第8話 まだ見ぬ答えを求めて
夜が明ける少し前、魔王城はまだ深い静寂に包まれていた。
窓から差し込む月明かりが薄い霧のように揺れ、床に白銀の影を落としている。
アイラはベッドの端で膝を抱え、クロの小さな背中をそっと撫でていた。
黒曜石の鱗は夜の光を受けて、青白く微かに輝いている。
「……あなた、本当に不思議な子ね。」
クロは「きゅる」と短く鳴き、尻尾をゆるりと振った。
その無邪気な仕草に、アイラの口元も柔らかく緩む。
(この子……魔族の獣なのに、こんなに人懐っこいなんて。)
少し冷えた空気に肩をすくめ、アイラはベッドから立ち上がった。
机の上には、昨夜、書庫から借りてきた古書が重たげに横たわっている。
革表紙を撫でると、乾いた革の感触と古い紙の匂いが指先から立ちのぼった。
そっとページを開く。
古代語で綴られた文字が、魔石灯の青白い光に淡く照らされる。
――『妃は“防御の核”となり、世界を護る楔となる』
(この言葉……やっぱり気になる。)
指先で文字をなぞると、まるで脈打つような微かな熱が胸の奥に広がった。
鼓動がひとつ速くなり、呼吸が浅くなる。
まるで、遠い記憶が眠りから起き上がるような感覚――。
アイラは静かに息を吐き、ページをそっと閉じた。
窓の外はまだ青黒い夜明け前で、世界が息を潜めている。
部屋の中で、クロの寝息だけがかすかに響き、心の奥をくすぐった。
(……この感覚、なんだろう。どこかで……この温かさを知っている気がする。)
瞼を閉じると、淡い光が脳裏に広がった。
それは、遠い日の庭園の光。
花の香り、母の温もり、幼い自分の小さな手――すべてが鮮やかに蘇っていく。
.
.
.
.
柔らかな陽光の差し込むコーデリア侯爵家の庭園。
幼い自分を抱きしめながら、母は優しい声で囁いた。
『昔々、この世界は二つの光に守られていたと伝わっているの。
ひとつは絶えず燃える炎の光。もうひとつは、決して消えぬ闇の光。
二つの光が出会う時、世界は安らぎを得ると――。』
母の声はどこか遠く、吟遊詩人が古い物語を紡ぐような響きを持っていた。
『コーデリアの娘たちはね、その“境”を見守る者だと昔から言われているのよ。
でもそれは、誰かの命令に従う鎖じゃない。
自分の心が選んだ想いこそ、道を開く鍵になるの。』
母の手が、幼いアイラの髪を撫でる。
その手の温もりと共に、言葉は心の奥深くへと染み込んでいく。
『覚えておきなさい。
どんな闇が訪れても、あなたの中の光は決して消えない。
それが――私たち一族の誇りなのだから。』
その瞬間、庭を渡る風がふっと強く吹き抜けた。
白薔薇の花弁が宙に舞い、陽光を浴びてきらきらと輝く。
枝葉がざわめき、小鳥たちが一斉にさえずり出す。
まるで母の言葉に庭全体が応えるように、世界がひとつの祝福を奏でていた。
花の香りが濃くなり甘やかな風が頬を撫でる。
その時、幼い心は確かに感じた――
どこか遠い場所で、見えない誰かが喜びを送ってくるのを。
.
.
.
.
「……お母様。」
思わず呟くと胸がきゅっと締め付けられた。
母の笑顔とその声の温もりが鮮やかによみがえる。
まるで今の自分に「怖がらなくていい」と囁いているかのように。
アイラは小さく息を吸い、古書を閉じた。
(お母様の言葉と、この本の記述……関係があるの?
もしかして、私がここに来たことも……偶然じゃない?)
クロが膝に頭をこすりつける。その温もりに、遠い日の母の抱擁が重なって胸が熱くなり、気づけばアイラは静かに微笑んでいた。
夜明けの風がカーテンを揺らし光がゆらりと揺れて舞う。それはまるで、あの日庭園で見た白薔薇の花弁の舞のようだった。
(私の中の光……信じてみたい。)
クロをそっと抱き上げ、その小さな頭に頬を寄せる。
(私も……歩いていける。)
この城に来た意味を知るために――
自分が背負うものの意味を確かめるために、
アイラは胸の奥で小さく決意を灯した。
もし気に入っていただけたら、ぜひブックマークやいいねで応援してもらえると励みになります!
コメントもお待ちしてますね。次回もお楽しみに!
次回が待ちきれない方は男装した令嬢のお話をどうぞ!短編です。
溺愛王太子の前じゃ男装なんて無意味でした
https://book1.adouzi.eu.org/n1320ku/




