野村家の過去
妹がいる治療室に向かおうとしていた矢先に遭遇した人物――それは、同じ“トリニティ因子”の適合者にして、関西弁が特徴的な尾田山 岳人だった。
俺に対しては、初対面の時から敵対的な態度のはずだったが、現在尾田山は尻もちをつきながら俺に対して愛想笑いのようなものを浮かべている辺り、つまりはそういう事なんだろう。
俺は大きくため息をついてから、尾田山の手を取って起き上がらせることに協力する。
さて、これからどうしたものか……。
そんな事を考えている俺に対して、尾田山が話を切り出してくる。
「あ~……なんや、お前がどういう事を考えてるんかなんとなく分かるんやけど、とりあえず廊下での立ち話やと何やし、もう少し適当に座れる場所で話さんか?」
……確かに、ここでグダグダしていれば、尾田山以外の人物までこの状況に至った経緯などを話さなくてはならなくなるかもしれない。
面倒ごとを避けるためにも、俺は尾田山に無言で頷きながらその場をあとにした――。
なるべく人目につかない場所にと思ったが、俺も尾田山もまだこの建物の内部の構造も分かっている訳じゃない。
ゆえに、俺達は少し歩いた先で見つけた、絵画が展示されている広間に設置されていた適当なベンチで話を済ませることにした。
本当はこんな開放された場所じゃなくて、閉じ切った部屋で話をした方が確実と言えるのかもしれないが……俺は尾田山と親しい訳でもなければ、その真意も分かっていない状況である以上、(仮とはいえ)自身の部屋にコイツを招く気にはなれなかったのだ。
俺は左側、尾田山は右側のベンチに間隔を空けて腰を掛ける。
ここに来るまで、俺達は互いに一切言葉を発することなく、今も互いに視線を合わせることもないまま、絵画を見つめる。
壁に掛けられていたのは、はまぐり女房という妖怪が、みそ汁を作る真っ最中の場面を描いた絵画だった。
ひな祭りにおいて、はまぐりには親御さんの『自身の娘が生涯、一人の相手と仲睦まじく過ごしていけますように』という願いが込められているのだという。
ここにいるのは、両者とも男な上に、尾田山とそんな関係になることなど絶対にゴメンだが、この絵画にもひな祭り限定で効果を発揮する術式とやらが施されているのかと思うと、妙に感慨深いものがある。
……いや、現実逃避をしている場合じゃない。
問題は、ゆかりさんとのあの話を聞いた尾田山を、どのように納得させるかだ。
コイツは、自身が覚醒した“トリニティ因子”が最下位の“仕丁”なのに対し、俺が最上位の“内裏雛”である事が気に食わないと敵愾心を剥き出しにしていた奴だ。
位階だけとはいえ、魔王の影響下に置かれている身内を抱えた俺が今回の作戦に参加していたら裏切るに違いない!……と、俺のことを非難してくるかもしれない。
そうならないように、何とか尾田山を納得させなければならないのだが……そのための論法がおもいつかない。
そんな状況の中、またも話を切り出したのは尾田山の方だった。
尾田山はこちらに顔を向けてから、恐る恐るといった感じで俺へと話しかけてくる。
「なぁ、お前……ゆかりさんと話とった『親父さんと妹さんが魔王の手下のせいでヤバいことになっとる上に、家まで差し押さえられた』……ってのは、本当の事なんか?」
やはり、ゆかりさんとの会話は聞かれてしまっていたらしい。
だがその声には、こちらを責めるような響きはなかった。
その事に気づいた俺は、訊ねてきた尾田山の方へと視線を向ける。
見れば、尾田山の表情には恐怖と好奇心とは異なる、“心配”とでも言うべき表情が浮かんでいた。
俺は若干警戒しながらも、繰り返しになるであろうこれまで俺に起きた出来事を説明していく。
その間尾田山は茶々を入れたり、否定するでもなく、ただ黙って俺の話を聞いていた。
それが少し意外だったが……今の俺は、『僅かでも良いから、誰かに自分の本音を聞いて欲しい』という想いが強かったのか、当初の尾田山を説得する事など脇に置いて、ただずっと家庭環境の話までし始めていた。
「俺の親父は、“こだわりに煩い頑固なラーメン屋の店長”としてバリバリに働いていた頃は、本当にカッコ良かったんだ。幼い頃の俺にとっては紛れもなく憧れの職業、のはずだった……」
遠方からお客さんが来るくらいに繁盛しているラーメン屋と、仲の良い家族に囲まれながら過ごす日々。
だが、そんな何気ない時間は、何の予告もなしにある日突然崩れ去ることとなる――。
「親父のラーメン屋は、『頑固おやじが経営している』っていう触れ込みだから、食事中は会話はおろか、物音一つ立てるのを絶対に許さない!っていう店内独自のルールが決められていたんだ。それに違反した客は、店長である親父によって怒鳴りつけられてから、そのメニュー分の料金を支払い、即座に店から強制退出……っていうシステムになっていたんだけど、今になって思うと、料理の味だけじゃなくて“頑固おやじ”として拘り過ぎた事が、あぁいう事態を招き寄せる結果になってしまったのかもしれないな……」
運命のそのときが来たのは、土曜日の昼過ぎだった。
店内には多くのお客さんがぎっしりと席につきながらも、皆物音一つ立てずに出されたラーメンを口にしている中、店の扉を壊す勢いで乱暴に開けて入ってきたのは、パンチパーマといぶし銀なスーツ、サングラスが特徴的な一人の男だった。
まさに、如何にもその筋の人……という格好と雰囲気を前に、店内の客はそれまで以上に委縮する。
そして、それはあろうことか、俺の親父も例外ではなかった。
そのヤのつく格好をした男が、わざとかっていうくらいに、水が入ったコップをダァン!と音を立ててテーブルに置いたり、注文したラーメンが来た瞬間に、電話で『しばいたれ!』だの『そんな舐めた事されたら、沈めとかなアカンやろッ!!このダラクソがッ!』といった柄の悪すぎる会話を大声でし始めても、ビビった親父は怒鳴るどころか一言も発する事は出来ず、遂には
『スープの一滴たりとも、残す事は許さない!違反した者は罰金一万円の上に、今後は入店禁止!』
というルールを設定しているにも関わらず、ラーメンを半分だけ食べて『悪いんだけど、用事が出来たから、これでおあいそ頼むわ」という男の発言に首が取れるくらいに何度も縦に頷きながら、とうとう勘定する事を許してしまったのだ。
「……ラーメン分の料金だけを払い終わってから、その男はこれでようやく満足したと言わんばかりにニンマリと笑みを浮かべながら、そいつが会計をする親父に言い放ったんだ。『実は自分は、その筋でもなんでもない単なる一般人に過ぎない。だが、過去にこの店に来たときに、間違って箸を落としただけにも関わらず、他の客の前で盛大に怒鳴りつけられた上に、罰金まで取られたことが許せなかったから、その筋の人間のコスプレをして仕返しに来てやった』……ってな」
その事を他の大勢の客の前で親父にネタ晴らしをした男は、スッキリした笑顔から一転、
『相手を選ばなきゃ怒声を出せないような内弁慶ごときが、最初から“頑固おやじ”なんて名乗ってんじゃねぇぞ!!分かったな!?』
と親父を怒鳴りつけると、呵々大笑とともに店を去っていった。
「その一件以降、親父は単なる小心者のヘタレであることが多くの人達にバレて、“頑固おやじ”というイメージを期待していた多くの客は店を見限るし、今まで怒鳴りつけられたり罰金を取られた人間からすれば、『偽物のコスプレ風情にビビった奴が、どの面下げてイキってやがんだ!?』っていう感じに、過去の親父の行動に対して、謝罪や返金を求める苦情が家に殺到したりしたんだ。……柄にもないやり方でそういう売り出し方をした親父にも非はあるかもしれないけど、お前等だって客としてそれを求めて親父の店に来ていたくせに!!……『本当に、勝手な奴等だ!!』とその時の俺は、そいつらに対して怒りを抱えていたよ」
だが、そんな俺の認識も日を追うごとに変わっていく。
目に見えて分かるほどに途絶える客足と収入、そして、それらと反比例するように急増していく罵詈雑言や嘲笑の嵐。
家庭内では、最初は親父を支えようと頑張っていたものの、それらの対応に疲れた母さんが親父に怒りをぶちまけるようになり、外では頑固おやじながらも家では優しかった頼れる親父は、その頃には母さんに言われるがまま殴られたりものをぶつけられても、ニコニコと笑みを浮かべて、ハイハイと頷くだけの言いなり人形のような存在になっていた。
「……それでも、満足出来なかった母さんはホスト通いに狂うようになった挙句に、三年前に大量の借金と俺達を残して家から蒸発、それまでは何とか元気に振舞おうとしていた妹も、一年前に原因不明のまま不登校の引きこもりになったのに、とうの親父はロクに働こうとも俺達と向き合おうともしないまま、録画したアニメを下の階で見ながら、奇声を上げるだけだった」
だから、俺は自分でこの壊れ切った家庭を何とかするしかない、と諦めにも似た気持ちを抱えながら、漠然と生きていた。
「けど、違ったんだ。……イビル・コンニャクの暴徒達が店に押し寄せた時、親父は自分の身が危険であるにも関わらず、確かに俺と妹の身を案じていたんだ!!……そりゃ、今までろくでもないところばかりあった親父だが、それでも!親父は紛れもなく俺達家族のヒーローだった。――だから俺は、春恵だけじゃなくてそんな誇れる親父、そしてそんな家族の想いが詰まったあの店を取り戻すためにも、この作戦を成功して、この地上から三大脅威を打ち払わなくちゃいけないんだッ――!!」




