰の剣を抜いたのです。
闇夜の中のわずかな灯りを反射して奴が持っていた鉄の剣がキラリと光ったのがわかりました。
そして――
「低ランクの魔物で良かった」
アルフレッドはそう言って手に持っていた抜き身の剣を鞘にしまいました。
あの獣は赤目ザルというEランクの魔物だったそうです。
彼は剣を一振りしてその魔物をあっという間に追い払ってしまいました。
なんでもすばしっこい魔物で夜ということもあり深追いは危険ということでそのまま逃がしたという話でした。
冒険者にとっては雑魚も雑魚で大した脅威ではないとの話でしたが私にとってはびっくりどっきりで心臓はバクバクです。
「では皆さんの場所に戻りましょう。お手を」
彼はそう言って未だに尻もちをついてぼーっとしていた私に手を差し伸べてくれました。
「あっ、ありがとうございます」
「いえ……」
私は彼の手を取ってゆっくりと立ち上がりますと彼はそう言ってニコリとほほ笑みました。私はそんな彼の顔をこれまでのように直視することができませんでした。
「は~」
「あら、エマ様、どうなさったの?」
「いっ、いえ、なんでも……」
野営訓練から数日後。
この日はセレナ御嬢様の体調がいいということで伯爵家の別邸で二人だけのお茶会をすることになりました。
御嬢様のお部屋にある真っ白なテーブルと椅子に二人で向かいあって紅茶を楽しみます。
御嬢様も薬の効果が出てきたのか、ここ最近は食も進んできたようで心なしか以前よりもお顔の血色がよくなってきているように見えます。
「ふふっ、こうして誰かとお茶を楽しむのも本当に久しぶりだわ」
セレナ御嬢様はそう言ってほほ笑むと手に持っていたカップをソーサーに置かれました。
さも当然の様にかちゃりとも音を立てないその所作はあまりにも自然で以前の私であればそのことに全く気付くことはなかったでしょう。
しかし、メイドのシェリーさんから鬼の様な特訓を受けた身としては、そんな何気ない御嬢様の一挙手一投足の凄さを感じずにはいられません。
(あ~、やっぱりセレナ御嬢様は別世界の御方なんだな~)
お貴族様の世界を知れば知るほど自分には足りないものが山のようにあることを痛感させられます。
貴族の家に生まれて生まれながらに貴族としての教育を受けてこられた御嬢様。
方や平民で下町育ちの私。
こんなにも顔が似ているのにその中身には雲泥の差があることに私は何とも言えない寂しい気持ちになりました。
(あいつもやっぱり私なんかよりも御嬢様みたいな方がいいんだろうな~)
この前の野営訓練から油断するといつの間にか幼馴染である彼のことを考えている自分がいました。
以前は自分と同じ平民で、それこそ小さいときは一緒になって木剣をぶつけ合ったこともあります。
彼から女の子扱いされた記憶はなく、野営訓練で魔物に襲われた後の彼の対応には思わず驚いてしまいました。それこそ本当に同一人物なのかと疑うレベルです。
「エマ様、やっぱりぼーっとしていらっしゃるのね? 野営訓練から戻ってからみたいだけど疲れが溜まっているのかしら?」
「いえ、そんなことは……」
疲れてはいない、と思う。
それにしても野営訓練のときに私を助けて手を貸してくれたのは、私が御嬢様、セレナ・ルサリアだからだろうか?
もしも私が平民のエマであったなら、彼は同じようにしてくれただろうか?
私にもあのときのように微笑んでくれたのだろうか?
「エマ様、ケーキ、食べませんの?」
「えっ?」
お茶請けに用意された季節の果物があしらわれたショートケーキは既に御嬢様のお皿には乗っていませんでした。
その一方で私のお皿にはまだケーキが手付かずで残っています。
「ふふっ、エマ様にしては珍しいですわね。まさに心、ここに非ずといったところかしら」
「そんなことは……」
ない、と言おうと思ったのですが上手く口から言葉が出ませんでした。




