第35話 レイニーの社会科見学
レイニーの到着から数時間後。
フィン、メリル、フィブリナ、オーランドは、レイニーとともに夕食を終えて執務室に集まっていた。
「はあ、無事に済んでよかった……」
フィンが心底疲れた顔で、倒れ込むようにソファーに腰かける。
その隣に、オーランドも腰かけた。
「うむ。予定を繰り上げてお越しになられると聞いたときは焦ったが、ひとまずは何とかなったな。特にメリル、お手柄だったぞ」
オーランドがメリルを労う。
「え? そんな、私はただ祝福を使っただけですよ。フィンの手柄みたいなものだし」
「だとしてもだ。おかげで、レイニー様は夕食に大満足していたようだしな」
「うんうん。特に、メリルが作ったダト芋のスープ、美味しい美味しいってレイニー様が褒めちぎってたじゃないか。僕も、あれは本当に美味しかったよ」
フィンがその味を思い出しながら、しみじみと言う。
メリルが作ったダト芋の冷製スープは、ほんのり甘くてまろやかな舌触りで、今まで口にしたどのスープよりも美味しかった。
エンゲリウムホイスト村では、一度も食卓に並ばなかったものだ。
「ああ、あれ? せっかく祝福で美味しくするんだし、食材本来の味が引き立つものって考えたら、あれが一番かなって。ここならミルクとバターも手に入るしね」
「本当、あれは美味しかったわね。村でもバターが作れるように、牛とかヤギを連れていけたらいいんだけど」
「オーランド様、お屋敷で飼ってる動物、何頭かいただいていっちゃダメですか?」
メリルが言うと、オーランドは苦笑しながらも頷いた。
「ああ、いいとも。全部連れて行くといい」
「えっ、全部ですか? さすがにそれは悪いですよ」
「いやいや、レイニー様があれほど気に入ったスープを、村に行ってから作れないなんて言えないだろう? 肉も必要になるだろうし、こちらのことはいいから、家畜は全部連れて行ってくれ」
オーランドはそう言うと、ふと気づいてメリルを見た。
「そういえば、メリルの祝福を肉に使うとどうなるんだ? 痩せた肉でも、霜降り肉になったりするのか?」
「いえ、調理後の状態に戻るだけですよ。乾燥してカピカピになったステーキでも、焼き立ての鮮度に戻るんです。生肉でも同じですね」
「む、そうなのか。野菜が高品質化するのとは、また効果が違うんだな」
そんな話をしていると、コンコンと部屋の扉がノックされた。
オーランドが返事をすると扉が開き、「失礼いたします」とミレイユが中に入ってきた。
「先ほど、レイニー様はご就寝されました。明日の朝食ですが、夕食で出たダト芋のスープをまた飲みたいとのご要望が出ております」
ミレイユの言葉に、皆がメリルを見る。
メリルは苦笑し、「わかりました」と頷くのだった。
* * *
翌日。
朝食を終えたフィンたちは、レイニーを伴って街を進んでいた。
レイニーの希望で、彼女はフィンとともに御者台に座っている。
街の人々はレイニーの姿を見ると、皆が歓声を上げて手を振っていた。
「はぁ。本当に素敵な街ですね」
レイニーが人々に小さく手を振りながら、感慨深げに言う。
「街並みは綺麗ですし、人々は皆さん温かいですし、食べ物はどれもすっごく美味しくて。私、あんなに美味しいダト芋のスープ、今まで飲んだことがありませんでした」
「喜んでいただけてよかったです。村に行ってからもいつでもお出しできますので、申し付けてくださいね」
フィンが言うと、レイニーは心底嬉しそうな表情になった。
「ありがとうございます! あんなに美味しいものを毎日口にできるなんて……」
レイニーが両手を頬に当て、スープの味を思い出して蕩けるような顔をしている。
「あのスープ、どなたが作ったものなのですか?」
「メリルです。昔から料理がすごく上手で、彼女の作るものは何でも美味しいんですよ」
「そうなのですね。それなら、私も村に行ったら、メリルさんにお料理を教わろうかしら」
「はは、それも楽しそうですね」
御者台のすぐ後ろの客室に乗っているメリルは、フィンたちのそんな話を聞いて頭を抱えていた。
「うう、フィンったら、どうしてそんな煽るようなことを言うかなぁ……」
呻くメリルに、フィブリナがクスクスと笑う。
「あら、よかったじゃない。フィンが褒めてくれてるのよ?」
「それはいいんだけど、レイニー様に料理を教えるなんて無理だよ……」
「メリルさん。レイニー様は手先がかなり不器用ですので、ご指導の際は細心の注意を払ってください。食材と一緒に、指を切り落としかねませんので」
「ええっ!?」
真面目な顔で言うミレイユに、メリルが焦り顔になる。
「い、いくらなんでも、指を切り落としかねないっていうのは冗談ですよね?」
「はい、冗談です」
「冗談かよっ!」
真顔で答えるミレイユに、メリルがビシッと手の甲でツッコミを入れる。
ツッコミを受けながらも、ミレイユは真顔だ。
「切り落とすというのは冗談ですが、レイニー様はあまり器用な方ではありません。くれぐれも怪我をさせないように、見ていてあげてください」
「うう。それなら、ミレイユさんも一緒に手伝ってくださいよ」
「私には村の皆さんと挨拶をして回るという大切な日課がありますので。挨拶をしているうちに、一日が終わってしまうかと思います」
「ええ……どんだけ挨拶が好きなんですか。最初に一回すれば十分だと思いますけど……」
「常に挨拶をして回らないと死んでしまう病気なんです。気にしないでください」
滅茶苦茶なことを言うミレイユに、メリルが困り顔になる。
そんなふたりに、フィブリナが苦笑する。
「まあ、他にも何人も侍女や料理人は付いてきているし、私も手伝うから。メリル、頑張りましょ」
「うー、大丈夫かなぁ。怪我させちゃったら、それこそ首を撥ねられるかも」
「まあ、その時は私が治してあげるから。できるだけ気を付けるようにしましょ」
「えっ!? 姉さん、離れた首でもくっつけられるの!?」
「そっちじゃなくて、レイニー様が怪我をした場合の話よ……」
そんな話をしている間にも、馬車は街を進んでいく。
食料品店、居酒屋、大工工房、雑貨屋といった店を巡り、その1つ1つに立ち寄っては、レイニーは中を見て回り大はしゃぎだった。
事前にレイニーがやってくることは店には伝えてあり、彼女の護衛の騎士が下調べをして待機しているので、安全面は万全である。
昼食に立ち寄った店では、事前にレイニー王女が食事休憩をとると伝えると、店主は酷く興奮した様子で「王女様がお立ち寄りになった料理屋として、末代まで言い伝えられる!」と喜んでいた。
* * *
そんなこんなで街をひととおり巡り、フィンたちは街の端にある湖へとやって来た。
すでに日は傾いており、空は夕焼け色に染まっている。
馬車が止まり、レイニーがフィンの手を借りて御者台を降りた。
「わあ、なんて綺麗な湖なのかしら!」
レイニーが瞳を輝かせ、湖のほとりへ走る。
広々とした湖は、遠くにあるうっそうとした深い森、そしてその向こうにある雄々しい山脈を水面にゆらゆらと映し出している。
夕日に照らされた水面はオレンジ色に輝いており、キラキラと宝石のように煌めいていた。
まるで絵葉書のような見事な景観に、レイニーの顔が綻ぶ。
「あっ、レイニー様! 水には入らないでください! 一見浅く見えますけど、岸から少し離れると一気に深くなっているので!」
フィンが慌てて止めると、レイニーは残念そうな顔になった。
「そうなのですか。少し水に入って遊んでみたかったのですが……」
「水遊びをするのなら、上流の川へ行ったほうがいいですね。かなり遠くなってしまいますが」
「あっ、いえ。そこまでは大丈夫です。もうこんな時間ですし」
レイニーがにこっと微笑む。
「フィン様、今日は私の我儘に付き合っていただいて、ありがとうございました。こんなに楽しい一日を過ごしたのは久しぶりです」
「いえ、我儘だなんて。レイニー様に楽しんでいただけてよかったです。村はここよりもずっと自然が豊かなので、きっと楽しんでいただけると思います」
「はい! 私、エンゲリウムホイスト村へ行くのがすごく楽しみで……あら? あの建物は?」
その時、レイニーが少し離れた水辺に建っている建物に目を留めた。
「あれは鍛冶工房『マーセリー』ですね。この街で一番腕がいいと評判の鍛冶職人さんです」
「ねえ、フィン。ゴーガンさん、まだ返事くれてなかったよね?」
メリルがフィンに、小声で問いかける。
「うん、まだだったはず。ずっと保留になってるんだよね」
フィンが言うと、メリルは「よし」と頷いた。
にこっと、愛想のいい笑みをレイニーに向ける。
「レイニー様、もしよろしければ、あの鍛冶工房を少し見にいってみませんか?」
メリルが言うと、レイニーはぱっと表情を輝かせた。
対して、フィンは「えっ!?」と驚いた表情になる。
「いいのですか!? ぜひ見てみたいです!」
「かしこまりました! フィン、行きましょ!」
メリルはフィンの腕を掴み、ぐいぐいと引いて鍛冶工房へと歩いていった。




