24.●魔王のはじめてのおつかい 帰宅後
「で、どうだったか? 本当にその万引き犯以外の問題はなかったか?」
「くどいぞ晃。大丈夫だったと昼に電話でも話したであろうが」
会社の昼休憩に突入した瞬間の時間に、晃からは電話がかかってきた。
そこで軽く話をして問題ないと伝えたのだが、帰宅してからも尚晃はマオに確認をしてくる。
「いいから晃は早く食べるのだ。明日の朝はいつもより早く出るのだろう? さっさと食べてさっさと風呂に入り、そしてすぐに寝るがいい」
「はいはい分かったって」
俺は心配してるだけなんだがと言いつつ、晃はマオの作った白身魚と野菜をホイル焼きにしたおかずを口に入れる。
「しっかしあの子、強いってのは伊達じゃなかったと」
「その一ノ瀬というアルバイトの子のことか」
世間は狭いもので、というよりも、あれだけ家の近くにあるコンビニなので、晃と一ノ瀬という女の子が顔見知りでも何ら不思議はない。
「前に諸々格闘系習ってるって聞いてたからさ」
「あれほど美しい蹴りは、魔界でも我はあまり見たことがなかったぞ」
その一ノ瀬という人物がいつ入っているかは分からないが、外出の際は彼女に会いに一度寄ってみようかと思っているマオである。
とここで、マオは一つ晃に報告し忘れていたことがあったことを思い出す。
「晃、我の勘違いかもしれぬし、大した話ではないかもしれんが……」
一ノ瀬というアルバイトと別れ、マンションまであと少しといったところで、マオは一人の女性とすれ違った。
それは別段不思議なことではない。
元々多くの人通りがある道ではないが、住宅地なのでちらほらと人は目にする。
それでもマオがその女性に目がいったのは、彼女の顔が関係していた。
「一瞬であったし断言はできぬが、その顔があの勇者とそっくりだったのだ」
「…………勇者? ってもしかしてあれか、マオに最後一撃入れたあの王女か!」
普段とろりと下がった晃の瞳が驚いたように見開かれ、彼は思わず箸を止める。
マオだってあの青白い光の転移陣によってこちらの世界へ転移させられたのだ。
晃が転移する瞬間を、あの時魂だけの存在となっていたマオは直接見てはいない。
だが勇者が、晃がしたように転移陣に乗ってこちらへきていてもおかしくはない。
「しかし我より先に勇者に倒され魔界に戻った者達からの報告によれば、人間界の資料を調べた際、転移陣は発動後すぐに消えてしまうとあったそうだ。だからおそらくお主が転移した直後くらいには、あの陣も跡形もなく消えているだろう。晃があの勇者を連れてきた覚えがないというのなら、勇者の転移の可能性は低いと思われるが……」
しかししばらく考え込んだのち、ややあと口を開いた晃は、まったく別の見解を述べた。
「もしかしたら、っていうかむしろそれが一番可能性が高いんだが、その女、こっちでの俺の知り合いかもしれん」
「知り合い?」
「ああ。あの勇者の王女にそっくりな顔立ちの人間を、非常に不本意だが俺は一人知っている。ちなみにどんな服装だったかとか覚えてるか?」
「晃が前に我に買ってくれた系統の、ゆるふわの可愛い格好だったぞ。身長は我よりも二十センチ、いや、もう少し低かったな。あとは、そうだな。すれ違った際、独特な匂いがした。あれは確か……」
こちらの世界に来てあまり日はないが、それでもどこかで嗅いだことのある匂いで。
その場所を思い出そうと記憶を掘り起こし、思い出したマオはポンと手を叩く。
「そうだ、スーパーマルナナのトイレの芳香剤の匂いがしたぞ!」
「ぶはっ!」
途端に晃が吹き出した。
「? 我は何か変なことを言ったか?」
「いや、っく、ははっ、マオ、ナイスだ。俺も昔実は同じことを思って本人に言ったらすっげぇ怒られたんだが、やっぱりそうだよなぁ……あっはっはっ」
「いつまで笑っておるのだ」
「いやだってツボに入ったんだって。にしてもあいつ、服の趣味も香水も昔から変わってないのか」
そうしてひとしきり笑い終えた晃は目尻に溜まった涙を指で拭き取ると、すぐに真面目な面持ちになる。
「でだ。その女、勇者じゃない。やっぱり俺の知ってる人間だ」
だが知り合いだという割にその顔は、苦虫を嚙み潰したかのように酷く嫌そうに歪んでいる。
「もしかしてお主、その人物があまり好きではないのか」
「むしろ嫌いだな。なんつぅか、その、あれだ。……俺の元カノ」
元カノとは、つまり前に付き合っていた晃の彼女ということらしい。
そして晃からその元カノの話をかいつまんで教えらえたマオは、聞き終えた後一言感想を述べた。
「なるほど、最低であるな、そのトイレの君は」
「やめろマオ。これ以上俺を笑かすな。なんだよそのトイレの君って」
秀逸なあだ名をつけるんじゃないと緩んだ顔で口にした後、再び晃の表情が硬いものになる。
「とにかく、あいつがこの家の近くにいたのは偶然じゃないと思う。もしかしたらそのうちここに突撃してくるかもしれん。あいつと別れてからもマンションも部屋番号も変わってないからな。仮にチャイム鳴らされても出なくていいし、絶対に開けるなよ」
「撃退してて構わないのなら、我が直々に手を下しても良いが」
「具体的には何するつもりなんだ」
「そうだな、存在を跡形も消し去るくらいならば簡単にできるぞ」
「思ってたよりえげつない方法だな」
晃に害をなすのであれば、躊躇いなく魔法を行使するつもりである。
しかしマオの提案は却下されてしまう。
「……それは色々と面倒だからやめてくれ。あとあの女のことは、正直関わりたくもないが、こっちで何とかする。元は俺の問題だから」
「だが何かあれば我が手助けするからな」
なぜなら晃はこの世界でマオを助けてくれた人間なのだ。
その恩返しという意味もさることながら、個人的な感情として、マオはその元カノとやらが気に喰わなかった。
財布の紐が緩すぎたり、過保護だったり、部屋の掃除が苦手だったり、たまにソファで寝落ちしそうになったりする晃だが、いいところもたくさんある。
一緒に過ごしていれば、それは自ずと感じられる。
けれどもそれらには一切関心を持たないでただの金蔓としてしか見ておらず、挙句最悪な方法で彼の心を裏切ったのだ。
晃はマオを関わらせる気はなさそうだが、それでももしも自分が対峙することがあれば、その時はその元カノに仕返しをするくらいはいいだろうと、密かにマオは思った。
そしてその機会は、案外早く訪れることになる。




