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テンプレ異世界から無事に帰れた後、美人で可愛い魔王を拾ったので一緒に住んでみた  作者: 春樹凜


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45.魔界の変態その一の服従


 

 窓ガラスの掃除をようやく終え、ヴェルガの様子を見に行くと。 


 床に転がされたまま、ビニール紐で半ばミイラ状に拘束されているヴェルガは、まだ目を覚まさない。

 

 ……いや、正確には、さっき目がバチッと開いたが、完全に魂が抜けた顔をしている。


 ――こいつ、まさか目開けたまま寝てるのか?

 それとも起きてるけど現実を受け入れられてないだけか?

 反応がないから分からん。

 まあ、生きてるのは確かなんだが。


 どっちにしろ、ガラスに顔面スタンプを残した男が、床で縛られて転がっている光景は、控えめに言って地獄絵図だ。


「……なあマオ」

「なんだ晃」

「一応確認なんだけどさ。こいつ、起きてんの? てか仮に目覚ましてたとして、今の状況、理解してんのか?」


 俺の問いに、マオは床のヴェルガを一瞥し、淡々と答える。


「しておる。だが我への愛と羞恥と絶望が同時に押し寄せて思考が停止しているだけだ」


 なるほど、いわゆる処理落ちか。


 その証拠に、ヴェルガは次の瞬間、急にビクンと体を跳ねさせると口を開いた。


「……っ! ま、まおうざま……!? はっ、ここは……!? 私は、確か今まで、魔王様と手繋ぎデートの真っ最中のはずで……」


 ……妄想癖がひどい。

 いや知ってたけど。


 が、自分が縛られている状況と、視界に入った俺の存在を認識した瞬間。

 ヴェルガの表情は、ありえないほどの速度で豹変した。


「き、貴様ぁぁぁぁぁぁぁっ!! 何故だ! 何故この卑小で矮小で下賤で無価値で魔力の欠片も持たぬ人間風情が我が主我が神我が愛我が魂の帰属先たる魔王様の隣にあまつさえ同じ空間に同じ空気を吸い同じ床を踏み同じ視界に収まっている!」


 どうでもいいんだが……こいつ息継ぎなしで長ったらしい台詞を喋り倒していたが、大丈夫か?


 しかし俺の心配をよそに、ヴェルガの口は止まらない。


「その存在自体が冒涜!その呼吸が不敬!その瞬きが罪!貴様の影が魔王様の御前に落ちている事実だけで私の心臓は怒りと嫉妬と殺意と羨望と自己嫌悪と愛で爆発しそうだ!」


 と叫び終わったところで、今度はマオの方に顔を向けると、途端に相貌を崩して号泣し始めた。


「……ま……おう……ざまぁ……」


 血走っていた目は潤み、唇は震え、声は一気に弱々しくなる。


「あぁ、ご無事で…………この光景を拝めるとは……生きていて……よかった。いいえ、死んでいても構いません。偉大なる魔王様の御姿を最後に瞼に焼き付けられるのなら……」


 と思ったらまたまた俺の方へと視線を向けて鬼の形相になる。


「この芋虫がっ! 地を這い、踏まれ、潰され、塵となる存在が、なぜ、なぜ、なぜ魔王様のそばにいることを許されているのだぁ! 魔王様の隣にいるのはこのヴェルガだと生まれた時から定められているというのに……!」


 なんつぅか、威厳ある氷の貴公子はどこいった。


 それにしても。

 俺は床に転がるヴェルガを見下ろしながら、正直な感想を抱いていた。


 ……こいつ、情緒が忙しすぎる。

 怒る、罵る、泣く、恍惚とする、また怒る。

 一人で感情のフルコースを高速回転させている。

 しかも全部、マオ絡みだ。


 これを四天王としてそばに置かざるを得なかったマオ、苦労人すぎないか?


 んで、室内に入れたとはいえ、こいつの声でかいな。

 口も塞いどくべきだったか?

 しかし今からそんなことしようもんなら手を噛まれかねん。


 俺は呆れながらため息をつく。


「お前、その状態だってのに元気だな。逆にすごいわ。あと、俺の名前は貴様じゃなくて霧島晃な」

「うるさいっ! 貴様なんぞ貴様で十分だこの芋虫がっ!」

「……鏡見るか? どっちかってーと、今のお前のほうが芋虫だぞ」 


 俺がそう言って、壁際に立てかけてある姿見を指差す。

 

 するとヴェルガは縛られたまま、鏡に映った自分の姿とマオを交互に見比べ、今度は感極まったように小刻みに震え始めた。


「……っ、魔王様……! あぁ……私のこの無様な姿すら、魔王様の御前で晒せるとは……! 屈辱であるはずなのに……何故か……ご褒美のような……」


 ……駄目だ。

 もう何を言ってるのか分からん。


 俺は口を開きかけて、やめた。

 これ以上ツッコんでも、こいつは進化しかしない。


 だが、俺がツッコミを放棄したその瞬間。


「うるさい」


 マオの一言が場に落ち、空気が、文字通り凍りついた。


「ヴェルガ。貴様がここに来た理由も、持ち込んだ物も、全て把握しておる」

「……っ!」


 ヴェルガが床に散らばった私物を見て、顔をぽっと赤らめた。


 いやなんでだよ!

 ……ああ、あれか、視線の先には妄想日記。

 あれを本人に読まれて嬉しかったとかか?

 やっぱり変態の考えることは分からん。


 そんなヴェルガは気にも留めず、マオはあの小さな薬瓶を手に取る。

 赤黒い液体が、月明かりに鈍く光った。


 それを見た瞬間、ヴェルガの顔が歓喜に歪む。


「そ、それは……! 魔王様……! まさか、私に……!」


 待て待て待て!

 どうしてそこで喜ぶ!?


 マオは一歩、ヴェルガに近づき、にこりと微笑んだ。


 その笑顔は優しくて穏やかだったが、絶対なんか企んでると言わんばかりの顔だ。

 ま、予想はつく。

 俺は黙って事の成り行きを眺める。


「ヴェルガ。少し話をしよう」

「は、はい……! どのようなご命令でも……!」

「よい返事だ」


 マオはしゃがみ込み、ヴェルガの視線と高さを合わせる。


「お前はこの薬が何か、知っておるな」

「はっ……! どんな願いでも永劫に叶えることのできる至高の秘薬でございます。魔王様と人間界で蜜月を過ごすために、この私が命を落としかけながらも封印を解きこの世界に持ち込んだ次第です」

「では確認だ。お前はこの薬を飲まされ命令を受けたら、抗えぬな?」

「無論でございます! しかし魔王様からのご命令とあらば、このような薬がなくとも私はいかなるものにも従います! 魔王様が国を滅ぼしたいと願えば数万の魔族を率い、魔王様が世界を統べたいと望めば私がその礎となり、魔王様が私との結婚をお望みであらばっ」


 ヴェルガの声が、さらに一段階ギアを上げた。


「すぐにでも式場を用意して盛大な婚礼を挙げ、毎日三回、朝はおはようのキス、昼は執務お疲れ様のキス、夜は……」


 待て待て待て待て、誰もそこまで聞いてないぞ!

 というか話が具体的すぎる!

 こいつ本当にマオのこと好きなんだな……。


 一方のマオはというと、顔には呆れと疲れが浮かんでいるものの、ツッコむことはしない。

 それを見て俺は確信する。

 ……マジでこれ、こいつの通常運転なんだろうなと。

 

 マオの気苦労が見えた気がした。


 と、ひとしきりヴェルガが喋り倒し言葉が途切れたところで、マオは甘く、柔らかい声を出した。


「ヴェルガ」

「は、はいっ!」

「口を開けよ」

 

 次の瞬間、ヴェルガが反射的に「あーん」と口を開けた。


「……お前、自分で何してるか分かってる?」


 思わず口から声が出てしまった……。

 が、俺のツッコミは完全に無視された。

 マオは一切の躊躇なく、薬瓶を傾けると、赤黒い液体が、ヴェルガの喉へと流れ込んだ。


「……っ!」


 ヴェルガの体がびくんと跳ね、次の瞬間、歯を食いしばりながら呻く。


「ぐ……っ、あ、ああ……!」

「命令だ」


 マオは、穏やかな声で、しかし一切の揺らぎなく言った。


「今後一切、直接・間接を問わず、晃に害を及ぼす行為を行ってはならない」

「っ!?」


 予想外の命令に、俺は思わずマオの顔を見る。


 空気が、張り詰める。

 ヴェルガは必死に首を振ろうとするが、体は動かない。


「……っ、が、がぁ……! ま、魔王様……!」

「分かったら返事をするのだ、ヴェルガよ」


 マオの声は静かだ。


 数秒の沈黙の後、ヴェルガの体から力が抜けた。


「……了解、いたしました……」


 その声には、抗いも、恨みも、残っていない。

 完全に屈したようだった。

 俺は息を呑む。


「……マオ、いいのか? 俺はてっきり、もっと自分を害さないようにする命令をするもんだとばかり」


 なぜならマオは、ずいぶんとこのヴェルガに迷惑をかけられていたらしいから。 

 なのにあんな貴重な薬を使って、たかだが人間の俺を守るために使うなんて、考えもつかなかった。


 だがマオは俺の質問に対し、少しだけ目を見開き、そして柔らかく微笑んだ。


「よいのだ。我は自衛できる。ヴェルガが全力で来ようが、対処できる」


 そして、一歩こちらに近づき、はっきりと言った。


「それに……今の我にとっては、晃の安全の方が、よっぽど大切なのだ」

 

 その一言で、全部持っていかれた。


 ……ああ、くそ。


 正直、嬉しかった。

 こんなふうに迷いなく、自分の安全を選んでくれることが。


 けど同時に、胸の奥がちくりとした。

 守られていることが、少しだけ悔しい。


 俺だって、マオを守りたい。

 魔王とか、人間とか、そんな肩書き抜きにして。

 隣にいる人として、当たり前に。


 実際に魔族に魔法で攻撃されたら、俺にはなす術もないって分かってるのにな。


 結局俺は、何も言えずに、ただその言葉を、胸の奥で噛み締めていた。


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