家族の容態
天祐堂総司令の激励ともいえる使命を受けて、俺は自身の役割の重要さを噛み締めていた。
その後は他の適合者からいくらか質問が飛び交ったりしたものの、それらも問題なく進んだ結果、俺達は今から四時間後の18:00に、あの巨大ひな壇に向かって侵攻作戦を開始する事となった。
それまでの間俺達は、各自に割り当てられたこの建物内の自室やそれほど重要ではない場所でなら、好きに使用しても良いという許可をもらった。
……それにしても、重大な任務だし俺達がやらなきゃ世界の危機だっていうのは分かるんだけど……ロクに能力の使い方とやらが分かっていないのに、このままの状態で良いんだろうか?
「……まぁ、そんな訳ないよな~……」
会議室からそれぞれ解散し、自室で休憩を取り始めてから一時間。
とは言え、当初の懸念通り全然気が休まらず、ベッドの上で軽い苛立ちにも似た気分を感じていた。
このままここにいるだけじゃ、気が滅入る一方だ。
どうせなら気晴らしがてら、これから命運を共にした作戦に挑む以上、癖の強いメンバーだがアイツ等と交流でもした方がよほど建設的に違いない……。
そう判断がてら、自室を出ようとしたところで、俺は忘れてはならないある重大な事を思い出していた。
「ッ!?――そういえば、親父や春恵は一体どうなったんだ!?」
これまで自分の身に起こったことや、世界の命運を巻き込むようなとてつもない話を一気に聞かされたことによって、情報の処理をするために脳内がいっぱいいっぱいになっていたが、治療のために運ばれた親父――何より引きこもりだった春恵が、俺が暴徒達からのリンチに遭って気絶している間に無事だったのか、まだ全く分かっていないのだ。
店も奴等によって差し押さえられたままだし、こんな状況で俺一人が油を売っているわけにはいかない……!!
そう判断した俺は、家族の安否を知っているであろうゆかりさんを探すために、室外へと出ることにした――。
廊下を探し回っていると、お目当てのゆかりさんを見つける事が出来た。
俺は息を切らしながらも、彼女へと訊ねる。
「ゆ、ゆかりさん!!親父の火傷はどうなりましたか!?……それと、妹の春恵は無事なんですか!?」
そんな切羽詰まった俺に対してもゆかりさんは、特に慌てた様子もなく、「あら、その事でちょうど話があるのよ」と間延びした声とともに、俺へと向き合う。
「貴方のお父さんである麺吉さん……彼はあのあとすぐに病院で治療を受けられたので、頬に火傷を負わずに済んだみたいよ」
その答えを聞いて、俺は安堵とともに盛大に息を吐き出す。
良かった……あんなどうしようもない親父でも、俺達兄妹を助けようと身を張って守ろうとしてくれたんだ。
親父が無傷で済んだことにホッとする俺だったが、その後にゆかりさんの口から出てきたのは思いもよらぬ言葉であった。
「……だけどね、麺吉さんは貴方とともに、殴り倒されて口に大量のこんにゃくを入れられていた時に、誤っていくつかのこんにゃくをそのまま呑み込んでしまったみたいなの。――魔王:イビル・コンニャクの力が込められたこんにゃくが体内に入り込んだことによって、魔王の瘴気に蝕まれた麺吉さんの意識は、現在昏睡状態になっているのよ……!!」
「ッ!?イビル・コンニャクの瘴気に浸食されている、だって!?……そ、そんな……!!」
頬に火傷を負うくらいではすまない、親父の身に起きた悲劇。
あまりの衝撃的な知らせを受けて、思わず立ち眩みがしたが、それでも俺は意識を奮い立たせながら、何とかゆかりさんへと質問する。
「で、でも!それを言ったら、俺は親父とは比較にならないくらいに、口の中にあったこんにゃくを全て噛み砕いて胃の中に収めたはず!!――それなのに、どうして俺がこうしてピンピン平気で、親父が意識不明の状態なんかになっているんだ!?」
「……それは、多分貴方が覚醒した“トリニティ因子”――それも、最上位である“内裏雛”の能力が、体内に入り込んだ魔力を打ち消したからに違いないわね」
ゆかりさん曰く、先ほどの映像で見た通り、ここに辿り着くことが出来ずに三大脅威に敗れ去った“トリニティ因子”適合者達の位階レベルでは、この件における俺のような芸当は出来なかったはず……との事だった。
だが、そんな事が分かったところで、俺の心を覆う曇りが晴れる事はない。
そして、そんな状態にも関わらず、さらに悪い知らせは続く。
「この状況でこれを伝えるのは酷かもしれないけど……貴方の妹である春恵さんも、自室に押し寄せた暴徒達によって、貴方達同様に魔王の力が込められたこんにゃくを無理やり食べさせられてしまったそうなの……」
「そ、そんな……春恵まで!!」
「最初は春恵さんも下の階の異様な様子に気づいて、自室に鍵をかけて立てこもろうとしていたの」
だけど、とゆかりさんは続ける。
「それを察した暴徒達が春恵さんの部屋の外で、ラーメンスープの中に浸した大根、煮卵、餅巾着、牛すじ、こんにゃく、はんぺん、ロールキャベツ、ちくわ、がんもどき、つくね、ウインナーに、辛子をちょびっと添えた疑似的なおでんの匂いを漂わせてきた事で、彼女も豊かな風味による誘惑に抗う事が出来ず、とうとう自分から部屋の外へ飛び出してしまったみたいなの……」
「そ、そんな……!?」
嘘だ……そんなのは悪い夢か、質の悪い冗談なのだと、誰かに言って欲しかった。
確かに春恵の身に起きた残酷な出来事にショックを受けているのも事実だ。
だが、それ以上に俺は、妹である春恵が俺や親父が危機的な状況に遭っているにも関わらず、自身の食欲に耐え切れずにおでんもどきに飛びつくはしたない性根なのだという事を、認める事が出来なかったのだ。
そんな現実に打ちひしがれている俺をフォローするためなのか、ゆかりさんがなおもその時の状況を話続ける。
「春恵さんは部屋に出た後も、当初は『おでんに“ウインナー”が入っているなんて、私は絶対に認めない!!』と懸命に抗おうとしていたみたいなの。……だけど、立ち昇るアツ♡アツ♡の湯気と、食欲を刺激するかぐわしい食材のかほり……♡に耐えきることが出来ずに、とうとう辛子もつけぬまま、大好きな餅巾着をはじめに、がんもどき、煮卵、牛すじを食べてから差し出されたコーラを息継ぎもせずに飲み込んで、はんぺんを時間をかけて咀嚼してから、たっぷりと辛子をつけた大根、がんもどき、つくね、そしてラスト付近まで取っておいたロールキャベツを瞳を輝かせながら堪能し尽くした後に、あまりにも気分が昂揚した事と暴徒達におだてられた事によって、とうとうそこまで好きじゃなかったはずのこんにゃく、そして『絶対におでんの具材として認めない!!』とまで豪語していたはずのウインナーまで食べてから、どうしても嫌いで一口齧っただけで残そうとしていたちくわも、彼らから『もったいないから絶対に残すなッ!!ここまで来たからには完食しろ!』と、怒鳴りつけられたことによって、泣く泣くながらも何とか口にし、全ての具材を完食した達成感によって清々しい気持ちでスープを飲み干してから、ようやく自身が、彼らの策略によって“イビル・コンニャク”の悪しき魔力が込められたこんにゃくを食べてしまったことに気づいたみたいなの……」
そこから先は、自分達の策略にハマった妹を盛大に笑い飛ばしてから、奴等は妹が食べ終わった食器を洗い場に置くために下の階に降りていき、あとは俺が知っている通り、奴等は店の物品を差し押さえて俺に罵倒と蹴りをかましてから、店を後にした……という事らしい。
そこまで聞いた俺の胸中には、これまでとは比較にならない絶望的な感情が激しく渦巻いていた。
……もう良い。やめてくれ。
どれだけゆかりさんが擁護したところで、春恵が卑劣な策略によって親父同様にこんにゃくを腹の中に収めてしまった事実に変わりはないんだ――!!
……こんな事なら、ゆかりさんから話を聞こうとしたりなんかせず、任務の時間が来るまでずっと一人で自室にひきこもっていれば良かったんだ……!!
……。
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…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………でも、それじゃ駄目なんだよな。
分かっている。
今、家族の中で、この危機をどうにか出来るのはきっと、俺だけなんだ。
だから、どれほど辛い現実が待ち受けていても――そこから逃げる事は、絶対に俺には許されない。
俺は再び顔を上げて、ゆかりさんの顔を真剣に見据える。
そんな俺の決意が伝わったのか、ゆかりさんも力強く頷きながら、俺が知らねばならない事を包み隠さず伝える。
「――ここまで聞いた以上、君も予想は出来ていたかもしれないけど……魔王の力が込められたこんにゃくを体内に摂取した事によって、父である麺吉さん同様に、春恵さんにも魔力の影響に強く曝されることになってしまったわ。――それも、麺吉さんとは比較ならないほどに、ね?」
……昏睡状態になった親父とは、比較にならないくらいの影響、だと?
一体、春恵の身に何が起きたと言うんだ――!?




