120話 現出 ※
流血描写が少しあります。苦手な方はお避け下さい。
ズゥゥゥゥゥンッ
地響きとともに王都が揺れた。
そのすぐ後にびりびりと空気が震え、城の窓ガラスがバリバリと音を立てる。
「一体、何が起きてるんだ?」
不安そうな声が避難してきた町の住民から聞こえる。
だが、詳細が語られることはなく、問い詰められる騎士や兵士も大丈夫としか答えなかった。
ここは数ある避難所の一つ。王城である。
魔王ファルグの3日後宣言のおかげで、騎士や兵士もそれなりに準備ができたため、慌てず騒がず訓練の様に避難を済ませることができた。
だが、避難訓練を受けていたのは町の住民の一部。当然慣れてない者もおり、城にはそういった者達が次々と駆け込むようにやってきていた。
避難用に長く空けていた部屋は人でごった返している。
「大広間を開けましょう」
赤い髪に蒼い瞳をしたパルティアの王太子、クラウス・イル・クリセニアはそう判断すると、騎士達に命を下す。
国王は現在次の対応に追われ、この場を任されたのはクラウスだったようだ。
「大変ねぇ。でも、城にまで被害はないから安心して頂戴」
のんびりとした声でゆっくりとクラウスの前に現れたのは、長い白髪を三つ編みにして背に垂らした気品あふれる老婆。
塔の一つを管理する青の塔の守護者、リアナシアである。
「城にまで被害が及び、民が影響を受けるのであれば、我々はあなた方を魔族に突き出しますよ」
クラウスの年はシャナの兄エルネストと同じ24歳。すでに王太子としての考え方が身についているらしく、魔族と取引も辞さない構えである。
そんな様子にリアナシアは満足そうににっこりと微笑む。
「もちろん。魔族がそう望むのであればそうしてもらって構いませんよ。ですが」
「わかってます。問題は魔族じゃない…。ルアールの元国王、レイゼンでしょう?」
リアナシアはゆっくりと頷く。
「以前も言った通り、魔族とはそれほど悪い人々ではないわ。・・・・ちょっとおかしな思想が根付いているけれど」
おかしな思想の教祖のようであった先代魔王を思い出し、リアナシアの額にビシッと青筋が立ち、ついでにひくりと口元が引きつる。
滅多に表情が崩れない貴婦人の様子にクラウスは首を傾げた。
「魔族は何かおかしな思想を持っているのですか?」
「・・・聞かないでちょうだい。頭の中にあのハゲ筋肉の笑い声が響くから」
魔族は無条件で恐ろしいものだという認識があったクラウスは、一体魔族とはどんなものなのかと困惑に顔を歪める。
そんな様子を見て、リアナシアは彼を安心させるようにぽんぽんと肩を叩いた。
「とにかく、ただの魔族ならば大丈夫」
塔の主の太鼓判にクラウスが頷くと、バタバタという足音が響いて耳に届いた。しかし、その足音の主が現れるよりも早く、リアナシアの傍に一人の男が現れ、クラウスはぎょっとして一瞬後ろへ下がった。
「何事かしら?」
姿を現したのは、友人でもある騎士エルネストの父、アルバート・リンスターである。
こげ茶色の髪と瞳をした精悍な顔立ちの男性。
とても3児の父親には見えない若さで、一見すれば女性達が騒ぎだしそうな美形だが、今日はいつもと違い、近寄りがたい硬質な空気を感じる。
「現れました」
その瞬間、リアナシアの瞳がすぅと細められる。
空気の温度が2・3度低くなったのを感じ、クラウスは一瞬身震いした。
「そう。では参りましょうか」
ピンと背筋を伸ばし、リアナシアはアルバートを引き連れて廊下を歩いていく。
その二人とすれ違い、ばたばたと駆け寄ってきたのはこの国の兵士だ。
彼等は、クラウスの前で膝を折ると、胸の前に片腕を当て、簡単な礼をとって報告した。
「城の前庭に敵が侵入いたしましたっ」
「数は?」
リアナシア達のおかげで侵入者のことはわかっていたので冷静に尋ねれば、兵士は少々言いにくそうに答えた。
「それが・・、たったの二人なのです」
クラウスは頷くと、すぐに厳戒態勢を敷いた。
兵士達はたった二人の敵に? という不満顔だったが、この後、どれだけ人数を集めても足りないということを嫌というほど思い知らされることになる。
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「まぁ、懐かしい顔がいるわ」
城の前庭に降り立ったリアナシアは侵入者を見てにこりと微笑んだ。だが、その目は少しも笑っておらず、鋭い光を宿している。
それもそのはず。前庭には、すでに多くの兵士や騎士が倒れていた。
「お久しぶりですナーシャ様、アルバートさん」
ふわりとした笑みを浮かべたのは、黒い衣装に身を包んだ、深緑の髪に赤い瞳の美女である。
「あなたは亡くなったと思っていたけれど?」
ばっと音を立て、リアナシアは片手で扇を開く。
彼女の武器は少々大きめの舞扇だ。それに魔力を乗せ、舞うように攻撃を繰りだすその姿は、全盛期の頃ならば女神が舞っているのかと、敵ですら目を奪われる美しさであったという。
その扇を開いたということは、戦闘準備ができたということである。
扇をちらりと見た後、美女はリアナシアに視線を向けて答えた。
「えぇ、セレンディア様に間違いなく殺されましたわ。ですが、私を閉じ込めるべき牢はすでに埋まっておりましたでしょう?」
「どういう意味かしら?」
「我が君が代わりに入っていてくださったので、私の魂は冥界を抜け出ることができましたの。これで、もう死を恐れる必要の無い体になりましたわ」
つまるところ、彼女は死んでいるということである。
だが、彼女は死んだ後、安息を求めるのではなく、魂の浄化を受けるのでなく、魂の姿で地上に現れた。
だが、それは・・・
「それは禁忌よソフィア」
リアナシアが厳しい表情で告げると、ソフィアはにこりと微笑んで剣をスラリと抜いた。
「塔の存在が禁忌でなくて何が禁忌だというのですか?」
ひゅんっと風を切る音とともに、目の前に銀の刃が迫る!
しかし、その刃はアルバートの剣に防がれ、ソフィアは小さく舌打ちした。
「邪魔ね」
その言葉を告げると、ソフィアはスッとその場を引き、代わりに見たことのない魔族の男が間に入り、アルバートに攻撃を仕掛けてくる。
ソフィアはその間にリアナシアの方へ向き直り、にこりと微笑んだ。
「私達の邪魔をしないでくださいませ、ナーシャ様」
その笑みにぞくりと背筋を凍らせ、リアナシアは扇を構える。
激しくぶつかり合うアルバートと魔族の男、その音を耳にしながら、リアナシアは攻撃魔法を放った。
幾本もの雷が迸り、ソフィアに襲いかかる。
雷はそれほど太くはないが、その威力は地面を抉るほどだ。
だが…
「残念だ」
突然耳元で響いた声にリアナシアは振り返り、大きく目を見開いた。
「レイゼンッ!」
握る扇に力を込めたが、それよりも先に、目の前に立つ大柄な男の持つ剣がリアナシアの胸を貫く!
「我が君!」
アルバートの叫びが響いた。
「これで魔物を呼び込める」
男は、まるで空間を切り取ったかのような暗闇から現れ、白髪交じりの黒髪をかきあげる。
その体躯は大きく、顔立ちは獰猛な獣のようだ。そして、その頬には焼けただれたような痕がある。
(シャナならなんていうかしら…)
美形というより凶悪な顔立ちの男を見て、崩れ落ちながらリアナシアはぼんやり思う。
耳も遠くなったのか、駆け寄ってくるアルバートの声が聞こえない。
(あぁ…、シャナにはまだ父親が必要だわ)
受け継ぐものがいなければ魔狼は主と共に滅んでしまう。
リアナシアは音の消えた世界で、己の中に魔力を溜めこむと、それを小さく小さく凝縮していった。
「あなた!」
「「父様!」」
シャナの母、イネスと、兄エルネスト、姉レオノーラが現場に駆け付けた時にはすでにことは終わっていた。
巨大な剣を掲げる巨漢は、彼等を見て鼻白み、雷をくらったはずなのに、何のダメージもなく平然としているソフィアの肩を抱くと、再び闇の中に消えていく。
そして、残されたのはリアナシアの体と、その側で倒れるアルバートだった。
イネスはすぐに夫に駆け寄り、脈を図るが、すでにその体はひやりと冷たい。
一方、レオノーラは血で汚れるのも厭わずリアナシアに駆け寄り、その手をとった。
「おばあ様っ!」
(あなたに預けるわノーラ。これをどうするかは…あの子達に)
「おばあ様・・・?」
突然聞こえ、そして静かに消えた声に瞬きを繰り返したレオノーラは、次の瞬間、重い頭痛に襲われ、頭を抱えて崩れ落ちる。
「ノーラ!」
エルネストは崩れ落ちるレオノーラを支えると、そのまま抱き上げて血だまりから離れた。
「母様、すぐに治療士を呼んできますっ。お気を確かにっ」
座り込んで涙する母の傍にレオノーラを寝かせ、エルネストは城へと駆け込んだ。
そして・・・・
「どうじゃま!」
ガラガラ声のシャナと、ノルディーク達が姿を現したのだった。




