44.魔界の変態その一の計画(仮)
正直雑巾越しだろうが触りたくはなかった。
が、ガラスにヴェルガの顔の痕がくっきりと残った今の状態で放置するのはもっと嫌なんで、俺はマオから聞いていた掃除道具セットの入っている棚へ向かうと、雑巾やらガラス用洗剤やらを持ち出す。
そして泡を吹き付けてから擦り始めたのだが、怨念でもこもってるのか一向に綺麗にならない。
「すまんな晃。主に掃除をさせてしまうことになって」
「そもそもここ俺んちだし、むしろマオに普段から掃除させてる方が申し訳ないっていうか。こんな気持ち悪い顔の痕、マオに掃除させんのはちょっと嫌だし。にしても……この汚れ、マジでしつこいな。全然取れんぞ」
「こやつの性格を表しているかのようだな」
「あー、ねちっこそうな性格してそうだもんな」
そんな、俺が顔の痕と格闘している一方でマオは何をしているかというと、彼女はヴェルガの持ち物を漁っていた。
人様の持ち物を本人が眠ってる隙に勝手に探るのは倫理的に……なんてことは俺も言わない。
先に殺そうと全力ぶちかましてきた野郎に、そもそも倫理もクソもあるか。
マオはめぼしいものがないことを一通りヴェルガのポケットやらを探して確認したところで、奴の腰についていた小さな鞄型のキーホルダー的な物を外す。
「あ、それってもしかしてあれか? 見た目以上の容量の物を収納できるっていう魔法の鞄!」
「そうだ。よく知っておったな」
「俺たちも旅の間、あっちの王様から貸してもらってたんだよ。つっても中身は勇者の私物ばっかだったけどな」
非常に希少価値が高く、滅多なことではお目にかかれない国宝級の魔法の鞄。
物によって収容できる量は違うらしいが、持ち運びには大変便利で、魔王討伐の為にと王家が所有しているそれを旅の間貸し与えられていた。
だけど入ってたものといえば、勇者のドレスやら靴やら宝石やら香水やら、戦いにおいて何も役に立たないもんばっかで。
かといって、王家のものってことは第二王女であるあの勇者のいわば私物みたいなもんなので、戦闘では役立たずの俺が文句を言えるわけもなく、胸の内で密かにツッコんでた。
それ、持ってきた意味あんのか? と。
しかし魔族も同じようなもんを持ってたとは。
いや、あっちの人間界と魔界は世界が違うとはいえ魔法が存在するとこは同じだし、あってもおかしくはないか。
んでてっきり俺は、例えばマオの魔力をより多く吸収できるような魔道具的なやつでも持ってきていて、それをヴェルガから奪うつもりで色々と探していたのかと思っていたんだが。
マオに聞くとそうじゃないと首を横に振られた。
「むしろヴェルガは少しでも長くこの世界に留まるつもりであろうから、そのような物は持ってきてはおらぬだろう。我が探しているのは、もっと別の危険を伴いそうな物でな」
「危険ねえ。で、そいつの鞄の中、なんかそれっぽいもん入ってんのか?」
ふぬぬぬと力を込めてヴェルガの顔型と格闘しながら、マオが鞄をひっくり返ししてバサバサ出てきた中身を眺めるが、まあ色んなもんがあの小さな世界には収納されていた。
換金したらどえらい額になりそうな金塊や宝石類、ピンクや黄色などの表紙の分厚い本が二十冊ほど、女物の服数着に装飾品の数々、謎の赤黒い液体の入った薬瓶、明らかにマオと思しき女性の肖像画が何点かと他にも諸々……。
俺の勘違いかもしれんが、最初に挙げた金や宝石や本以外は全部いかがわしさ満点ってか、色々とおかしくないか?
そう指摘したら、マオはどっと疲れたように重たいため息をつく。
「もっと言うなら、この本もまともではない」
「どれどれ……」
治癒力は失われたがあっちの世界の言葉は今でも分かる。
さっきヴェルガが喋ってたのも、そういや向こうの言葉だったし。
で、マオの言葉が本当か確かめようと、いったん雑巾を置いて本の中身を確認してみる。
それはヴェルガの日記のようだった。
その内容はというと。
『今日は私の愛しの彼女でもある魔王様と共に街へ繰り出し、食事を堪能した。肉をナイフで切り分け口に入れた魔王様の笑顔はとても愛らしい』
「……彼女?」
「断じて違うぞ。それに我はヴェルガと街で食事を共にしたことは一度もない」
「…………」
なんか嫌な予感がしたが、俺は次のページへと進む。
『魔王様が私のために食事を作ってくれた。他の四天王もいる前で「はい、あーん」とスプーンを差し出され、恥ずかしかったが、魔王様の想いを無下にできない私は照れながらも口を開けた』
「あーんって」
「無論しておらんぞ。食事も作ったことはない」
「…………」
『今日は魔王様と王城の中庭でおいかけっこをした。私が「捕まえた」と魔王様の腕を引いた瞬間、魔王様がバランスを崩して私の腕の中に倒れ込んできた』
「追い、かけっこ……?」
「していないぞ」
「…………」
『魔王様と執務中二人きりになった途端、魔王様が私に腕を伸ばすと指を絡めてきた。「い、いけません魔王様! まだ仕事が残って……!」私が慌ててそう言って手を振りほどこうとするも、上目遣いで私を見つめてくる魔王様に、「ヴェルガ……駄目、か?」と甘えた声で言われれば、私にはなす術もなく』
ここで俺はばたんと日記を閉じ、他の冊子も確認するも、どれもこれもマオとの目くるめく日々について書かれたものばかりだった。
しかしマオ曰く、そのどれもをヴェルガとやった覚えはないと。
つまりこれは────。
「こいつの妄想で書かれた日記……?」
「そういうことだ」
「!?」
俺は甘く見ていた。
しかしこれではっきりした。
こいつ、正真正銘やべぇ奴だ。
こんな調子で毎日びっしりとマオとの妄想で埋め尽くされた日記を目にした俺は、あまりのヤバさ加減にはっきり言ってドン引きだった。
他に一冊だけ大きさの違うノートのようなものがあったんで、一応そっちも見てみようと表面を見たら、
『別の世界に飛ばされた魔王様とやりたい千のこと』
と、でかでかと書かれていた。
で、中を見たら、マオと食事を作りたい、なんてまだマシなもんから、なかなかにハードな欲望丸出しの内容が羅列されてた。
……ああ、うん、こりゃあ確かにマオがこんな死んだ魚のような目になるのも頷ける。
こんな変態が四天王としてマオの近くにいて、しかもそれが二体もいるとか、よくぞマオは耐えたもんだと感心してしまう。
そしてこれらによりヴェルガがこっちにやってきた理由を、俺もなんとなく推察できてしまった。
つまりだ。
ヴェルガがこの世界にわざわざやってきたのは、
「マオと何の邪魔も入らない世界で、二人で甘々イチャイチャ異世界生活を満喫するため、ってことか?」
この言葉にマオは、おそらくなと言いながらゆっくり頷いた。
なら宝石類はこっちで換金してお金に換えて生活費に充てるためで、鞄にあった、魔王時にマオが着ていたようなセクシー系の女物の服はマオに着せるためってことか。
しかしそれならこの見るからに毒々しい液体の瓶は何なんだ?
「それは魔王城の奥深くで、密かに保管されておった禁忌の薬だ。それなりに強い結界を張っておったはずだが、おそらく何らかの方法で破ったのであろうな」
「えっと、これってどんな効果があるんだ?」
「これを飲ませた相手の言うことを、何でも一つ絶対に聞かせることができる。期限は飲ませた相手が死ぬまで。どんな魔法でも解除することは不可能だ。たとえ我の全力をもってしてもな」
「お、おぉ、そりゃまたえげつないな……」
魔法は、特に魔王時代のマオのように、魔力が高く、魔法を使うのに適した才能があればほぼ無敵で何でもできるらしい。
それでも誰かの精神を干渉する的な類のものは非常に難しく、相手の精神崩壊のリスクが伴うと以前マオからは教えてもらっていた。
そしてその精神干渉は、命令が複雑になるほど難易度もリスクも上がると。
相手がどうなろうとどうでもいいと魔法をかけたところで、そもそもの成功率自体が低いので、実用的じゃない魔法のようだった。
だがこの薬を使えば、ノーリスクで百パーセントの成功率で相手にどんな命令も聞かせられる。
何かの実験の際に偶然できた代物だそうだが、偶然なので同じものを再現することはできず、この一本しか残っていないそうだ。
「あの封印を解くには膨大な魔力の他にも、面倒な手順や代償が必要になる。その上普段は見えないところに隠されているから、そもそも封印場所を探し出すだけでも不可能に近いのだ。場所は、代々の魔王にのみ口頭で知らされているだけだから、我しか知らぬはずなのだ。それをこやつが見つけ出したというところが」
「執念以外の何物でもないな」
それをこのヴェルガがこっちに持ってきたってことは、どう考えても飲ませたい相手はマオであり、奴がどんな命令をするつもりだったのかと考えただけで寒気がする。
「……なあ、マオ」
「なんだ晃」
「やっぱこいつ、今のうちにどっか埋めに行く方がよくないか? もしくは溶かす」
マオが思わずブラックなジョークを口にしたのも、思わず納得した俺だった。




