039
巨大ハサミムカデの呪骸が討ち取られたことを感じ取ったのか。
呪骸を引き連れて、虐殺とともに通りを進んでいた妖魔が、ぎちり、と舌打ちのような音を漏らした。
だが、それも一瞬。気を取り直したように再び歩を進めだす。
その行く先には、呪骸によって入口を取り囲まれている教会の礼拝堂があった。
礼拝堂には聖教徒たちが詰め込まれているはずだ。
しかし、呪骸たちは教会の中へ入ろうとはしない。
門戸や、窓に嵌め込まれている飾り硝子に刻まれている聖印と聖句による守りの結界が、その侵入を阻んでいるからだ。
中から響く、正典を読み上げる神父と市民たちの合唱もその効力を底上げさせている。
礼拝堂の前に立った妖魔は、ぎち、と小馬鹿にするような音を鳴らした。
よほど高位の聖職者が祈りを捧げているのならばまだしも。この程度の結界。
呪骸を阻むことはできても、妖魔を退けることなどできはしない。
襤褸の下から妖魔の呪腕が伸び、礼拝堂に向けてかざされる。
途端。菓子作りの大きな扉がめきめきと音をたてて砕け始めた。
中から響く祈りの合唱が、悲鳴と絶叫へと変わる。
礼拝堂の中は何本もの蝋燭が灯され、香油が焚かれていた。
そこで怯えたように身を寄せ合う市民たちを守るように、生き残っていた五人の聖堂騎士たちが妖魔の前に進み出る。
『皆殺しにせよ』
聖銀の剣を抜いた彼らを片腕で示し、妖魔は命じた。
命じられた呪骸たちが、ギチギチと歓喜の音をたてて礼拝堂へと迫る。
騎士たちが一斉に身構えた。
いずれも満身創痍。傷を負っていない者は一人もいない。
だが、それでも。騎士隊長のイムザを筆頭に、彼等は戦意を失ってはいなかった。
どの道。これ以上、逃げる場所はどこにもないのだ。
完全に追い詰められた彼らを貪ろうと、悍ましい魔蟲の群れが今まさに飛び掛からんとした、その時だった。
「させはしない!!」
そんな絶叫とともに、シルフィが礼拝堂の前へ飛び降りてきた。
どうやら、民家の屋上を伝ってここまで来たようだ。彼女は着地とともに、目の前にいた己の背丈とほぼ同じ大きさのイッカクカブトを切り捨てると、礼拝堂に籠る人々と呪骸の群れの中心に立った。
脇にはぐったりとした少女を抱えている。
それに気づいた市民の中から、一人の女性が悲鳴をあげながら駆け出て来た。
誰かの名前を叫びながら聖堂騎士たちの制止を振り払って、シルフィへと近づいてくる。
どうやら、少女の母親のようだった。
「かなりの量の瘴気を吸い込んでしまった。早く、神父様の下へ」
呪骸たちから目を逸らさぬまま、少女を下に降ろしたシルフィが言う。
母親は感謝の言葉とともに、少女に釘付けだった視線を彼女へ向けた。
礼を言おうと動いた口から、ひっ、という引きつるような悲鳴が漏れる。
シルフィの瞳が紅く光っていることに気付いたからだろう。
母親は大急ぎで娘を抱きかかえると、一歩ずつ後ずさるようにシルフィから離れていった。
少女と母親が礼拝堂の奥へ引っ込んだのを横目で確認したシルフィは、改めて呪骸の群れに向き直った。
「来い、化け物ども。恨みたければ、私を恨め。憎みたければ、私を憎め。呪いたければ、私を呪え。私を。私だけを。この人たちに手出しはさせん」
宣誓するように言って、彼女は剣を妖魔へと突きつける。
『おのれ、またしても、小娘が……』
応じた妖魔が、怨念に満ちた絶叫をあげた。
その叫びに導かれるように、通りの影という影から呪骸の群れが溢れだす。
現れた呪骸は、数えるのも馬鹿々々しくなるほどの数だった。
無数の黒い蟲によって埋め尽くされた教会前の通りは、今や夜の闇よりも漆黒に染まっている。
『その小娘を八つ裂きにして、聖教徒を一人残らず喰らい尽くせ!!』
妖魔の号令一下、呪骸の群れが一斉に礼拝堂へと殺到した。
恐るべき漆黒の津波を前に、しかしシルフィは顔色一つ変えていない。
一匹たりとも、通しはしない。
心の中にあるのはただ、それだけ。
彼女はその誓いを果たすために、剣を振るった。
ただ振り回しただけの、しかし、暴風のような剣閃が呪骸どもを次々に吹き飛ばしてゆく。
切り裂き。打ち砕き。叩き潰す。
それでもなお、呪骸たちの突撃は止まない。
呪骸化した生き物は決して、命を惜しまない。
その存在の最期の瞬間まで、ただただ、ひたすら人間を、否、聖教徒を恨み続ける。
主の中で木霊する、怨嗟の声に従って。




