044
『おのれ……』
どうしようもなく憎悪に塗れた音。
それを近くで聞きながら、シルフィはさらに深く、刃を妖魔に突き刺した。
『おのれ……聖教徒……聖教……おのれ、おのれ……』
しゃあしゃあと喚きながら、妖魔が身を捩る。
「終わりだ」
突き立てた刃で妖魔の身体を抑え込みながら、彼女は言った。
「貴様はここで終わる。恨みたければ、私を恨め。憎みたければ、私を憎め。呪いたければ、私を呪え。いいな? 私を、私だけをだ」
『なにを……』
呟いた彼女の言葉に、妖魔が戸惑うような音を漏らす。
「よくやった。我が下僕」
そこに、禍々しいダンテの声が響いた。
「私は貴様の下僕ではない」
言い返したシルフィは、そこで言葉を飲んだ。
彼女の前に立っていたのは、もはやダンテではなかった。
それは影だ。
いや、影ですらない。
喩えるのならば、果てしなく暗く、途方もなく底のない、闇そのものだった。
「お前の役目は終わった。ご苦労。下がっていろ」
夜よりも、地の底よりもなお昏い闇がそう告げて、シルフィと妖魔に一歩近づいた。
シルフィが、う、と唸って剣を取り落とす。彼女は額を押さえながら、近づいてくる闇から後ずさった。響いてくる声のせいで、頭が割れそうだった。
『馬鹿な』
戦慄に満ちたその音は、妖魔が発したものだ。
身体を抑え込まれているわけでもないのに、ダンテの前から動こうともしない。
それは、ようやく目の前の存在がどういうものなのかを理解したからだった。
『それほどの怨嗟を抱えて……何故、平然としている……何故、狂わない』
「狂わないんじゃない。狂えないんだ。そういうふうに|呪わ(祈ら)れてな」
妖魔の問いに、数億の怨嗟とともに闇が答えた。
『我を滅ぼすのか』
もはや抵抗すらも諦めて、妖魔が訊いた。
それに闇は、静かに首を振った。
「滅ぼすのではない」
言って、闇が妖魔へと手を伸ばす。
「貴様の中に響くその声を、我が怨嗟の列にも加えてやるのだ」
『それほどの怨嗟を、力を集めて、いったい、何を……』
慄くような音で、妖魔が尋ねる。
「無論。聖教を滅ぼすのだ」
闇は静かに答えた。
それはもはや、薄汚い身なりの少年などではない。妖魔ですらない。
この世に何柱といない、魔王の一柱が宣言する。
「心からの憎悪を込めて、聖教を滅ぼす。信徒は根絶やしにする。奴らがそうしたように。一木一草、一族郎党、悉く。一切の容赦なく、躊躇なく、慈悲もなく。殺して殺して殺し尽くして、この大陸全土を奴らの血で赤色に染めあげる」
半ば闇に取り込まれつつある妖魔に向けて、それは言った。
「これは決定事項だ。確定した未来のお話だ。だが、まだ怨嗟の数が足らない。だから、その未来に、貴様の怨嗟も連れて行ってやろう」
『ああ……』
憎悪と憤怒に塗れた、安堵のような音。
その音と共に、シルフィの見つめる先で妖魔の姿が闇に消えた。
やがてその闇が晴れた時。そこには抜け殻になった妖魔の体が残っていた。
弱い風に吹かれて、それを形作っていた無数の蟲の死骸が散ってゆく。支えを失った剣がからんと音をたてて、石畳に転がった。
シルフィはその剣を拾い上げると、疲れたように息を吐いた。
空を仰げば、いつの間にか夜は明け始めている。
東の空が、朝焼けに真っ赤に染まっていた。
「なんだ。不服そうな顔をして」
赤い陽射しに目を細めているシルフィに、ダンテの気の抜けた声が掛かった。
その姿はもう、何処にでもいるような、みすぼらしい少年のものだった。
「別に。不服というわけでは無い」
あからさまに不機嫌そうな声で応じたシルフィに、ダンテははんっと鼻を鳴らす。
「そういう契約だっただろうが。この大陸に残っている全ての妖魔から力を奪う。それまでは、お前に力を貸す。そして、その後で――」
「俺は聖教を滅ぼす」
「私はお前を殺す」
二人の声が重なった。
しばし、無言で睨み合う。
やがて。先に目を逸らしたのはダンテの方だった。
「できるといいなぁ」
けけけとそう笑って、頭の後ろに両手を回す。
シルフィはふんと息を吐いて、剣を鞘に収めた。
ダンテはそんな彼女を、意地の悪そうな笑みを浮かべながら見つめていた。




