042
「どうやら、まだ正気のようだな」
赤い妖光の灯るシルフィの瞳を一瞥したダンテは、からかうように鼻を鳴らした。
礼拝堂の方へ目を向ければ、夥しい蟲の死骸が山となって積み重なっている。
「残っているのは、貴様だけだ」
死骸から立ち昇る瘴気で満ちる中、シルフィが剣を妖魔へと突きつけた。
『おのれ……』
突きつけられた聖銀の刃を前に、妖魔がぎちりと低く鳴いた。
シルフィの足元で、切り落とされた妖魔の腕を形作っていた黒い蟲たちがざわざわと散って主人の下へと戻ってゆく。
『死ねっ!!』
妖魔は瞬く間に再生された毒手をシルフィへと突き出した。
シルフィは眉一つ動かすこともなく、それを切り落とす。
返す刀で左腕も肩から切り下ろし、そのまま両足にも切りつけた。
早くも形を取り戻しつつある毒の右腕にもう一度切りつけると、一度、大きく剣を引き、妖魔の胴に深々と突き立てる。
切り捨てられた蟲たちが襤褸切れの下からばらばらと落ちて、地面に散らばった。
しかし、妖魔の態勢は崩れない。
連撃を止めたシルフィの耳に、ぎちという小馬鹿にするような音が聞こえた。
それにシルフィは舌打ちを漏らす。
妖魔の正体は実体無き霊体だ。
その依り代をいくら傷つけたところで、妖魔そのものを滅ぼすことはできない。
悪しき霊体を滅ぼすことができるのは、神気を纏う聖騎士のみ。
そして、聖騎士以外の者にとって、妖魔を傷つければ傷つけるほど、その傷から噴き出す瘴気の毒に苦しむことになる。
だというのに。
一息で呼吸を整えたシルフィは猛攻を再開した。
斬り飛ばし。斬り落とし。切り捨て、突き立てる。
ただただ、目の前にある存在を滅さんとする意思のみで剣を振るい続ける。
『くっ……馬鹿な、無駄だと分からんのか』
妖魔が焦ったような、戸惑ったような音をたてた。
その身体からは、常人ならば触れただけで即死しかねない濃度の瘴気が噴きだしている。
だというのに、なおも平然と攻撃を続けるシルフィに。
『おのれ』
ぎちち、と、妖魔が恨みがましい音を漏らした。
『なるほど。瘴気の毒、呪いに対する完全な耐性か……そして、声を聞いてなお正気を保ち続ける強靭な意思の力……これほどの手駒を持っておきながら、何故、貴様は……!?』
その絶叫はシルフィに対するものではない。
彼女の背後に佇んで、全てを睥睨するかのような笑みを湛えているダンテに向けられたものだ。
「だから、無駄だからだ」
憤怒に塗れた妖魔の叫びに、ダンテは飽き飽きしたように息を吐いた。
「貴様こそなんで聖教徒を殺す?」
『それは』
応じようとした妖魔の顔にシルフィの剣が一閃して、返答を妨げる。
それを見たダンテは、気にすることもなく言葉を続けた。
「分かっているさ。そうすると、怨嗟の声が和らぐからだろう? 聖教徒を一人殺すたびに、一つ。お前の中で叫び続けている連中の魂が癒されるからだ」
そこで一度口を閉じた彼は、礼拝堂の中にいる人々をさっと片腕で示した。
「だがな。今や、この国にはいったいどれほどの聖教徒がいると思っている。お前の中にある何百だか、何千ぽっちの怨嗟じゃ、とてもじゃないがこの国中の聖教徒を皆殺しになんぞできない。その前にお前の中にある怨嗟が全部晴れちまう。そうなったら、どうなる。お前の中で響く最後の声が癒された時、お前は消える」
『それがどうした!!』
再び、妖魔が絶叫した。
『消えるからなんだというのだ! 我が民の願いを! 聖教徒を皆殺しにせよと叫ぶこの祈りを! 我が聞き届けずして、何とするのだ!?』
しゃあしゃあと喚く妖魔に、ダンテは言っても無駄だなというように肩を竦めた。
シルフィは両者のやり取りなど気にもかけずに、剣閃をきらめかせている。
それに。
『邪魔を、するなっ!!』
妖魔が激高したように叫んだ。
それと同時に、襤褸切れの下から何かが飛び出す。
「がっ……!!」
突然、何か鋭いものに腹を貫かれたシルフィが苦痛の呻きを漏らした。
見れば、妖魔の纏っている襤褸切れからは巨大なサソリの尾のようなものが伸びて彼女を貫いている。
カギ爪のようになった先端をシルフィに突き刺したまま、妖魔は尾を持ち上げた。
彼女の身体を二階ほどの高さまで持ち上げたところで、勢いよく石畳へ叩きつける。
一度目の衝撃は通りを揺らした。
二度目には、骨の砕ける音が辺りに響いた。
三度目。びしゃりという嫌な水音と共に、シルフィの身体が石畳の上に投げ出される。
妖魔はそれでもまだ満足しなかった。
引き抜いた尾の先端に光る毒針で、彼女の身体を何度もめった刺しにする。
やがて。これ以上ないほどにシルフィの身体を破壊し尽くしたところで、妖魔はするすると尾を襤褸の下に仕舞った。




