遅すぎた後悔
「何ぼさっとしとるんや!――何があったか知らんけど、早く妹さんを追わんかい!!」
そう岳人に促されるまま、俺は慌てて逃げ去った春恵の後を追いかける。
もう少しで手が届く、というところで自身に割り当てられた部屋に入った春恵は、そのままガチャンと音を立てて内部から鍵をかけてしまった。
完全に拒絶される形で途方に暮れる俺。
そこに俺同様に息を切らせながら駆けつけてきてくれた岳人と、心配そうな表情で俺を見つめる菊池 カスミがやってきた。
菊池は俺と春恵がこもった部屋の扉の両方をオロオロとした様子で交互に見ながら、恐る恐る俺へと話しかける。
「野村君……?春恵ちゃんと何があったの?さっきは平気そうだったけど、春恵ちゃんの身に
何か異変が起きたのかな……?」
そう言いながら、菊池がチラリと岳人の方を見る。
おそらく、菊池は春恵が『イビル・コンニャクの魔王因子と結びついた状態である』事を知っており、それを岳人のような他の奴に知られないように配慮してくれているのだろう。
そんな菊池に対して、「あぁ、コイツなら大丈夫だ」とこれまでの岳人とのやり取りの経緯を説明してから、今度は俺が菊池へと訊ねる。
「その様子だと、菊池は俺の妹と既に面識があるみたいだけど……春恵は、何か言っていたか?」
「あ、うん。……と言っても、大体は野村君が言ったように、春恵ちゃんが魔王の影響によって身体が変質していっている事とか、でも今はまだ容体が安定しているから、ゆかりさんの許可でとりあえずこの『糺』の拠点へと連れてこられた事とか……あとは、野村君が知らない男の人と人目を避けるようにどこかへ移動していたから、こっそり様子見しに行く……って言って、私とはそこで別れたの」
慎重に動いていたつもりだったが、俺と岳人の移動はよりにもよって、春恵に見られてしまっていたらしい。
やはり、こういうトラブルを避けるためにも自室でやり取りをすべきだったか……!!と、今さらになって後悔するが、それもこうなってしまってはもう遅い。
部屋に引きこもっていた妹との久しぶりの対面がこんな形になったのは非常に残念だが……それでも、初対面な上に年上の相手である菊池とそういったコミュニケーションが出来る辺り、かつて明るい性格だった頃の春恵が完全に変わってしまったわけではないのだと、内心で密かに安堵する。
もしくは、そういう相手の警戒心を解く人間性が、菊池にあったという事でもあるのかもしれないが。
とはいえ実家同様に引きこもってしまった妹を前に、どうすれば良いのか途方にくれていると、菊池が俺に再度語り掛けてきた。
「何があったのかは分からないけど……二人の間に何かあって、今こうなってしまっているのなら、今は春恵ちゃんをそっとしておいてあげた方が良いのかもしれない。……ここは私が様子を見ておくから、野村君も尾田山君も私に任せてくれないかな?」
……確かに、この場に俺や知らない男である尾田山がいたところで意固地になったり警戒心を強めるだけで、春恵はますます出にくくなるだろう。
そう判断した俺は、菊池に春恵の対応を任せてその場を離れることにしたのだが――最後に一つだけ、彼女へと質問する。
「菊池。春恵は……俺の事を話すとき、何か怒ったり恨んでいる様子だったか?」
それに対して菊池は、「えっとね……」と戸惑いながらも、何とか答えてくれた。
「春恵ちゃんは最初心細かったんだと思う。自分は突然全く知らない建物に連れてこられた上に、お父さんは別の場所で意識不明の重体、そんな知らない人ばかりの中で自分のお兄ちゃんがいる、って事に安堵していたんじゃないかな。……私と廊下でばったり出会って最初に話しかけて時も、凄く警戒されたけど、私が小学生の時に野村君と同級生だって事を伝えたら、心を開いて会話してくれるようになったし……」
だからね、と菊池は控えめに微笑みかけながら、言葉を続ける。
「春恵ちゃんは野村君を嫌ったり、憎んでいる訳じゃないと思うの。……何が原因で今はこうしてすれ違っているのかは私には分からないけれど……二人は兄妹なんだから、きっと仲直り出来るはずだよ?」
所詮は、他人の無責任な憶測って奴かもしれない。
だがそれでも――俺はその言葉に救われた気がした。
俺は菊池の言葉に対して、
「あぁ、そうだな……」
と、何とか絞り出すように告げてから、菊池に礼を述べると、岳人を連れてその場を後にした――。
廊下を歩いている間、岳人はしきりに
「オイ、正剛!!あの菊池さんって、お前の昔の知り合いやったんやろ!?……なんや、なんや~?二人はエェ感じの関係やったんとちゃうんか~!?」
などと、俺と菊池の関係についてくだらない勘繰りをしまくってきた。
口ではこんな事を言っているが、『俺と妹の間に何があったのか』といった質問を全くしてこない辺り、コイツはコイツなりに俺に気を遣ってくれているのかもしれない。
そうこうしているうちに、岳人の部屋が近づいてきた事で、俺達は一旦ここで各自別行動する事にした。
これまでロクに友達のいなかった岳人は、俺とまだ色々な事を語り合いたかったようだが、貴重な四時間もの休憩時間を丸々男相手に費やすのも、これで俺に依存しきった関係が構築されるのは岳人のためにもならないので、俺は心を鬼にして奴を引きはがす。
そうして岳人と別れた俺は、暇になったので再度自分の部屋に戻ろうとしていた……のだが、その途中である人物に遭遇した。
「あっ!いたいたタケマサ~!!ちょうどさ、アタシ今すっごく話したいことがあったんだべさ~☆――おあがり!」
名前の訂正をする間もなく、そのような謎言語を口にしながらこちらへ駆けてきたのは、初対面時から強烈なインパクトを放つギャル系少女の森崎 ののかだった。
こちらへと来た彼女は、途端に考え込むような表情になって独りごちる。
「あっ……でも、ここじゃちょっとマズいかも……ん~、でもな~」
……自分から話しかけておきながら、一体森崎は何に悩んでいるのだろうか。
軽く困惑する俺に対して、森崎が突如「しゃーない!!」と顔を上げてから、信じられない発言を口にする。
「そんじゃ、タケマサ!!――今からちょっと、アタシの部屋まで一緒にきて!!」
……これは、つまりそういう事、なのか?
高校にも行けずに残りの人生働きづめで終わるはずだった中卒の俺が、勉学やら部活に勤しむ同年代を尻目に、ギャルを相手に大人の階段を昇ってしまう……という事なのか?
まだ、先の事は確定しておらず分からないことだらけだが、それでも俺は――そんな未来を感じさせる森崎 ののかの提案を前に、激しく胸が脈打つのを抑えきれそうになかった。




