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再会

続きです。

 同時刻、太平の都パシフィカ。

暖かな日差しが降り注ぐその街で、ラヴィは再び脳裏に焼き付いて離れない幻覚が見せられていた。


※ ※ ※


 正直「またか」と言った感じだ。

あの晩から一睡もしていないのだから、体も疲弊して来ている。

そのせいなのかもわからないが、もうあの・・・・・・「研究室」でなくても、滲み出した過去が現実に投影されていた。


 いつもならコーラルと食事を摂る部屋。

そんな憩いの場に映し出されたのは・・・・・・私の曖昧な記憶に残る・・・・・・父と母の姿だった。

もちろんそこには幼い頃の私の姿もある。


 私の背格好からして、昨晩の幻覚とほとんど同時期の様子だろう。

だが・・・・・・とてもそうとは思えないほど、私は明るい表情をしていた。

それこそコーラルと団欒を楽しむときのように、リラックスしきって、何の警戒心も抱いていない。


 その様子が、私を混乱させた。

自分のことなのに時系列がよく分からなくなる。

それもそのはず、私が両親について覚えていることは・・・・・・あまりにも少なかった。


「ラヴィ、ご飯のときくらい落ち着いて食べなさい」

「うん、分かった!」


 年相応に落ち着きのない私を、父の声が諌める。

私はそれを聞いて一瞬立ち止まるが、またすぐに歩き出した。

朝食と思われる齧りかけのトーストを手に持ったまま、おたまで鍋をかき回している母の元へ駆け寄る。


「ふふ、もう少しで出来るわよ。だからお父さんの言うことを聞いて、ゆっくり待ってなさい。いい子に出来るわよね、ラヴィ?」

「・・・・・・はーい」


 落ち着きのなかった幼い私は母の言葉は幾分素直に聞いて、父の隣の椅子に腰掛ける。

トーストを啄むように食べながらも、その視線は母に向いていた。


 ある暖かな家族の一幕。

時間はゆったりと流れ、飽和した幸せが食卓を暖めている。

そのようにしか、見えない。

ただ・・・・・・。


 父と母の声は、昨日研究室で聞いた男女の声と同じだった。


「・・・・・・」


 知らない感覚が、胸中で渦巻く。

暖かさと、もう戻れない寂しさと・・・・・・そして、どうしても無視することのできない冷たいもの。

それはトゲのようになって私の心臓に突き刺さっていた。


 私はあの研究者たちを・・・・・・親と慕っていたのだろうか・・・・・・?

それなら、彼らはいったい・・・・・・どうして私にあんな平穏な表情を向けられるのだろうか?

私は何故、あのように笑っていられるのだろうか?


「いや・・・・・・だから時系列が・・・・・・」


 そうだ、きっとこれは“あの晩”よりも“前の”話。

私はそのときはまだ普通の・・・・・・ごく普通の彼らの娘で、この先の運命も苦痛も知らなかったのだ。

だからきっと・・・・・・。


「じゃあ・・・・・・何があなたの優しい“お父さん”と“お母さん”を狂わせたんだろうね? ミスプリント?」


 視線を感じて、振り返る。

そこには、父と母の共に食卓を囲む私を恨めしそうに見つめる・・・・・・もう一人の私が居た。


「違うよね、本当はあなたも分かってる。彼らは・・・・・・あなたの本当の親ではないし、最初から・・・・・・狂っていた。見せてあげる・・・・・・私の“時間”を」


 もう一人の私の声に、一瞬意識の糸がほつれる。

一度の瞬きをするうちに幸せな幻覚は消え去り、真昼のはずの部屋には夜の闇と月明かりがないまぜになって注がれていた。

もう一人の私は、その闇の中にあるものを見るように私に促す。


 片付けられたテーブル。

月明かりだけを頼りに、父と母が疲れた表情の顔を突き合わせていた。


「あの子・・・・・・夜になると・・・・・・」

「ああ、そうだな。・・・・・・ラヴィの人格は・・・・・・分裂している。夜は恐怖し俺らを憎み・・・・・・昼は与えられた苦痛も、俺たちへの憎しみも忘れて・・・・・・笑顔を見せる。まぁでも、その方が都合もいいだろう。何より・・・・・・彼女自身の心を守る術になる・・・・・・」

「でも、私・・・・・・もう見ていられないかもしれない・・・・・・。今更どの口がこんなことを言うのか・・・・・・罪悪感が、私の喉元に手をかけるの。私は・・・・・・どんな顔であの子に向き合ったらいい? 私は・・・・・・」

「・・・・・・せめて昼は・・・・・・俺たちはあの子の親であるべきだ。何も悟らせてはいけない。何も疑わせてはいけない。彼女が目を瞑ることを選んだなら・・・・・・俺らがボロを出すわけにはいかないだろ? あの・・・・・・白昼の嘘を守るんだ。俺たちと・・・・・・あの子で・・・・・・」


 父と母・・・・・・いや、二人の研究者は悔しそうに空のグラスを握りしめる。

この家族は・・・・・・狂っていた。

にも関わらず、彼らの瞳に狂気はない。

あるのは悲しみと痛み。

もはや、迷いも無いようだった。


「私が・・・・・・切り離した、過去・・・・・・」


 全てが繋がる。

私は・・・・・・あの研究室に、過去と共に私の一部を閉じ込めたのだ。

痛みや苦しみを全て背負わせて・・・・・・。


「幽霊なんかじゃ、なかったんだ・・・・・・」


 幽霊は居なかった。

ましてや、この幻覚は・・・・・・そういった“現象”ですらない。

幽霊以上に不安定なものだ。


 一度目を瞑り、ゆっくりと見開く。

そこには夜の闇と月明かりはもう無く、暖かな陽光が満ちていた。


「ごめんなさい・・・・・・。今まで、ずっと・・・・・・」


 未だ消えない最後の幻覚。

私自身が深く埋めて隠した私自身に、両手を伸ばす。


「研究が私に与えた力は莫大。実際のところ・・・・・・私は彼らを、すぐにでも殺せたと思う。でも・・・・・・私は、そうしなかった」


 実体の無い少女を抱く。

もう二度と忘れないように。

またこれは、私の決意表明でもある。


「私はあなたの気持ちを知っていたし、あなたが守りたいものも分かってた。だって結局・・・・・・私はあなただから。けどね、ミスプリント。過去は残酷なだけじゃない。最後の夢を・・・・・・あなたに託す。それをどう受け取るかは・・・・・・あなた次第だよ、私」


 少女は、私の腕の中で消えた。

閉じた瞼の裏側に熱いものが込み上げてくる。

私は、自分と再会した。


 二人はもう一度一人となり、そして最後の夢に意識が吸い込まれていく。


 実験室、最後の夜。

これは“彼女”の記憶だ。


 私はまた、あの手術台に縛り付けられている。

今なら分かる、彼女の恐怖が。

私と彼女の視点が完全に同期し、地下にうもらせて置いた記憶は鮮明に当時を呼び起こす。


 男と女は、言葉を交わしていた。


「なぁ、もう潮時だと思うんだ。・・・・・・四号が脱走したらしい。研究者を殺してな。それが原因か分からないが、他の仲間も・・・・・・研究をたたみ始めてる。この計画は・・・・・・失敗だったってな」

「・・・・・・この子を、処分するつもりなの・・・・・・?」

「・・・・・・最後の、仕事を始めよう」


 目隠しをされているせいで、声しか聞こえない。

これから何をされるのか、皆目見当がつかない。

ただ、当時の私は・・・・・・これから与えられるかもしれない死を受け入れるつもりだったようだ。

しかし、そうならなかったのは・・・・・・現在の私が証明している。


 男が、沈黙を突き破る。


「ミスプリント、最初の失敗作・・・・・・ラヴィ・パラドクス。俺たち・・・・・・“親”の矛盾の象徴だ。これより、彼女のコードを・・・・・・破壊する」

「・・・・・・っ!? そんなことをして何になると言うの!? 真理の庭はこの研究そのものを隠蔽したがるはず、それならそんなことをしても・・・・・・彼女を救えない・・・・・・」

「いや、それが・・・・・・たぶんそうでもない。お前も・・・・・・噂では聞いたことがあるだろ? マトリクス計画。・・・・・・あれは、どうやら・・・・・・成功したらしい・・・・・・。それに・・・・・・脱走した四号のこともある。今は・・・・・・失敗した計画の後処理にそれほど手を割けないはずだ。それなら・・・・・・俺たちはラヴィの死を擬装できるかもしれない。だから・・・・・・戻してやるんだ、普通に・・・・・・」

「・・・・・・なら、私たちは・・・・・・もうこの子と一緒には居られないわね・・・・・・」

「ああ」


 男の相槌を最後に、またしばらく静かになる。

そして次の瞬間・・・・・・鋭い痛みが全身に走った。

それは一瞬だったかもしれないし、数分にわたっていたかもしれない。

ともかく・・・・・・。


「アーティフィシャル・コードの破壊は完了した。これでもう・・・・・・ラヴィには制御不能の力も、プラヌラ侵食も無い。異常再生しないし、今後は麻酔も効くだろう。歪な超人じゃなく、もう普通の・・・・・・脆い人間だ」

「・・・・・・本当に、これから上手くいくかしら・・・・・・。真理の庭の目を欺けるの?」

「大丈夫。元よりこの計画は先生の独断。ラヴィが次に目を覚ますのは・・・・・・もう全てが片付いた後だ。一人にしてしまうのは・・・・・・忍びないが、きっと大丈夫だ。血が繋がってなかろうが・・・・・・俺たちの子なのだから」


 注射針が皮膚に突き刺さる感覚を最後に、どんどん意識がぼやけていく。

体の感覚が薄れていき、カチャカチャと処置に使われる道具がたてる音だけが頭に流れ込んでくる。


 今この瞬間も、私の体に刃を走らせているのだろうが・・・・・・そこに痛みはない。

おそらく、私の人工コードがその機能を失ったためだろう。

そして・・・・・・音さえ遠のいていく。


 ぼんやりとした意識の中。

私の・・・・・・父と母、二人の声を聞く。


 もはや何を言っているのか、それを汲み取ることはできなかった。

しかし。

その声色は優しく暖かく、きっと愛に満ちていた。

続きます。

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