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016

 食事を終えたシルフィは部屋へと戻った。

 置いていた剣を掴んで、外へ出る。

 礼拝堂と宿舎の間にある小さな庭には、ささやかな畑があった。

 教会は自給自足を旨としている。

 夕食に出たスープに入っていた野菜も、ここで育てられたものだろう。

 畑の脇には井戸もあった。

 井戸を目にしたシルフィの喉が、思わずごくりと鳴る。

 だが、すぐに自らを戒めるように首を振って雑念を払うと、彼女は剣を抜いた。


 まず、正眼に構える。踏み込み、想像の中にある敵の胴を薙ぐ。次に左右上段からの切り下ろし。下段から逆袈裟に切り上げ。

 剣を持つ手が上がらなくなるまで、それを何度も繰り返す。

 それがシルフィの日課だった。


 夜とはいえ、気温の温む初夏。

 剣を振っていると、すぐに汗が噴き出してくる。

 気付けば、ラクトが近くに来ていた。

 素振りをしているシルフィを、目を輝かせて見つめている。

 声を掛けて来ないのは、少年なりの配慮なのだろう。

 それでも、シルフィがあまりにも長い時間、剣を振り続けるので、やがて、こくり、こくりと舟を漕ぎ始めた。

 見かねたシルフィがもう眠るように言うと、少年は半ば閉じかけている瞼を擦りながら宿舎へ戻っていった。


 腕が痺れて、まともに剣を握ることさえできなくなったのは夜半も過ぎた頃だった。

 シルフィは汗を拭いながら、井戸へ近づいた。

 井戸の縁へと腰かけて、乱れた呼吸と手の震えが落ち着くのを待つ。

 しばらくして、握力が戻ったところで、シルフィは辺りを見回した。

 時刻は深夜である。

 ラクト少年も、フェリン神父も眠っているはずだ。

 鞘に収めた剣を井戸の縁に立てかけてから、シルフィは縄に繋がれた桶を手に取った。

 音をたてないように水を汲みあげると、手を漬けて水温を確かめる。

 夏場でも、井戸水は心地よく冷えていた。


 もう一度、辺りを確認してから、シルフィはいそいそと服を脱いだ。

 纏めた衣服は、剣と一緒に水のかからない場所まで避難させておく。

 水を汲んだ桶を持って庭の端まで行くと、そこで頭から水を被った。

 つむじからつま先まで。

 火照った身体を、鮮烈な冷たさが洗い流す。

 その心地よさに、シルフィの口からほぅという小さな溜息が漏れた。

 それを何度も繰り返して、汗や旅塵をすっかり流しきる。

 濡れた肌を夜風が撫でてゆく感触を楽しみながら、シルフィが目を瞑った時だった。


「相も変わらず、乙女だねぇ……」


 背後の闇から、呆れたような呟き。


「きっ、さま!?」


 それにシルフィは我が身を抱きしめるようにしてしゃがみ込みながら、悲鳴染みた声をあげた。

 顔だけを振り向かせれば、そこにはあの黒髪の少年が立っている。


「い、何時からそこに!?」


「なぁに興奮してんだ」


 取り乱す彼女に、少年がケケケと笑う。


「安心しろって。そんな隠さなくても、お前の貧相な身体に興味なんてねぇよ」


 けらけらとそう笑った彼に、シルフィの目がすっと据わった。

 立ち上がり、無言で剣の下まで歩いてゆくと、刀身を引き抜いて鞘を放り捨てる。

 そして、一切の躊躇もなく少年に切りかかった。


「お?」


 もはや羞恥心など吹き飛んでいる。

 一糸まとわぬ姿のまま切りかかるシルフィに、少年が楽しそうな声を出した。

 そして。


「はぁい、残念」


 喉元めがけて一閃された刃を、少年はまるで影のような身のこなしでひらりと避けた。

 しかし、シルフィの攻撃は止まらない。

 避けられた刃を返して、袈裟に切りかかる。が、それも当たらない。

 上段からの切り下ろしも、ひょいと後ろに飛んで避けられてしまう。

 それでも挫けず、シルフィは何度も斬り込んだ。そして少年はその全てを避けた。

 やがてシルフィは荒い息を吐きながら、諦めたように剣を下げた。


「相っ変わらず、上達しないなぁ、お前は」


 そんな彼女に憐れむような視線を向けながら、少年が嘆息する。


「黙れ。殺す」


「おお。怖い、怖い」


 怒りの形相で少年を睨んだシルフィに、彼はおどけたように首を竦めた。


「良いのか、そんな汚い言葉を使って? ここはお前の大好きなカミサマの家だぞ? 聞かれたら怒られるんじゃないのか?」


 茶化すような口調で少年が続ける。


「うん? ああ、でも今さらか。なにせ、お前はもう……」


「黙れ」


 氷のような響きが、彼を遮った。


「去れ」


 少年に切先を突きつけたシルフィが命じる。


「はいはい」


 にやにやとした笑みを消すこともなく、彼はその言葉に従った。

 少年の姿が揺らぎ、闇夜に溶けてゆく。

 その姿がすっかり見えなくなったところで、シルフィはようやく肩の力を抜いた。

 ふっと息を吐く。

 そこへ。


「……ところでお前、何時まで素っ裸でいるつもりだ?」


 どこからともなく、ケケケという少年の笑い声が響いた。


「いつか殺す。必ず殺す。絶対殺す」


 悔しさのあまり涙目になったシルフィは、慌てて服を着直しながら、心の底からそう誓った。



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