正剛の葛藤
鰹陀とのやり取りを終えた俺は、妹の春恵の部屋へと向かう事にした。
菊池に任せっきりにしてしまっていたが、よくよく考えてみれば、春恵は今魔王イビル=コンニャクの因子に適合してしまっている状態であるため、女子一人に相手をさせるのはマズかったかもしれない――。
そう判断していた矢先だった。
「野村、君……?」
見えてきた春恵の部屋からちょうど、当の本人である菊池 カスミが何ともない様子で姿を現す。
ここに来て初めて見せる菊池の上機嫌な表情に安堵しながらも、俺は急いで彼女へと話しかける。
「菊池!春恵と話をする事が出来たのか!?――それで、アイツはどんな様子だった!?」
そんなつもりじゃなかったのに、思わず俺は捲し立てるような口調になってしまった。
案の定、菊池は驚きながらも視線を部屋の扉へと移しながら答える。
「お、落ち着いて野村君!春恵ちゃんの様子なら大丈夫だから!!……それよりも、ここで騒いじゃうと春恵ちゃんが……」
菊池の発言に促されてようやく気付いたときには遅く、部屋の扉が内側からガチャンという音を立て、ロックをかけられてしまった。
……ここで俺が騒がしくしてしまうと、せっかく菊池とのやり取りで溶けてきた春恵の警戒心が、またも強くなってしまうかもしれない。
「……とりあえず、場所を移しても良いか?」
「……う、うん」
こうして、俺と菊池は別の場所へと移動することになった。
俺と菊池が、話をするために移動した場所――つまりそれは、
「……ここが野村君の部屋、なんだね……」
菊池がおずおずと、俺の部屋の中を見渡しながらそのように呟く。
……絶対に疑われるに違いないが、俺は本当に下心とかじゃなくて、岳人の時のように誰に聞かれるか分からない解放的な場所で話をするわけにはいかないし、そういう心配がない自室で……となると、いきなり俺が菊池のところに押しかけるよりも、『糺』の職員によって何も持ち込まれていない俺の部屋の方が盗聴の可能性もなくて安全だと、提案した時は本気でそう思っていたのだ。
……だが、今になって思うに――こんなの、菊池が全然安心出来ねぇに決まってんだろッ!!
逆に菊池の身の貞操の危険度が跳ね上がった事は確実!!
世界を守る代わりに、俺の理性が崩壊寸前!
――こんな状況になるまでは、菊池の事は『ムチプリ♡した身体つきだけど、そこまでスゴい好みのタイプ!って訳じゃない』という認識だったはずなのに、何故か今は凄い可愛く思えてくる!!不思議!
……いかん、完全に自分を見失っていた。
でもな~……俺も俺で考えが足りなかった部分があるけど、菊池も重要な話のためとはいえ、不用心に俺の部屋にノコノコついてくるのって、正直どうなんだよ。
このままだと俺は……!?
「……野村君?」
そんなことを考えている俺に、不安そうに菊池が訊ねてくる。
その問いかけに意識を引き戻された俺は、ハッとしながら慌てて彼女へと返答する。
「あ、あぁいや、何でもない!!……とりあえず、ゆっくり相談!といきたいところなんだが……俺の部屋って見ての通り要請し忘れててロクに机や座布団すらないから、元から備え付けられているベッドの上で座ろうぜ?」
「う、うん……」
若干緊張している様子で菊池が答えながら、コクリ、と頷く。
……いや、『う、うん……』って、何だよ……。
正直言うと、これは流石に部屋に誘った時と違って、半ば冗談、半ば本気の下心で誘った部分がある。
でもまさか……え?本当にそういう事、になるのか?
思考はロクにまとまらず、頬には急激な熱の上昇すら感じながら、俺は菊池をベッドの上へと誘っていく――。
俺の提案によって、俺と菊池はベッドの上で隣同士に座っていた。
「…………」
「…………」
両者ともに、一言も発することなく沈黙する。
少なくとも今の俺にとっては、今の状況は単に気まずいという訳ではないけれど……左隣にいる菊池はどう思ってるんだろう?
俺一人だけが浮かれていたとしたら、流石にカッコ悪すぎるよな……。
そう考えた俺は、とりあえず冷静にまずは菊池に言うべき事を告げるために口を開く。
「……あのさ、ここに来るまでに言いそびれていたけど、春恵の面倒を見てくれて本当にありがとな。……あのまま俺がいたところで、春恵は全く聞く耳持ってくれなかっただろうし、菊池がいてくれて凄い助かったよ」
それは、菊池に助けられた事による当然の礼と、あとは会話を始めるためのきっかけ程度としての発言だったが、自分でも驚くほどに何の衒いもなく感情を込めている事に驚いていた。
そんな俺に対して、隣に座る菊池が少し緊張がやわらいだような笑顔で俺へと答える。
「うぅん、そんな事ないよ!春恵ちゃんも話しやすくて良い子だったし、私は本当に何も特別な事とか出来たわけじゃなかったし……野村君の方こそ、あそこで私の言葉を信じてくれて、本当にありがとう」
そんな菊池からの感謝と笑顔を見て、思わずドクン……と心臓が脈打った俺は、誤魔化すかのように慌てて彼女から視線を逸らしていた。
本当にヤバいな……。
『相手が俺に好意を持っているかもしれない』と思うと、本当に菊池の一挙一動にドギマギしてくる。
これって、俺が菊池の事を単にそういう行為をするための対象として見ているだけっていう、本能任せな理由なのか?
それとも、俺と菊池は“内裏雛”の位階の能力なだけに、因子レベルで相性がピッタリになる……とかいう“トリニティ因子”絡みの原理だろうか?
……今の俺には、この感情が何なのかは分からない。
ただこれが例え、原始的な感情任せの代物だろうと、自分のものじゃない別の作用によって仕組まれたものだとしても――俺は、現在自分の中に沸き上がるこの衝動を否定する気には、全くならなかった。
このまま行けば、今度こそ菊池が否定の意思を見せても、自分のことを止められなくなるかもしれない……。
――そうなる前に一秒でも早く、ベッドから立ち上がってこの部屋から逃げてくれ。
――いや、その無防備な姿勢で屈託のない笑顔のまま、その瞬間が来るまでずっと俺に語りかけていて欲しい。
自分でも制御できない思考がないまぜになりながらも、俺は何でも良いからとにかく思いついた言葉を絞り出す。
「それにしても、小学生以来の付き合いなのに、よく菊池はあの会議室で俺の事をすぐに分かったよな~……俺なんか菊池が可愛くなり過ぎてて、最初誰なのか本気で分からなかったくらいだし」
……我ながら、もう本気でそのつもりで口説きにかかってるだろコレ。
駆け引きともロクに言えないような、あまりにも即物的な己の物言いに呆れつつも、それを訂正もせずに隣の菊池の反応をチラリと伺う。
……クソッ、こんな発言しながら、チラ見するとかマジでダサすぎるだろ、俺……!!
だが、そんな俺の心情とは裏腹に、菊池はこちらを見ずに若干俯いた形で恥ずかしそうにはにかみながら何やら呟く。
「わ、私の事を可愛いとか……おだて過ぎだよ、野村君ったら……!」
反応だけ見るに、どうやらそこまで悪くない――というか、結構良さげな気がする。
これは……今なら、本当に行けるのか!?
だがすぐに俺は――彼女の表情がこれまでから一転して、曇っている事に気づいた。
なんだ……?
まさか、前方を見た振りをしたまま、左手を菊池の肩にそっと回そうとした事が察知されてしまったのか……!?
えっ、肩に手を回すのってキモいのか?こういう場合って腰の方に回すべき?それとも、キスが先?
告白……とかは、正直良く分からないが、欲求で動く事以上に口から出まかせ同然に『付き合う』とか『好き』とか、そういう事を言うのは流石にやっちゃいけない気がする。
逆に言うと、キスとかそういうエチチッ!な行為を先にするのは、多分世間から見ても断然アリのはず。
そんな風に思考が堂々巡りし続けていた俺の事などお構いなしに、菊池がポツリと呟く。
「――それに、忘れる事なんて出来るはずないよ。……だって、私にとって楽しかった思い出なんて、あの頃の記憶くらいしかないから……」
菊池の意味深な発言を聞いて、彼女の方へ顔を向けて見つめる俺。
そんな俺に気づいているにも関わらず、彼女はこちらを見ることなく、そのまま自身の境遇を語り始めていく――。




